ヤマヒデの沖縄便りⅣ 歩き続けて 歩き続ける 再び

「基地の島」沖縄を歩き続け34年、気ままに綴ります。自然観察大好き。琉球諸島を戦場に据える「島嶼防衛」は愚の骨頂。
 

【拡散願います】「沖縄戦の図」全14部展へ、そして屋上から(20230821ー➁)

2023年08月23日 | 沖縄島中南部

2023年8月21日(月)➁ 晴れ

 中城PAから国道330号線に出れば、上原。ここから佐喜眞美術館に行く案内標識が設置されている。普天間基地のフェンス沿い。ご承知の通り、館長である佐喜眞道夫さんが、1994年に同館を建設するために適地を求め、普天間基地内を返還させ建設にこぎつけたのだ。

 今開催中の展示は「丸木位里・丸木俊《沖縄戦の図》全14部展」。沖縄戦の図が一挙公開中だ(23年5月26日ー24年1月29日)。これまでにも何回か全14部展は開催されており、私は何度も見ている。今回の開催は、映画「丸木位里・丸木俊《沖縄戦の図》全14部」制作・上映と合せた企画のようだ(私は自分の病気療養と上映期間が重なり、未見)。

 丸木さんご夫妻は、「原爆の図」で有名(位里さんが広島市出身)だ。画風で言えば、変わっていない。ただしかなり深化している。それは沖縄の人々がお二人の前で証言し、モデルになり、書き上げられていった事が大きい。謂わば共同制作なのだ。また凄惨な現場の中でも生きることを強く示唆しており、絵の緻密さも格段に優れている。お二人が原爆(被爆)から沖縄戦へたどり着いたのは、「丸木夫妻の『人間といのち』への深い鎮魂と地上戦を生き延びた人々の、どんなことがあっても生きなさい、という命どぅ宝への決意が込められて」(同館HPから)いるからだろう。克明な絵は十分すぎるほど悲惨だが、なお美しい。そこに生きようとする重みがにじみ出ているからだろう。

 普段は一番奥の部屋に〈沖縄戦の図〉と〈チビチリガマ〉、〈シムクガマ〉の3枚が展示されているのだが、今は3つの部屋に14枚(1983年から1986年制作)が並べられている。①沖縄の図 8連作 〈久米島の虐殺(1)、〈久米島の虐殺(2)〉、〈亀甲墓〉、〈自然壕(ガマ)〉、〈喜屋武岬)、〈集団自決〉、〈暁の実弾射撃〉、〈ひめゆりの塔〉、〈沖縄戦の図〉、〈沖縄戦ーガマ〉、〈沖縄戦ーきゃん岬〉、➁沖縄戦 読谷3部作 〈チビチリガマ〉、〈シムクガマ〉、〈残波大獅子〉だ。よく見ると、沖縄戦以後を題材にした作品もある。〈暁の実弾射撃〉〈ひめゆりの塔〉〈残波大獅子〉。この意味合いを考えることも大きな意味をもつ。

 それぞれの絵から私たちが追体験するのは容易でない。集団自決といったことが何故起きたのか、その後に如何なる作用(人々に、地域に、沖縄に)をもたらしたのか。そして今、沖縄が再び戦場にされようとしている現実を思うと、改めて考えなければならない時代に至っているだろう。地上戦という命を押しつぶしてくる暴力、国家と軍隊、家族・地域共同体などなど私たちが問うべき問題は限りなくあり、重い。また、「武力による平和」という白々しいものを何としても打破しなければならないはずだ。

以下は、佐喜眞美術館のHP

丸木位里・丸木俊《沖縄戦の図》全14部 展

丸木位里・丸木俊《沖縄戦の図》全14部 展

【会期】2023年5月26日(金)〜2024年1月29日(月) ※2年ぶり全14部 原画展! 広島に原爆が投下され、人類が初めて体験した核兵器の凄絶さを三十年以上にわたり《原爆の図》全15...

展覧会

 

ということで私は病明けの鑑賞を終えたのだった。

屋上に上がる。23段の階段を登る。慰霊の日の23日ー23段。

普天間基地北側の滑走路にヘリがいる。

飛び上がった。CH-53大型ヘリだ。15:30

どうもホバリング(空中停止)の練習のようだ。奥に飛ぶのは嘉手納基地に下りる米国海軍P-8対潜哨戒機ではなかろうか。

15:31 着地する。これを繰り返していた。

遠くから轟音が度々聞こえていた。

北谷町方面の低空を飛ぶF-15戦闘機だ。嘉手納基地でタッチアンドゴーを繰り返しているようだ。15:40

15:44 ここから約7kmの距離だが、眼下の人たちにとっては、頭上100m、200mだろう。たまったもんじゃない。病気療養中の人も居るだろう。

未だに米軍様のお通りがまかり通っている沖縄の一断面だ。

本日は病気療養後初めて長ダマを使った。まだまだ不安定(歪んでいた)だ。ビルが「垂直」じゃないよね。お粗末。

 



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