ヤマヒデの沖縄便りⅣ 歩き続けて 歩き続ける 再び

「基地の島」沖縄を歩き続け35年、気ままに綴ります。自然観察大好き。琉球諸島を戦場に据える「島嶼防衛」は愚の骨頂。
 

「海とジュゴンと貝塚人ー貝塚が語る9000年のくらし」を見た(20211205)

2021年12月05日 | 文化の目

 去る12月3日、沖縄県立博物館で「海とジュゴンと貝塚人ー貝塚が語る9000年のくらし」を私は見てきた。12月5日までだったので、ギリギリ間にあった。

 ちらしにこうある。「貝塚に囲まれた沖縄の島々で、人々は古来より海の恵みを利用して豊かな海洋文化を育んできました。沖縄には、昔の人々が捨てた貝殻が堆積した遺跡としての貝塚が354カ所あり、貝塚数は全国の中でも千葉県(744カ所)、茨城県(376カ所)に次いで第3位です。最も古い貝塚は藪地洞穴遺跡(うるま市)で見つかった約1万年前のものです。その後11世紀に農耕が始まるまで、9000年もの長きにわたって、海と人が調和した貝塚文化のエコシステムが維持されました。(以下略)」とある。

 

OGPイメージ

企画展「海とジュゴンと貝塚人―貝塚が語る9000 年のくらし―」

あなたはジュゴンを見たことがありますか? ジュゴンは「人魚」と呼ばれることもあるカイギュウ目ジュゴン科の海棲(かいせい)哺乳類...

沖縄県立博物館・美術館

 

 

 私が見に行ったのは、ジュゴンが貝塚時代の人々の生活に位置づけられた展示だと思ったからだ。この私の期待は裏切られなかった。無論、9000年前から農耕が始まった時代までのことだから、新基地建設に言及されているはずはない。

 展示は4章(パート)に分けられていた。第1章「貝塚の謎」、第2章「ウミサチ(海幸)の人類史」、第3章「貝塚を掘る」、第4章「サイエンスで見る海洋文化史」だ。第1章と2章が、貝塚時代の話であり、3章と4章が近現代人による貝塚史を巡る発見と研究の成果の展示だといえるだろう。

 ただ、現代人の私たちは、9000年前の貝塚人といわれてもピンとこない。第1章のプロローグで、その時代の自然と人類の生き様をもう少し丁寧に誘っていただけたらと、残念だった。入り口でその世界に入れないと、別世界のママだ。自分が貝塚人にならないと、所詮、遺跡マニアのお話になってしまう。

 その意味で、私が一番なるほどと思ったのは、第2章だ。わかりやすい。ジュゴンを食べたり装飾品にしていたのだ。

 第3章は過去と現在をつなぐ、近現代の側から見た研究成果の展示。民俗学的な意味もあるだろう。沖縄には珊瑚礁が広がり、貝塚文化が広範に広がっていたことを納得できるが、従来の研究成果は個々の貝塚発掘にとどまっていたのではないか。今回の展示は、その限界を突破するこれからの研究課題につながっていくかもしれない。

 第4章は、まとめでもあるが、中途半端さを否めない。貝塚文化からみた9000年の歴史を超える現代的課題にもっと迫ってほしかった。

 ただ話は長い時間を扱っており、海洋諸島の中の貝塚という広範な空間を対象にする以上、絞り込まなければ展示としてまとめられない。難しかっただろう。

 私も展示解説会に参加して、見て、聞いてみるべきだった。

 

【補足】琉球諸島に目を広げれば、未発見の貝塚もまだあるのではないだろうか。今日の無人島にも人類の足跡が残されているかもしれない。人間とジュゴンの関係史を考えれば、過去の歩みを踏まえ直すことは、非常に重要なことだろう。

 とりわけ米日同盟に踏みにじられている沖縄・琉球諸島のジュゴンは、米軍基地が張り巡らした「壁」によって、「不存在」の世界に追い込められている。ジュゴンは泣いているに違いない。「君たち新参者にぐちゃぐちゃ言われたくない!」と嘆いていることは確実だ。

展示会場入り口に置かれたジュゴンのレプリカ。中には剥製もありました。

私は鳥羽水族館で、まじまじと見て撮影したことを思い出す。

 

 



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