ハレ時々オンデマンドTV

オンデマンドTVの感想やら日々の見聞録

高橋アキさんのこと

2006-09-23 00:30:40 | 音楽
先週のN響の演奏会で高橋アキさんの演奏を聴き
思い出したので、ちょっと昔話を。
(コンサートのチラシには名前が載っていなかったので
 彼女が出るとは全く知らなかった・・・)

今から20年前、1985年の2月と86年の5月に
当時住んでいた札幌で
高橋アキさんの『サティプログラム』という2年連続の演奏会を聴いた。
会場は道立近代美術館のそばにあった「西の宮」という喫茶店で
観客30人程度の、贅沢なミニコンサートだった。

当時すでに現代音楽の分野ではなくてはならない存在だった彼女は
エリック・サティの演奏者としても第一人者で
楽譜全集の出版なども手がけ、その頃のサティブームの
火付け役にもなっていたのだと思う。

若くて美人の彼女は、私にとって言うなれば
アイドルのような存在だった。
そんなわけで、どうしても彼女と話がしたくて
2年目の演奏が終わったとき
図々しくも最後まで居残り、その機会を得ることが出来た。

色々なことを聴いたと思うのだが、一番印象に残っているのは
「現代曲を演奏するときでも、作曲家の理論っていうのは殆んど関係ないの。
 楽譜を見て私なりにそれをどう表現するか、ということが全てだし、
 演奏すること自体を楽しんでるのよ。」という言葉だった。
(言い回しはちょっと違うかもしれないけど・・・)

現代音楽というのは気難しく難解で、理屈や理論が先行するものと思い
まず、作曲者の意図なり理論なりを読み取ることで精一杯の私には
「理屈はぬき」で、現代曲を演奏することが「楽しい」というのは
まさに目からウロコだった。

もちろん、理論を無視するということではないし
演奏家の即興や偶然性を重視する現代曲を演奏するには
むしろ当然のことなのだが
それを、高橋アキ本人に教えられたというのが
実に嬉しかったのだ。
確かにそれから、私の現代曲を聴く態度は変わった。

図々しいついでに、彼女のレコードを持参して
サインをもらったりもしたのだが
書いてくれた言葉が、「自然」。
これは、私の宝物です。

そんなこともあって
20年ぶりにナマの「高橋アキ」を見たときは
胸がときめいてしまったわけだ。


結局、ただのミーハー!なんだよねえ・・・












N響横浜定演/武満、黛、ストラヴィンスキー!

2006-09-17 00:00:49 | 音楽
横浜みなとみらいホールでN響の定期演奏会を聴く。

プログラムは 
 武満徹 『レクイエム』、『テクスチュアズ』
 黛敏郎 『曼荼羅交響曲』
 ストラヴィンスキー 『春の祭典』

お目当ては武満さんの2曲、かつ予定では岩城宏之さんの指揮だったのだが
岩城さんが6月に亡くなられたために、図らずも2重の意味で
『レクイエム』を聴くことになった。

『レクイエム』は
思っていた以上に叙情的。
この曲を聴いてこんなこと思ったのは初めてだけど
『海へ』を髣髴とさせるリリシズムを感じた。
もちろん、旋律へのこだわりは武満さんの根底にあったものだから
当然と言えばそうなのかもしれないけれど、こんなに「歌う」とは。
いい意味でショック。
武満、岩城 両氏に合掌。

『テクスチュアズ』
もう少しメリハリがあってもいいだろうに、と思いつつ。
地味なようで、そこかしこにちりばめられた煌き、というイメージが
そこはかとなく亡羊とした明るさの中に漂う光の玉というくらい
柔らかくなっているような。
それはそれで心地よいのだし、そのなめらかさが
弾きこなすテクニックなのだろうとは思う。
好きな曲だから、変な先入観があるのかもしれない。
自分ではもっと鋭利に、粗い中にも繊細な響きがある、
麻紐でくくられたダイヤの光とでもいうか
決してシルクのツヤではないものを期待してしまう。
とはいえ、
終盤のクレッシェンドを迎え、ふっと抜けたあとの
最後の1フレーズは絶品だった。
久しぶりに見た高橋アキはやっぱりカッコヨカッタ。
彼女がいるだけで空気が引き締まって見えるのは
決して贔屓目ではない、と思う。まだバリバリだね。

『曼荼羅交響曲』
初めて聴いた。
勝手な思い込みで『涅槃交響曲』のような
おどろおどろしさを予想していたんだけれど
見事に裏切られ、実に単純明快な曲。
こういう曲を聴くと、改めて
武満さんのオーケストレーションがいかに錬られたものか
わかるような気がする(もちろん、比較する必要は全然ない)。
弦楽パートを2組、左右対称に配して、管と打を後列に並べる
という工夫はしているのだけれど・・・
結果的に今日聴いた中で、一番古臭い、
というか「時代」を感じてしまった。
演奏自体は素晴らしく、会場のウケもよかったのだが。


『春の祭典』
N響って、本当にうまいんだなあ、と(いまさら?)。
こんな複雑なリズムを一糸乱れず
ビシビシ決めてくるところは実に、爽快!
弦も管も打も自信があるから
何の臆面もなくフルボリュームで迫ってくるし。
まぎれもなく、オーケストラパフォーマンスの白眉、だ。
ただ、なんと言うか、うますぎるというか、清潔すぎる気がするんだな、これが。
初めてこの曲を生で聴いたとき(ロンドンフィル、M.T.トーマス)の、
ぞくぞく、ワクワク、ちょっとエロティックなにおいのする高揚感が
実は今でも忘れられない原体験になっている。
間違いなくこれはロックだ!と、心のなかで叫びながら
全身でノリまくったものだ。
(若かったんだよ、おじさんも、というより元々バレエだし)。
その時の演奏が、不良息子(失礼!)のロックンロールとすれば
今日のN響はまさに、英才教育を受けた音大出(でしょ?)の、
清く正しく美しい、いかにもエリート的な名演奏だった。
(ほめてるんです。念のため・・・)
もっとエグイのが聴きたい!というのは別の機会のお楽しみ、か。

などといいながらも、やっぱりフルオーケストラはいい!
あんな大音響で聴けるし、弦楽奏者の弓が一斉に振り回される様は
パフォーマンスとしてもぐいぐい引き込まれるものだ。
これからは月1回はオーケストラの日、だな!