ヤマヒデの沖縄便りⅣ 歩き続けて 歩き続ける 再び

「基地の島」沖縄を歩き続け35年、気ままに綴ります。自然観察大好き。琉球諸島を戦場に据える「島嶼防衛」は愚の骨頂。
 

【拡散願います】ハンスト最終日の朝、デニーさんがきた(20210306-①)

2021年03月07日 | 沖縄島中南部

2021年3月6日(土)晴 沖縄県庁前

今日でハンスト最終日を迎える。6日のハンストで結果をだせるところまでいかないだろう。どこまでこの問題を押し広げられるのか? 私は5日夜、寝際に、明日デニー知事がくるのか、来ないのか考えていた。来る・来ない、来る・来ない、難しいだろうと。

 6日朝9時15分頃私は県庁前に到着した。まだ人の集まりは少なかった。

丁度、具志堅隆松さんが血圧を測ってもらっていた。朝の検診だろう。9:27

突然、デニーさんが現れた。おっとっと。どよめきがおきた。私は驚きながら撮影の態勢に転じた。9:28

緊張した顔が、「やぁ来てくれた!」の顔になった具志堅さん。9:28

現状を話し始めた具志堅さん。このガマフヤーの道39年の集積が今ほとばしる。9:29

奥でふたりの会談が続いている間、こどもたちも思うところがあるようだ。9:35

デニーさんは思うところがあるだろう。ただ具体的な解決手法が具体化されない限り既成事実が進んでしまう。この緊張したやりとりの中で、どうなっているのだろう。私には聞えてこない。9:35

具志堅さんが何か語っている。9:38

このとき彼が言ったことは、知事一人で考えないで下さい。沖縄戦体験者や、専門家、私たちを含むみんなで解決策を見いだしましょうと提案したようだ。また沖縄戦の被害者の遺骨が見つかっていない人に元米軍人290人余りがいるし、韓国人・朝鮮人もかなりの数が不明なままだ。これは沖縄問題でなく、人間の人道上の問題なのだと説いたそうだ。

具体策を見いだせていないとする玉城デニーだからこそ、冷静に話しあう事が大切だろう。事実に則った、歴史に禍根を残さない解決策を示してもらいたい。知事の決断が重いことは重々承知だが、人々に息づいている沖縄の歴史を辱めてはならないはずだ。9:40

北上田毅さん(正面右)が念押しする。9:52

沖縄戦を生き抜いてきた人がデニーさんに面と向かう。9:54

こういうとき、ぱっと動ける、動く深い情念に私は驚かされる。

デニーさんの前に飛びだした小学5年生の女の子が真正面を向いた。9:54

何を話したのだろう?と思っていたが、「こどもからお年寄りまで戦争で亡くなった。その土で海を埋立てるのは、亡くなった人が浮かばれない」と思いの丈を語ったようだ。お母さん、弟らと来ていたが、子どもの感性は鋭いのだ。

帰り際、現地の情報を聞くデニーさん。荒崎海岸がこうなっているのだ(右下)。左に寄り添うのはサイパンで生き延びた橫田さん。9:56

北上田さんもひっしだ。9:57

 デニーさんがきたのは、驚きであったが、皆が安堵していた。これで一歩前に進める、進めなければならないと考えただろう。玉城デニー知事の辣腕を支えるのは私たちだ。

 

 

 

 



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