ヤマヒデの沖縄便りⅣ 歩き続けて 歩き続ける 再び

「基地の島」沖縄を歩き続け34年、気ままに綴ります。自然観察大好き。琉球諸島を戦場に据える「島嶼防衛」は愚の骨頂。
 

【拡散願います】【補正】悩ましい午後ーキャンプ・瑞慶覧、キャンプ・桑江に囲まれて(20220204)

2022年02月05日 | 沖縄島中南部

2022年2月4日午後(金)曇 沖縄島中部に私は向かった。沖縄自動車道で山里へ。この路線が名護から国道58号を行く西海岸沿いより(バス系統120番)、むろん東海岸を行く(バス系統77番)よりも早いからね。真ん中なので東西どっちにも行ける。

高速の脇の道を約500m行くと。

南西側はキャンプ・フォスター=キャンプ・瑞慶覧だ。 「住宅地区」とある。14:44

何故かバスケの像が置かれている。14:47 奥がキャンプ・瑞慶覧。

大きな交叉点がある。そこを左折。

振り返ると、正面はイオンモール・ライカム。本日の私は買い物しない。右のフェンスはキャンプ・瑞慶覧。14:54

このライカムも米軍泡瀬ゴルフ場の跡にできたのだ。

ちょろっと歩いたら、

あの沖縄警察署だ。14:57

警戒しているが、機動隊はいない。静かだ。

15:33 休憩して1時間が経ったが、状況は余り変わっていない。平穏だ。

沖縄署は、17才の高校生を右目失明に至らした件を反省しているのだろうか?

帰路は北谷(ちゃたん)と決めた。

国道330号線から県道24号線に左折。沖縄自動車道を越えて。

左側。手前は民有地だが、森の奥はキャンプ・瑞慶覧。ボール状のアンテナが多数見える。16:36

アップ。16:38

16:39 米軍基地に挟まれているのだ。

私がこの瑞慶覧基地に着目しているのは、そもそも「嘉手納以南の米軍基地返還」が1996年のSACO合意で鳴り物入りで宣伝されてきた。あれから26年の月日が経った。2013年4月、「米軍再編統合計画」が米日政府間で合意されている。文書上の合意の「現実」はどうなっているのか? こうした流れとキャンプ・シュワブへの「普天間基地の移設」話はつながっている。私はこの実態を解明したいのだ。

道はくねくねと下っている。我が歩行者の歩けるスペースは狭い。対向車を入れて撮りたいが、危険。視界が狭いので、撮っている私を見つけた運転手が、急ブレーキをかけたら、後続車にゴツンとなりかねない。あるいは私がひかれてしまう。だから神経を使う。16:54

こういう道は普天間基地の西端、大謝名あたりもそうだ。

このフェンスはキャンプ・桑江。進行方向右側。奥は美浜の観覧車。17:02

キャンプ・桑江の住宅地区。17:06

途中から北谷町役場に抜ける道はないかと思ったが、なかった。キャンプ・桑江はまだまだ居座っているのだ。

国道58号に出た。美浜1丁目。右折。

大分暗くなってきた。美浜の観覧車付近から、58号を離れて右折。

約400mで北谷町役場。無事だった。右側がキャンプ・桑江。17:33

この役場の敷地も米軍基地だった(1998年4月にここに建設された)。私はこの変遷を1990年代からみてきた。しかし住民目線でなかったことは否めない。基地を見るためには、軍事機能に着目することと、住民の暮らしの目線と。このダブルミックスができなければ、ダメなのだと、改めて反省しています。

右側のキャンプ・桑江。北谷町役場は道一つ隔てれば、米軍基地だ。17:35

北谷町(総面積13.93平方キロ)の52.3%がまだ米軍基地に盗られたままだ。米軍の占領状態が今も、実質続いているのだ。

なにしろ1945年4月1日に米軍が乗り込んできたのが、ここ北谷と読谷の海岸からだ。住民はこの場からおいだされ、他地域に作られた収容所に隔離されてしまった。46年10月22日、米軍から一部の居住区がが許され、戦後復興が始まった。

 私は北谷町のHPから少々資料を読みながら書いているのだが、行間にどれだけの血と汗と涙がつまっているのだろうか。想像もできない。

 あれから77年が経つのに、まだ半分以上が米軍に盗られたままだという事実に、私は向き合いたい。新基地建設反対の主張・行動は、こういうことをベースに据えるべきだろう。

何事もなかった北谷町役場。安堵した。17:35

2月3日朝、何者かが、4日に役場や小中学校を爆破するとのメールが届いていたのだ。「沖縄署への報復」だとか。とんちんかんな屁理屈だ。

17:40 よし帰ります。警備の警官も帰って行った。

よほど調べなけえば、知らないで住んでしまう沖縄の現実。しかし日本の「繁栄」はこうした沖縄の人々の血と汗と涙の上にあるのだ。日本国が「繁栄」からたそがれているからといって、この事実は変わらない。玉城デニー知事がヘイトを許さないと改めて言い(2022年2月4日)、「多様性」を尊重するのも、こうした避けて通れない沖縄の歴史を反映しているのだろう。

悩ましいが、事実の重みを踏まえたい。私は改めてそう思っている。

 

 

 

 

 

 

 



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