「歴史に『もし…』はない」と、私も教えられてきた。歴史は過去に関する考察だから、確かにそうだと思ってきた。だが、これは客観主義にほかならない。極論を言えば、起こったことを全て受け入れろとなりかねないのだ。しかし、この主張は私たちの思考から様々な疑問を無前提に追い払ってきたのではないか。人間が織りなす事を考える社会科学は、自然科学と異なり、実験ができない。立証が困難だ。しかし社会科学も科学なのだと教えられてきた。そこにきわどいものが孕まれている訳だ。なんだか「自然科学概論」とか「社会科学概論」などの大学の一般教養科目の、私にとっては、50年前の記憶。
社会科学を学ぶ者は、論証性・法則性を自覚しなければならないが、一方で、疑問を差し挟む問題意識がなければ、新たな学問を生み出すことはできまい。
このことは、個人史を考えてみれば、もっとリアルで深刻な問題として浮上してくる。私たち個人は、この社会と、この時代の中で生きている。ここから自由ではないのだ。だからこそ自由を求めている。どんな家庭環境の中で育ったのか、学校は、働き口は、などなど、人生を規定するファクターは多様だ。誰と知り合い、誰と結びつき、どこで暮らし、別れ、などなど。
もしも私が理系科目に強ければ、こんなことにはなっていない。沖縄に関心を抱くとか、沖縄に来ることはなかっただろう。鳥類学者で終わっていたはずだ。それが良かったのか、悪かったのかの判断は別だ。だから私は、「もしも」を入れて考えたくなる。人生は一回しかないからだ。
社会とか政治となると、集団であり、客観的認識が成立しやすくなるはずだ。主観の塊とは言いがたいところが生じる。マルクス主義はこの客観主義を打ち出した、大きな成果だろう。生産力と生産関係の矛盾。他方で、戦意高揚に向かう主観の塊が、如何なる状況下でうみだされていったのか。抵抗の気運を導き出せなかったのか。唯物論的なマルクス主義では、国家主観主義を乗り越えることはかなわなかった。
人間はそもそも感情的な動物だから、客観主義的な認識に限度がある。過ちを犯す。性善説や性悪説にとらわれてもいけないのだ。間違える。
ところで歴史学に大胆な「もしも」をやっているのは、歴史修正主義者たちだろう。国家・天皇の立場から歴史を都合良く読み替える。科学性がまるでない主観の羅列。美しい王国を組み立ててしまう。王様・天皇に仮託して主観の国を育んでしまう。それを書いている人は住民でない。王様、否、「天皇の顧問のような人」になったつもり。だからお気楽なのだ。「国家のために死んでこい」と言う立場。そう言われることがない、つもりだ。
そうだからこそ、私は、「もしも」を差し挟むことが重要だと考えている。77年目の戦争を防ぐために。否、朝鮮戦争を挟んだ時間の中で(日本国家は朝鮮戦争の出撃拠点にされ、戦死者も出ている)、その朝鮮戦争を度外視した「戦後平和」を考えてきたことがまるでダメだと知るべきだろう。沖縄の占領を度外視した「戦後平和」など、ありえないはずだった。
「ちちをかえせ ははをかえせ
としよりをかえせ
こどもをかえせ
わたしをかえせ わたしにつながる にんげんをかえせ
にんげんの にんげんのよのあるかぎり
くずれぬへいわを
へいわをかえせ」
と詠んだのは、峠三吉だ。この有名な一説は彼の120頁余の「原爆詩集」の「序」にあたる部分だ。導入部。なお、この序は全部ひらがな。本文は漢字混じり。
こうした叫びに共鳴しうる歴史学、社会科学でなければ、客観主義、主観主義を超えることはできないだろう。矛盾を背負っているのが人間であり、だからこそ人間は如何に生きるべきかという尽くせぬ問いを私たちが失ってはオシマイなのだ。