おはようございます。2024年8月8日(木)。今日も暑い日差しが上がってきました。既に私はスタンバイ。掃除、洗濯を終え、作業場の調整をした。昨夕は、キャンプコートニーの前(うるま市)で「日米共同作戦計画」に反対する市民集会が行なわれたが、参加できなかった。これは「RD24]が沖縄・九州で行なわれてきたこと(2024年7月28日~8月7日)を意識した反対集会でした。米軍が・自衛隊がこぞって沖縄の周辺で対中軍事包囲網を敷いているぞと武力で威嚇し、実戦に備えるものであり、私達市民は反対しています。
微力ながら、こうした動きを追いかけてきた私は、写真展準備のために、追いかけきれず、集会の撮影もできないという事態に追い込まれています。仕方が無いことではありますが、誠に残念です。市民はもっともっと軍備の実態を知らなければ、現実を見ることすらできないのです。軍備という暗闇を明らかにしていく作業を私は極めて重要だと考えています。
軍備とは、実戦が始まらなければ、その脅威を感じることができないのです。しかし始まってしまえば、遅いのです。戦争に引きづらていく。国家とは何かを私達は、常日頃から考えておかなければ、対応は不可能です。国家が軍事行動を始めて行くからです。核抑止力論も、国家による核を含む武力行使を正当化するものであり、国家を主体にした考えです。
市民は、国家ではありません。国家のあり方を変えることができる仕組みが民主主義ですが、機能不全に陥っています。軍事と政治、民主主義を総じて考えなければ、ならないのです。この意味で、沖縄であれ、どこであれ、変わらないでしょう。市民は国家による先導・扇動を暴き、独自の動きを作っていかなければ、身を守れない時代に入っているようです。
ということで、プリントを始めます。また、残りのコマ選びを始めます。