台風やコロナにより中止、簡素化されていた期間が
約6年も続き、
今年、久々の本格開催となった
尾張津島天王祭(おわりつしま てんのうまつり)の
「朝祭」(あさまつり)を見学してきました。
(前日の宵祭(よいまつり)は、私は残念ながら見学できず)
天王祭は愛知県津島市にある
「津島(つしま)神社」の祭礼です。
夏の酷暑を無事に過ごすことを祈願するため
始まったと伝えられていて、
約600年近く続いています。
(室町時代には記録として残されているそうです)
あの織田信長も見学し、
さらに豊臣秀吉はこの祭が好きで、淀川で再現しようと
した、という逸話も残っているとか。
日本三大川祭りの一つで
国重要無形民俗文化財に指定。
平成28年には
ユネスコ無形文化遺産にも指定されています。
そんな歴史ある祭が
久々に本格的な形で開催されました。
津島五車が出船を待っています 。↓
津島旧五ヶ村から車楽船(だんじりぶね)を出しています。
下構(しもがまえ)・堤下(とうげ)・米之座(こめのざ)
今市場(いまいちば)・筏場(いかだば)
屋台の上には等身大の能人形が飾られ
古楽を奏でながら丸池に漕ぎ出していきます。
※ 船ですが、祭では車(くるま)と呼ばれています。
まずは、津島神社の神主を乗せた船です↓
指揮を執る船が続きます。↓
愛西市の市江車(いちえぐるま)が先頭で
登場してきます。↓
津島五車と、市江車の合わせて六艘が
車楽船(だんじりぶね)として出ます。
今年、市江車の能の置物人形は
「紅葉狩(もみじがり)」でした。
(市江車の置物人形は毎年、くじで決められるそうです)
置物人形は、下段:平維茂(たいらのこれもち)
上段:美しい貴婦人
幕の上に着物が掛けられているのが面白いです。
箱に納められていますが、
徳川家康公から贈られた着物もあるそうです。
船の高さは15メートルほどにもなるのだとか。
さらに、この市江車には10人の鉾持(ほこもち)が
乗っているのです。
この鉾持たちが
池の中頃で布鉾を背負って池に飛び込むのです。
そして池を泳ぎ(約150mほど)
そこから、さらに津島神社まで走り、
津島神社の神前に布鉾を奉納します。
続いて、津島五車が登場します。
今年は下構(しもがまえ)が担当、
先頭の能の置物は「高砂(たかさご)」です。↓
置物人形は、上段:翁(おきな)
下段:姥(うば)
左、白梅で、右、紅梅の大枝が飾られています。
夏なので紙でできていますが、雷除けのご利益があるそうです。
二番は、堤下(とうげ)が担当、
能の置物は「俊成忠度(しゅんぜいただのり)」です。
置物人形は、上段:平忠度(たいらの ただのり)
下段:岡部六弥太(おかべ ろくやた)
幕には龍が描かれています。↓
三番は、米之座(こめのざ)が担当、
能の置物は「草紙洗(そうしあらい)」です。
置物人形は、上段:小野小町(おのの こまち)
下段:大伴黒主(おおともの くろぬし)
屋台の飾りや幕もそれぞれの車で違います。
四番は、今市場(いまいちば)が担当、
能の置物は「隅田川(すみだがわ)」です。
置物人形は、上段:狂女(きょうじょ)
下段:渡守(わたしもり)
幕には寅の絵が描かれています。
最後を飾る五番は、筏場(いかだば)が担当、
能の置物は「黒塚(くろづか)」です。
置物人形は、上段:鬼女
下段:祐慶(ゆうけい)
青い空に赤い幕が映えます。
これで全ての車が丸池に出ました。
丸池の中を悠々と進みます。
この祭に合わせて丸池の水を新しくして
さらに、水位も高くするよう調整しているそうです。
市江車から池へ飛び込んだ鉾持(ほこもち)が
泳いでいるのが見えます。↓
分かりづらいですが、右下の小舟の後ろです。↑
泳いで岸に到着した鉾持が布鉾を持って
津島神社へと走っていきます。
10人の鉾持が全て泳ぎ切った後、
市江車から順番に下りてきます。
稚児(ちご)は肩車をされて下りてきます。↓
この祭の期間中、稚児は自分で歩くのではなく
肩車での移動になるのだそうです。
歩いて移動して
こちらが津島神社の鳥居です。↓
そして、津島神社の楼門(ろうもん)です。
豊臣秀吉が寄贈したそうで、
重要文化財になっています。↓
鉾持はこの橋を渡って神殿へと
布鉾を奉納します。
神聖な橋とされていて
見物客は渡ってはならないのです。
神社境内の内側から楼門を見ると
こんな風になっています。↓
神社の神殿に来ると、
先ほど池を泳いで鉾持が奉納した
布鉾が立て掛けてありました。↓
丸池の水で濡れた布鉾のしずくを
病気の患部に塗ると治る、という言い伝えが
あるそうです。
ハッチの皮膚に塗ってあげたい!と思いましたが、
週に2回マラセキュアシャンプーをしている
状態なので、余計なことはしないでおこう。と
止めておきました。
祭はこの後も神輿還御や稚児の神殿奏楽が
行われるそうでしたが、
私は時間がなかったのでこれで見学を終了しました。
機会があれば、いつか宵祭も見学に
来てみたいです。
天気にも恵まれて、朝祭を堪能することが
できました。
お疲れ様でした!
約6年も続き、
今年、久々の本格開催となった
尾張津島天王祭(おわりつしま てんのうまつり)の
「朝祭」(あさまつり)を見学してきました。
(前日の宵祭(よいまつり)は、私は残念ながら見学できず)
天王祭は愛知県津島市にある
「津島(つしま)神社」の祭礼です。
夏の酷暑を無事に過ごすことを祈願するため
始まったと伝えられていて、
約600年近く続いています。
(室町時代には記録として残されているそうです)
あの織田信長も見学し、
さらに豊臣秀吉はこの祭が好きで、淀川で再現しようと
した、という逸話も残っているとか。
日本三大川祭りの一つで
国重要無形民俗文化財に指定。
平成28年には
ユネスコ無形文化遺産にも指定されています。
そんな歴史ある祭が
久々に本格的な形で開催されました。
津島五車が出船を待っています 。↓
津島旧五ヶ村から車楽船(だんじりぶね)を出しています。
下構(しもがまえ)・堤下(とうげ)・米之座(こめのざ)
今市場(いまいちば)・筏場(いかだば)
屋台の上には等身大の能人形が飾られ
古楽を奏でながら丸池に漕ぎ出していきます。
※ 船ですが、祭では車(くるま)と呼ばれています。
まずは、津島神社の神主を乗せた船です↓
指揮を執る船が続きます。↓
愛西市の市江車(いちえぐるま)が先頭で
登場してきます。↓
津島五車と、市江車の合わせて六艘が
車楽船(だんじりぶね)として出ます。
今年、市江車の能の置物人形は
「紅葉狩(もみじがり)」でした。
(市江車の置物人形は毎年、くじで決められるそうです)
置物人形は、下段:平維茂(たいらのこれもち)
上段:美しい貴婦人
幕の上に着物が掛けられているのが面白いです。
箱に納められていますが、
徳川家康公から贈られた着物もあるそうです。
船の高さは15メートルほどにもなるのだとか。
さらに、この市江車には10人の鉾持(ほこもち)が
乗っているのです。
この鉾持たちが
池の中頃で布鉾を背負って池に飛び込むのです。
そして池を泳ぎ(約150mほど)
そこから、さらに津島神社まで走り、
津島神社の神前に布鉾を奉納します。
続いて、津島五車が登場します。
今年は下構(しもがまえ)が担当、
先頭の能の置物は「高砂(たかさご)」です。↓
置物人形は、上段:翁(おきな)
下段:姥(うば)
左、白梅で、右、紅梅の大枝が飾られています。
夏なので紙でできていますが、雷除けのご利益があるそうです。
二番は、堤下(とうげ)が担当、
能の置物は「俊成忠度(しゅんぜいただのり)」です。
置物人形は、上段:平忠度(たいらの ただのり)
下段:岡部六弥太(おかべ ろくやた)
幕には龍が描かれています。↓
三番は、米之座(こめのざ)が担当、
能の置物は「草紙洗(そうしあらい)」です。
置物人形は、上段:小野小町(おのの こまち)
下段:大伴黒主(おおともの くろぬし)
屋台の飾りや幕もそれぞれの車で違います。
四番は、今市場(いまいちば)が担当、
能の置物は「隅田川(すみだがわ)」です。
置物人形は、上段:狂女(きょうじょ)
下段:渡守(わたしもり)
幕には寅の絵が描かれています。
最後を飾る五番は、筏場(いかだば)が担当、
能の置物は「黒塚(くろづか)」です。
置物人形は、上段:鬼女
下段:祐慶(ゆうけい)
青い空に赤い幕が映えます。
これで全ての車が丸池に出ました。
丸池の中を悠々と進みます。
この祭に合わせて丸池の水を新しくして
さらに、水位も高くするよう調整しているそうです。
市江車から池へ飛び込んだ鉾持(ほこもち)が
泳いでいるのが見えます。↓
分かりづらいですが、右下の小舟の後ろです。↑
泳いで岸に到着した鉾持が布鉾を持って
津島神社へと走っていきます。
10人の鉾持が全て泳ぎ切った後、
市江車から順番に下りてきます。
稚児(ちご)は肩車をされて下りてきます。↓
この祭の期間中、稚児は自分で歩くのではなく
肩車での移動になるのだそうです。
歩いて移動して
こちらが津島神社の鳥居です。↓
そして、津島神社の楼門(ろうもん)です。
豊臣秀吉が寄贈したそうで、
重要文化財になっています。↓
鉾持はこの橋を渡って神殿へと
布鉾を奉納します。
神聖な橋とされていて
見物客は渡ってはならないのです。
神社境内の内側から楼門を見ると
こんな風になっています。↓
神社の神殿に来ると、
先ほど池を泳いで鉾持が奉納した
布鉾が立て掛けてありました。↓
丸池の水で濡れた布鉾のしずくを
病気の患部に塗ると治る、という言い伝えが
あるそうです。
ハッチの皮膚に塗ってあげたい!と思いましたが、
週に2回マラセキュアシャンプーをしている
状態なので、余計なことはしないでおこう。と
止めておきました。
祭はこの後も神輿還御や稚児の神殿奏楽が
行われるそうでしたが、
私は時間がなかったのでこれで見学を終了しました。
機会があれば、いつか宵祭も見学に
来てみたいです。
天気にも恵まれて、朝祭を堪能することが
できました。
お疲れ様でした!