先週のN響の演奏会で高橋アキさんの演奏を聴き
思い出したので、ちょっと昔話を。
(コンサートのチラシには名前が載っていなかったので
彼女が出るとは全く知らなかった・・・)
今から20年前、1985年の2月と86年の5月に
当時住んでいた札幌で
高橋アキさんの『サティプログラム』という2年連続の演奏会を聴いた。
会場は道立近代美術館のそばにあった「西の宮」という喫茶店で
観客30人程度の、贅沢なミニコンサートだった。
当時すでに現代音楽の分野ではなくてはならない存在だった彼女は
エリック・サティの演奏者としても第一人者で
楽譜全集の出版なども手がけ、その頃のサティブームの
火付け役にもなっていたのだと思う。
若くて美人の彼女は、私にとって言うなれば
アイドルのような存在だった。
そんなわけで、どうしても彼女と話がしたくて
2年目の演奏が終わったとき
図々しくも最後まで居残り、その機会を得ることが出来た。
色々なことを聴いたと思うのだが、一番印象に残っているのは
「現代曲を演奏するときでも、作曲家の理論っていうのは殆んど関係ないの。
楽譜を見て私なりにそれをどう表現するか、ということが全てだし、
演奏すること自体を楽しんでるのよ。」という言葉だった。
(言い回しはちょっと違うかもしれないけど・・・)
現代音楽というのは気難しく難解で、理屈や理論が先行するものと思い
まず、作曲者の意図なり理論なりを読み取ることで精一杯の私には
「理屈はぬき」で、現代曲を演奏することが「楽しい」というのは
まさに目からウロコだった。
もちろん、理論を無視するということではないし
演奏家の即興や偶然性を重視する現代曲を演奏するには
むしろ当然のことなのだが
それを、高橋アキ本人に教えられたというのが
実に嬉しかったのだ。
確かにそれから、私の現代曲を聴く態度は変わった。
図々しいついでに、彼女のレコードを持参して
サインをもらったりもしたのだが
書いてくれた言葉が、「自然」。
これは、私の宝物です。
そんなこともあって
20年ぶりにナマの「高橋アキ」を見たときは
胸がときめいてしまったわけだ。
結局、ただのミーハー!なんだよねえ・・・
思い出したので、ちょっと昔話を。
(コンサートのチラシには名前が載っていなかったので
彼女が出るとは全く知らなかった・・・)
今から20年前、1985年の2月と86年の5月に
当時住んでいた札幌で
高橋アキさんの『サティプログラム』という2年連続の演奏会を聴いた。
会場は道立近代美術館のそばにあった「西の宮」という喫茶店で
観客30人程度の、贅沢なミニコンサートだった。
当時すでに現代音楽の分野ではなくてはならない存在だった彼女は
エリック・サティの演奏者としても第一人者で
楽譜全集の出版なども手がけ、その頃のサティブームの
火付け役にもなっていたのだと思う。
若くて美人の彼女は、私にとって言うなれば
アイドルのような存在だった。
そんなわけで、どうしても彼女と話がしたくて
2年目の演奏が終わったとき
図々しくも最後まで居残り、その機会を得ることが出来た。
色々なことを聴いたと思うのだが、一番印象に残っているのは
「現代曲を演奏するときでも、作曲家の理論っていうのは殆んど関係ないの。
楽譜を見て私なりにそれをどう表現するか、ということが全てだし、
演奏すること自体を楽しんでるのよ。」という言葉だった。
(言い回しはちょっと違うかもしれないけど・・・)
現代音楽というのは気難しく難解で、理屈や理論が先行するものと思い
まず、作曲者の意図なり理論なりを読み取ることで精一杯の私には
「理屈はぬき」で、現代曲を演奏することが「楽しい」というのは
まさに目からウロコだった。
もちろん、理論を無視するということではないし
演奏家の即興や偶然性を重視する現代曲を演奏するには
むしろ当然のことなのだが
それを、高橋アキ本人に教えられたというのが
実に嬉しかったのだ。
確かにそれから、私の現代曲を聴く態度は変わった。
図々しいついでに、彼女のレコードを持参して
サインをもらったりもしたのだが
書いてくれた言葉が、「自然」。
これは、私の宝物です。
そんなこともあって
20年ぶりにナマの「高橋アキ」を見たときは
胸がときめいてしまったわけだ。
結局、ただのミーハー!なんだよねえ・・・