日々何が起きるか分からない沖縄。新基地建設を巡って渡具知武豊名護市長の姑息な対応やら、あれこれ。明日はコザ暴動から50年(1970年12月20日)だ。クリスマス気分などで浮かれている場合じゃない。負の歴史の積み重ねは容赦ない。3年前の保育園へのヘリ部品の落下や、普天間第2小学校へのヘリの窓枠の落下事故。米日地位協定による米軍擁護の壁の前で真相は闇の中。未解決で時間は流れていく。
そのうえ、国政は遠く、可視化することは難しい。イライラだけが蓄積していく。安倍はどんな顔をしながら国会喚問に応じるのか。極めて興味深い。目の前で行われている新基地建設の具体的な作業と安倍や菅の顔が重なる。先日もってこられたデッキ・バージを辺野古から見ることはできない。この問題だけでも、①辺野古海側、②辺野古ゲート前、③豊原側、④大浦湾側、⑤本部の塩川、⑥安和、⑦普天間基地周辺の7カ所をみなければならない。
ここに日本政府と官僚機構、それに米軍と自衛隊だ。「琉球諸島防衛」なのだから、見るべき所は最早無数と言っても過言ではない。
とても手に負えない。これらを可視化するのが私たちフォトグラファー・フォトジャーナリストの役目。たまったもんじゃない。だからこそ様々な協力関係をつくり出していきたい。これは今後の課題。
ということを考えていた昨日は、8隻の土砂運搬船が入ってきた写真ないですかと問われて、ないとしか答えられず。脇が甘い。がっかりするが、瞬間の判断が遅れたら不可能になる。
明日を拓く、迎え撃つ目を養わなければならぬ。