ハレ時々オンデマンドTV

オンデマンドTVの感想やら日々の見聞録

神田古本まつり

2006-10-29 23:00:20 | 
久しぶりに神保町を散策する。
この辺の古本屋さんが普通の日曜にも営業していると
行きやすいんだけど。
たまに行くから面白いのかな、とも思う。

折角なので目標設定をする。

書籍:①吉増剛造さんの詩集(80年代~それ以前)
    (『青空』『草書で書かれた川』『頭脳の塔』とか・・・)

   ②自分には全く縁のない豪華でまじめな写真集
    (盆栽写真集とか、バクテリアの顕微鏡写真集とか・・・)

   ③ひし美ゆり子さん(アンヌ)の写真集

レコード:④武満さんのアンソロジー「ミニアチュール」シリーズ 2と4

特に下調べもせずにいったので、どこのお店に何があるのやらも
わからず、通りに沿って順番に覗いていった。
う~ん、古本屋さん独特の、あのほこりくさい空気が
なんともいえず、心地いい!


しかし、つくづく思うのだけれど、あらゆる情報が
ネットを通じて瞬時に世界中に広がっていく現代にあって
これだけの知的財産が埋もれている(?)というのも
実に奇妙な感慨を受ける。
図書館のように体系化されて保存・公開されるのではなく
それぞれがテーマを持つ、独立した小さな「書店」として
密集している。

秋葉原と似て非なるところは
アキバが時代の流れに乗って
急速にスクラップ・アンド・ビルドを始めている一方で
ここは、ひたすら時間を蓄積していることにある。
まるで降り積もるホコリのように。
(パソコンにホコリは大敵だ・・・)

訪問者は事前に何らかの情報を得ていなければ
ただひたすらランダムにその中をさまよい続ける。

ま、それが楽しくもあるのだけれど。

googleが世界中の図書館の本をスキャンして
文字検索できるようにする、と豪語しているが
ぜひ、神保町の古本も仲間に入れてほしいものだ。


なんてつまらないことを考えながら、目標はどうなったかというと・・・


①吉増剛造さん/目標物ナシ(数年前に出た新し目のものは1冊発見)

②まじめな写真集/特にビットの立つものはナシ(無念!)

③ひし美ゆり子/『ひし美ゆり子写真集 YURIKO 1967-1973』発見!
          (1万円!)。
       ※う~ん、先日再販された新装版(一部写真が差し変わってる)を
        買っちゃったんだよね~と悩みつつ、見送り(残念!)。       

結局、購入したのは

④武満さんのレコード/「ミニアチュール」第4集 1,200円
               (さくら通り沿いのササキレコード社にて)
              「ミニアチュール」第2集 2,500円
               (三省堂書店 自遊時間にて)
       ※これで念願のシリーズ全5枚がやっと揃った!

想定外でつい・・・

月刊「井川遥」袋入り、特別版 500円
             (さくら通りのワゴンセールにて)
       ※昔、発売日に買っていたのだが、袋も開けずに
        井川ファンの友人に譲ってしまっていたので・・・
       
谷川俊太郎/『定義』 500円
         『コカ・コーラ レッスン』 600円
             (意味不明なレトロ雑貨店にて。店名忘れた。)
       ※人に貸したっきり戻ってこなかったので
        取り戻すつもりで買ってしまった・・・


ほかに西脇順三郎、瀧口修造など発見するも、予算の都合で
次回以降のお楽しみということに。

それにつけても「ひし美ゆり子」のオリジナル版には
後ろ髪を引かれる・・・


ああ、オヤジの欲望に歯止めはないのか!
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平絵里香

2006-10-20 00:09:54 | 音楽
何も知らずにふいっと聴いたのだが
気に入ってしまった。
『ミスター』というミニアルバムは
ギターもボーカルも
まるで街角で歌っているような
ナマの迫力、力強さがあって引き込まれる。
『顔色スピーカー』はアレンジが多彩で
リラックスした印象がよい。

3曲がアレンジ換えでダブっているが、詩も秀逸で
どちらのアレンジもいい。
「叫ぶ平絵里香」と「ささやく平絵里香」てな感じ。

昔、輸入盤屋でジャケ買いをしてた頃
アタリだったときはムチャクチャ嬉しかったけど
久しぶりにそんな気持ちになったな。

「鳥ロケット」「窓の外」がおススメ。
(両方に入ってます)
気持ちを絞ったナマの歌が聴きたい、という方へ。

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マカマカの地球歩き アムールヒョウ

2006-10-17 02:29:11 | 
久しぶりに絵本を読む機会があった。
マカマカという象のキャラクターが旅をしながら
絶滅危惧種の動物に出会うというストーリーで
巨勢典子(こせのりこ)というピアニストのCDがついている。
DVDではなく絵本+CDという組み合わせがアナログ派には心地よい。

アムールヒョウという、現存約30頭という豹の話がメインで、
巨勢さんというピアニストは昨年放送された
NHKの「絶滅から救えるかアムールヒョウ ロシア沿海地方の森」
という番組の音楽も担当されたそうだ。

あの広いロシアの森、この大きな地球上に、たったの30頭。
具体的な数字で提示されると、数の少なさが逆に重い。

普段から不摂生な生活をしているくせに
LOHASなぞと聞くとけっこうウサン臭さも感じたりしているのだが、
過度な重圧を回避しつつできることをやる、
というのは何もやらないよりは、間違いなくいいことだ。

さて、おじさんには何ができるのか、と考えつつ
まずは古新聞でも片付けますか・・・


『マカマカの地球歩き』マカマカ ロシアへ行く
かみおゆりこ作・絵 WWFジャパン監修
駒草出版定価1,700円(税別)
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NHK交響楽団定期公演10月 武満 バルトーク ラヴェル

2006-10-07 23:57:36 | 音楽
N響定期公演 10月Aプログラム 
2006年10月7日(土) 18:00開演奏 NHKホール

武満 徹/鳥は星型の庭に舞い降りる(1977)
バルトーク/ピアノ協奏曲第3番(1945)
ラヴェル/ダフニスとクロエ組曲第1番&第2番(1911、1913)

指揮:アシュケナージ
pf:エレーヌ・グリモー

先月に続きN響で武満を聴く。

武満 徹/鳥は星型の庭に舞い降りる

初期のモノクロミスムの音を残しながら、
中期のより直感的な音空間の創造を予感させる作品。
今日の演奏は、弦の奏でるメロディと打楽器のリズムを明確にして
一層深みのある、わかりやすい表現がされていた。
アシュケナージは、個人的には実に生真面目な演奏をする人という印象があるが
その真面目さがよく出ていたのではないかと思う。
どちらかというと初期の武満作品の性格を強めて
ちょっとドラマチックにした味付け。
中期以降の、断続する時間のたゆたいを強調した演奏なら
もっと違って聴こえただろう。
色々なアプローチで聴いてみたい曲ではある。


バルトーク/ピアノ協奏曲第3番

まずはグリモーのピアノに拍手。
ひっつめ髪にヒラヒラしたパンツスーツが実に颯爽としてカッコイイ。
演奏は豪快でメリハリ、キレがよく圧倒的だった。

音楽に国境はない、と言う。しかし国籍はあるのではないかと
私なんぞは思ってしまうのだ。
国籍という言い方がが悪ければ「故郷」でいいのだけれど
つまり作曲家であれ演奏家であれ
持って生まれた「こぶし」があることは否定できないと思う。
民族主義がどうこういう以前に、
バルトークにも武満にも遺伝子的に受け継いだ独特のメロディや「間」があり
それらが作曲家の個性を支えているのだと思う(強弱の差はあるとしても)。
そういう意味では、バルトーク晩年の作であるこの曲は
あまり「くどくない」部類に入るのだろう。
第2楽章の澄んだ美しさは、いま風のヒーリングミュージックにさえなりそうだ。


ラヴェル/ダフニスとクロエ

非の打ち所のない、すばらしい演奏だった。
オーケストラに合唱が付き、指揮台のアシュケナージも
観客の目線を意識した(?)キビキビしたアクションで
まさにオーケストラパフォーマンスとしては完璧。
もしラヴェル本人が聴いていたら、感激して腰を抜かしていただろう。


公演が終わって、今日の3曲がいずれも20世紀の作品で
いずれも結構アクの強い作曲家が選ばれていたことに気づいた。
考えようによっては、違和感ばかりが際立つ演奏になりそうだが
全くそんなことはなく、よくまとまっていたと思う。

別にムリにケチをつけることはないのだが
本音を言えば、違和感があるのが本当ではないのか、という気持ちがぬぐえない。
「近代オーケストラ奏法」というのか(よく知らんけど)
大編成のオーケストラで若干アップテンポ気味に
リズム感とメリハリを強調する奏法は、
クラシックというよりは、文字通り「現代」の好みだ。
今日の3曲は、本来あるべきそれぞれの「こぶし」が
「現代」の奏法によって耳当たりよく翻訳され、同じテンポの軸の上に
乗せられていたように思う。

例えはよくないかもしれないが、
イタリア映画やフランス映画、ロシア映画を日本語吹き替えで
見るようなものではないだろうか。
わかりやすくて楽しめるのだが、イタリア語やフランス語、ロシア語といった
言葉の違いによるイメージのディテールは排除され
「外国映画」という大くくりの中に一括されてしまう・・・

もちろん、「翻訳」ができる技量の凄さというのは理解できるし
実際に聴いていて心の底から楽しめることは間違いない。
それが「時代」や「国境」を超えた共感を生む、
というのなら、さらに文句のつけようがない。

そういう意味では今日の選曲は実に絶妙だった。
こうしたプログラムで武満や他の現代作品が
どんどん演奏されるなら、歓迎すべきことだろう。

やっぱり、生オーケストラは面白い!






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さようならYS-11

2006-10-01 14:05:03 | Weblog
昨日(9月30日)、YS-11が国内線から姿を消した。
北海道にいた頃、出張で一度だけ
札幌(丘珠)-女満別便に乗ったことがある。

ジェット機のように強引な急角度で上昇するのではなく
まさにフワっと浮くようなソフトな離陸は
いつまでも地上が小さくならず、ハラハラする一方で
まるで遊覧飛行をしているような楽しさがあった。
やっと規定高度に達して水平飛行に移ったとき
エンジン音がぐんと低くなり、機内に緊張が走った。
すかさず
「水平飛行に移ったため回転を下げました。故障ではありません」
というアナウンスが入り、皆ほっとして苦笑したのを覚えている。

往時は旅客機にも1機ごとに名前がつけられていた。
写真の童友社の模型は「オリンピア号」。
(自分の乗ったYS-11に名前があったかどうかは記憶に無い)
日本で独自に開発された最初の(結果的に最後の)旅客機という
思い入れが、誰の心にもあるからこそニュースでも取り上げられるのだろう。

現在の経済環境から考えて、
日本が再び独自に旅客機を開発することはありえないし
旅客機に限らず
経済効率を度外視してまで何かを成し遂げようとするパワーが
今の日本には無くなっているような気がする。
(もちろん、一攫千金を狙うベンチャー系の活動とは次元の違う話)

YS-11は
モノづくりにまだ人間臭さが残っていた時代の傑作なのだ。

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