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私は、敢えてこの日(2020年4月28日)に普天間基地、沖縄国際大に向かった。最近(くりかえすことになるが)、普天間基地は、泡消火剤を大量に基地外に流出させた事故を起こしたばかりだ。沖縄県や宜野湾市の基地内立ち入り要請を後回しにし、再発防止よりも格納庫周辺の土壌を入れ替えるなどの証拠隠滅作戦を優先している。振り返れば、2004年8月13日14時過ぎに起きた大型ヘリCH-53D(6枚羽)が普天間基地への帰還途中で墜落し、同基地お隣の沖縄国際大の1号館屋上に衝突し、ローターが校舎の壁を抉りながら、炎上する事故を起こしたのだ。
当時の私は東京在住だった。同年8月、どこかでオリンピックが行われており、報道はオリンピック番組が集中していた。この事故は、東京で見ていた限り、殆ど報道されなかった。CHー53大型ヘリと言えば、ローターの大きさを含めれば、全長30mあり、電車1両分相当のモノが落ちてきたのだ。そして次に入ってきたことは放射性物質を積んでいたということだった。そして最大の衝撃は、米軍が大学構内他、墜落機(部品)が落ちた場所を封殺し、大学構内を7日間占拠したのだ。当の大学人が追い出され、宜野湾市消防も途中から追い出され、県警も追い出され、宜野湾市当局もおいだされたのだった。たまたまヘリの乗員以外に死傷者が出なかったものの、地元では大騒ぎになっていたのに、東京では報道されなかった。何故なのか?!
大学に米軍機が落ちれば、米軍の管理下に置かれたのだ。米軍がしでかすことは、基地外ですら「治外法権」なのか?! 何故に? 法的根拠はあるのか?
起源は1952年4月28日にあるようだ。同日は戦後、日本国との講和条約が発効し、日本が「独立」を許された日だ。沖縄を米国に切り離し(切り捨て)、米国を盟主とした西側(「自由主義」陣営)のアジアの軍事拠点にする。そのために51年9月に米日旧安保条約を結び、行政協定を結んだことに由来する。
大日本帝国の頭目は天皇だったが、戦後日本国家の頭目(お頭)は米国なのだ。
一体全体、あれから何年経っているのだ? 2013年4月28日、安倍政権は、こうした恥部を隠しながら、日本独立を祝して、「天皇陛下万歳」とやったのだ。
2004年8月13日から16年目に当たる今年、私はもう一度この事故の記憶を想起し、元現場の様子を再確認したかった。
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嘉数高台から普天間基地を見る。駐機場、格納庫が見え、その右外れが沖縄国際大だ。普天間基地のフェンスから道(片側1車線、歩道ありの計9mほど)一本隔てられただけだ。
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嘉数高台公園展望台にある資料掲示。当時のことも触れられている(上部左の写真)。13:50
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こちらは沖縄国際大の裏手。普天間基地はこの反対側。15:15
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こちらが普天間基地。15:17
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沖縄国際大東側。15:29
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南側の本館(1号館)前。正面の建物が事故後、新たに建設されたもの。手前の看板は当時の写真。壁に黒い焼け跡が生々しい。15:36
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脇に当時の壁が置かれている。ローターの跡は見えるが、不鮮明。最も酷い箇所は廃棄されてしまった。15:36
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燃えたアカギ。15:38
これは構内に生えていた(当時の1号館の右サイドに)。延焼し、焼き殺された。
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黒焦げになっていないところも、完全にひび割れている。支柱がなければ立たないだろう。15:45
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アップ。ひび割れている。
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アップ。下側。
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事故のモニュメント? 15:45
殺されたのは、このアカギだけではない。表現の自由が押さえられ、学問の自由が押さえられ、封殺されたのだ。
だから、こんなモニュメントに、一連の事実を押し込めてはならなかったはずだ。
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壁を斜めから撮る。鉄筋が曲がっている。どれだけの力が掛かったのか。
私が必死に撮っていたら、本館前のガードマンが不審の目を私に注いでいた。
15:48
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2004年8月13日、墜落機は道路後方から進入し、ローソン奥の本館屋上に突っ込み、機体は構内に落ちたのだ。尾翼等はバラバラに校外にも飛んだ。右側のアパートにもボルト等が飛び込んだ。
2004年9月9日 辺野古で新基地建設のためのボーリング調査が始まった。あれから16年が経つのだ。
こうした事故を擁護する日本政府とは、何者なのか? 文部科学省とは何だろう。当時、壁を残そうとした努力もあり、専門家も交えて具体案も出された。却下されてしまった。誰に? 圧力をかけたのは日本政府(小泉政権)と文科省だ。そして沈黙を保った日本国民が支えてきたのだ。否、支えているのだ。
この結果、米国・米軍ー普天間基地は居直り続け、事故(墜落も含む)を起こし続け、新基地建設が進められている。
私たちが問題にすべきは、こうした総体(全部)なのだ。
◎参考資料 「沖国大がアメリカに占領された日」(黒澤亜里子編 青土社 2005年刊)