●本稿は、世田谷市民運動いちの「いち」2021年9月号に寄稿したものです。
Ⅰ:2004年8月13日、米軍大型ヘリが沖縄国際大に墜落炎上した事故を覚えている?
2004年8月13日14時18分頃普天間基地所属の大型ヘリCH―53Dが沖縄国際大1号館(本部棟)に墜落炎上した。この事実を本紙読者はどの程度覚えているのだろうか?
当時の沖縄・日本はイラク戦争に加担させられていた。米国がイラクに介入し、戦争を起こした。陸上自衛隊もサマワに派遣されていた。
普天間基地は沖縄島の中部にある米軍海兵隊の航空基地。イラク戦争で出払っていた大型ヘリCH-53が岩国基地から追加配備され、機体整備後の試験飛行のため勝連半島のホワイトビーチ(海軍基地)あたりまで飛んだ。同基地から15kmほどの距離だ。その帰路に起きた事故。沖縄国際大と普天間基地は道ひとつ隔てた場所にある。墜落地点は基地と反対側だが、基地まで約250mしか離れていない。墜落前後から機体の部品が落下し、尾翼ローターなどを宜野湾市街に落とした。メインローターは、1号館の屋上から南側の壁にぶち当たり、白壁に何本もの真っ黒な線を刻み込んだ。機体は炎上し、近くに生えていたアカギなどを黒焦げにした。夏休み中であり、教職員・学生は直接被害に遭わずにすんだ。近隣の住民も奇跡的に助かった。
そして事故後の展開はどうだったのか? 真っ先に現れたのは、お隣の海兵隊員。大学の塀を乗り越えての不法侵入だ。米軍は機体・残骸周辺と1号館を占拠し、管理下に置いた。大学教職員・学生、市長、警察官、消火活動にあたった消防官も排除された。構内に入った報道陣も米兵に追い出された。残骸や残土などの証拠物品はすべて米軍が持ち出した。機体に使用されているストロンチウム90の存在が知らされたのは事後だった。米軍は8月19日13時50分まで事故現場と1号館を管理下においたのだ。
沖縄県警は、外から呆然と眺めていることしか出来なかった。
Ⅱ:米国・米軍は、なぜ、他人の土地に無断で侵入し、管理下におけるのか?!
こうした事態はこの17年間、今日まで何度も繰り返されている。私自身何度も規制線の外からの撮影を余儀なくされてきた。こうしたことは日米地位協定に基づくと説明されている。しかしこの見解は正しくないと私は考えている。
この地位協定のフルネームは「日本国とアメリカ合衆国との間の相互協力および安全保障条約第6条にもとづく基地ならびに日本国における合衆国軍隊の地位に関する協定」(1960年6月発効)だ。同第3条で「基地内の排他的管理権」を謳っているが、基地外に関する名文規定はない。この限りで言えば、米軍が他人の土地に入ることは違法であり、残土などの押収も違法だ。同第16条「日本法令の尊重義務」を謳いながら、真逆なことを容認しているのだ。
地位協定(条約)の文言と実態が異なっている。密約や、日米合同委員会の協議で了解しているのだ。こうしたことが対等な関係なのか? 同盟国とは、従属国のことなのか?! 詳細な検討が必要だ。
Ⅲ:それから17年後の夏
2021年8月12日夜、オスプレイが中部訓練場から帰還する途中で部品をおとしたとの報告が日本政府にあったのが、翌日の夕方だ。奇しくも8月13日。落としたパネルのサイズは約35×約45cm。ところが18日に約109×69cmだと、訂正されてきた。
ここで問題なのは、大きさ・重さによる事故に至る可能性・影響ばかりか、大きさが違うということは、何がどうしたのかを幻惑し、証拠隠滅のためではないか。これが米軍のやり口か。
私たち住民は、「軍事機密」だと言われたら、沈黙し従うしかないのか。否。住民の安全を阻害することを「軍事機密」だと容認してはいけない。これが嫌なら、出て行くのは米軍だ。