2011年3月11日の東北大震災は、巨大な禍根と影響を残して今に至っている。にもかかわらず、この国は「再稼働」を進め、原発が気候変動対策になるとの強気の姿勢を1㎜も変えていない。馬鹿はいつまで経っても馬鹿のまま。いや、馬鹿ではないか。猪突猛進なだけか。反省する能力がないのだ。
ここに「原発は気候変動対策?」のアニメがあるので、よく見て欲しい。
6項目にわたって指摘している。最近の動向で私が仰天したのは、EUの動きだ。「ブルータス(EU)、お前もか!」なのだ。「核のゴミ」の問題ひとつとっても解決不能だ。核物質と人間は共存できないことを知るべきだ。
政府・原発産業(電力と重科学)は、何故、原発一途なのかを私たちは考えなければなるまい。利権や、米国頼み(ヒロシマ・ナガサキを出発点に起動)がデカい。産業的に言えば、中央集権(独占)を維持したい、小規模小型発電など、無駄だと決めつけている。経済成長一途の発想を抜けることがないこと。こうしている限り、自滅への道が掃き清められている。
大国は核兵器と原発を追求してきたが、これは自らの領土を戦場にしない、したくないという前提があってのことだろう(?)。この国はこれまで「専守防衛」をかかげてきたから、反撃を受けないことが前提だったのだろう。ところが、「専守防衛」をかなぐり捨て、攻撃能力を競いだしている。中国と朝鮮との間において。「攻撃は最大の防御」と言われ続けてきたが、77年前の戦争では、こう走って完敗したのだ。攻撃すれば、攻撃される。必然の報いだ。日本には54基もの原発があちこちにあり、ここが攻撃を受けたら、自業自得。また爆発して核物質が四散する。戦時となれば、市民は逃げ惑うこともできない。
地域を中心に小規模の発電能力でまかなう、当然、自然・再生エネルギーを基本として。小さく生きましょう。スモール・イズ・ビューティフルだ。私はこう考える。
追記:沖縄電力は原発をもっていない。米軍基地に囲まれ、危険すぎるから。原発が必要なほどの電力需要がないから。諸説あるが、ないものはない。
ただ沖縄電力の創設は1972年5月15日。この日なのだ。つまり、沖縄の電力は、そもそも米国・米軍が必要とし、電力会社を立ち上げてきたのだ。
沖縄電力にまつわる不思議は、色々あるみたいだ。きちんと考えておくべきことなのだ。私も辺野古変電所と、高圧線の地中化問題で、考え始めたばかりだ。
皆さんも頭上に張られた高圧線が、どこからどこへつながっており、何のために設置されているのかを考えてみてください。