おはようございます。予定では、今頃、歩き出していたはずだった。昨夜の長電話に疲れてしまった。今週から6月末は忙しく、もう予定を全部こなすことは無理だろう。軌道を修正し、やるべきことをやっていきたい。
その電話は、ある事件に関することから始まった。私はその記事を一通り読んでいたから、その人の深読みを全否定した。ありえませんと。想像力が逞しすぎるというか、勝手に逞しくして、消耗する最悪のパターンだ。事件を巡る事実の前提として、如何なる組織なのかを把握してから考えないと、ちぐはぐになる。
私はついつい、あり得ませんと声を荒げてしまった。反省。奇想天外というか、推理小説の世界なら、面白い想像だが、ご本人は消耗しているがゆえの「想像」だなと、感じ、後半、私たちがなすべき事をやりましょうと電話を切った。100分間の電話となった。
こうなると、事実関係を巡る論点を整理するだけでなく、運動論や、メンタルなとこへの配慮など、同時に何重にも考えないと、だめだなぁ。自称「ただの写真を撮る人」では、耐えられない荷の重さ。でも、電話をくれるのは、相談相手として見込まれているからと納得したい。
昨日は午後にもディス・コミュニケーションが災いし、イライラしたばかりだった。電子情報時代に、ファックスと郵便物で、ファックスが上手く入っておらず、情報がデッドラインに。私は相手の方を存じ上げているが、団体との付き合いはないから、余計に入念に意思疎通しながら決めて行かないとならない。相手のこうしてほしいと、こちらのこうしたいが、重ならなくては、ちぐはぐになる。主観先行の取り決めはうまくない。
もっとも「あらゆるものは政治的なのだ」というテーゼは、正しいと私は思う。「沖縄の海ージュゴンと環境」の題で、報告する予定だが、ジュゴンと環境の政治学が、問われている。沖縄という所は、安保政治に脅かされているが、ジュゴンはその最大の被害者だろう。これまで私はこの問題で取材されたことはあったが、取材する側に回るのは、初めてだ。自分がやりたい課題だから、この機会を大切にと思っており、コミュニケーションを大切にしていきたい。因みに私は、若かりし頃、動物生態学をやりたかったのだ。理系脳がない悲しみで、挫折。動物学者はたいがい政治脳がない。
ざっくりと切れてしまうのは、環境は政治と別次元であり、クロスしないと思われていたからだし、自然科学は、政治と無縁だと、切ってきたからだ。そんなことは通じないのだが、環境危機・気候危機が叫ばれている今日、あり得ない時代になってしまっているのに、まだまだ残されている課題だ。
色々と勉強しながらやっていく。今日も一日がんばりましょう。