加藤訓子 スチールドラムワークス2011
加藤訓子サウンドエクスペリメント
Steel Drum Works 2011
3月29日(火)、30日(水) 横浜赤レンガ倉庫一号館にて。

ここのところ加藤訓子が取組んでいる
スチールドラムによるコンサートシリーズ。

昨年は行き損なっていたので
ほぼ2年ぶりに聴く加藤訓子の音。
最近はまり込んでいるボカロとは対極の
生身の人間の、生の音世界。
曲目は定番の「アンビル・コーラス」から
これもいつも通りのインスタレーション
「プラネットアース」
そしてバッハをはさんで
最近特に力を入れているライヒの作品を2曲。
最後は観客と一緒になって演奏する「ボレロ」と
構成自体は一昨年の内容とほぼ同じ流れだ。
大きく違うのは
演奏そのものの迫力が一層増した一方で
繊細なディテールの表現がさらに研ぎ澄まされて
以前にもまして鬼気迫る迫力というか
生々しい生命力がみなぎっているように感じられたことだ。
ドラム缶やその他の楽器による音づくりが進歩していることや
音響効果のせいかもしれないし、
こういう時期だからかもしれない。
これまで聴いていた彼女の音づくりの印象は
スチールドラムの金属的な音色が
どこかコズミックな色調を帯びているせいもあって
宇宙や生命というものが抽象的な
イメージとして描かれていたような気がする。
それが根本的にちょっと「巫女」的な雰囲気を
醸し出していた。
それが年々パフォーマンスを重ねるにつれ
加藤訓子自身の肉体をもった生命力を
直接的に訴えかけてくるようになっているのではないかと思う。
「プラネットアース」では
空気や水や土を打楽器の性質で弾き分ける
表現方法は変わらないはずなのに
クライマックスでの連打が壮大な宇宙観というよりも
まるで鬼太鼓座の太鼓を聴いているような
人間の、肉体の迫力で圧倒されるというのは
これまでにはなかったような気がする。
(強いて言えば、「アステリズム」のときの
インパクトに近いかもしれない)
今回最も面白かったのはライヒの作品で、
事前に録音した自作テープとの共演による2曲。
ミニマルミュージックという
既成の範疇からは逸脱するようなノリの良さは
ほとんどロックミュージックと変わらない。
ライヒを聴いてこんなにワクワクする気持ちになったのは
初めてだ。
単純なメロディのリフレインが複雑に絡みながら
変容していく様は
まるで小さな生命が寄り集まって
大きな力に生まれ変わっていく様子を
目の当たりにするようだった。
演奏冒頭や曲間にはさまれた(?)
Song from Brazil~というラテン系の歌声や
雑踏のノイズがそうした「人間くささ」をさらに
強調していたように思う。
こういう時期に聴いたせいもあるのかもしれないが
ひとつひとつの音が連なり、重なってまったく次元の違う
音世界に昇華していく生命感みなぎる演奏は
萎えかかっていた気持ちに大きな力を与えてくれるものだ。
いまは大変かもしれないけれど
力を合わせていけば、また何とかなるよ、という
気にさせられるのだ。
今回のシリーズでは、横浜の前に
11日(金)と12日(土)に愛知で開催された。
昨日と今日の演奏会を中止することも考えたそうだが
こういう時だからこそ、と心を決めて開催されたそうだ。
その決心はやはり正しかったと思う。
昨日と本日の演奏会はU STREAMで同時放送されていた。
日本国内で、世界のどこかで今日の演奏を聴いて
力を与えられた人々がいるに違いない。
日本では天災が襲いかかり、再び原子力の猛威が生活を脅かしている
中東では民衆が蜂起し、テロと戦争が勃発している。
ともすれば人間不信に陥ってしまいそうだが
そんなときこそ、人間の創造力を信じたい。
今日の加藤訓子の演奏には、そんなメッセージが込められていたのだと思う。
加藤訓子サウンドエクスペリメント
Steel Drum Works 2011
3月29日(火)、30日(水) 横浜赤レンガ倉庫一号館にて
一番上の写真で右側に写っているのは
2009年アサヒホールでのライブDVD。
会場で限定販売されていたもの。
加藤訓子サウンドエクスペリメント
Steel Drum Works 2011
3月29日(火)、30日(水) 横浜赤レンガ倉庫一号館にて。

ここのところ加藤訓子が取組んでいる
スチールドラムによるコンサートシリーズ。

昨年は行き損なっていたので
ほぼ2年ぶりに聴く加藤訓子の音。
最近はまり込んでいるボカロとは対極の
生身の人間の、生の音世界。
曲目は定番の「アンビル・コーラス」から
これもいつも通りのインスタレーション
「プラネットアース」
そしてバッハをはさんで
最近特に力を入れているライヒの作品を2曲。
最後は観客と一緒になって演奏する「ボレロ」と
構成自体は一昨年の内容とほぼ同じ流れだ。
大きく違うのは
演奏そのものの迫力が一層増した一方で
繊細なディテールの表現がさらに研ぎ澄まされて
以前にもまして鬼気迫る迫力というか
生々しい生命力がみなぎっているように感じられたことだ。
ドラム缶やその他の楽器による音づくりが進歩していることや
音響効果のせいかもしれないし、
こういう時期だからかもしれない。
これまで聴いていた彼女の音づくりの印象は
スチールドラムの金属的な音色が
どこかコズミックな色調を帯びているせいもあって
宇宙や生命というものが抽象的な
イメージとして描かれていたような気がする。
それが根本的にちょっと「巫女」的な雰囲気を
醸し出していた。
それが年々パフォーマンスを重ねるにつれ
加藤訓子自身の肉体をもった生命力を
直接的に訴えかけてくるようになっているのではないかと思う。
「プラネットアース」では
空気や水や土を打楽器の性質で弾き分ける
表現方法は変わらないはずなのに
クライマックスでの連打が壮大な宇宙観というよりも
まるで鬼太鼓座の太鼓を聴いているような
人間の、肉体の迫力で圧倒されるというのは
これまでにはなかったような気がする。
(強いて言えば、「アステリズム」のときの
インパクトに近いかもしれない)
今回最も面白かったのはライヒの作品で、
事前に録音した自作テープとの共演による2曲。
ミニマルミュージックという
既成の範疇からは逸脱するようなノリの良さは
ほとんどロックミュージックと変わらない。
ライヒを聴いてこんなにワクワクする気持ちになったのは
初めてだ。
単純なメロディのリフレインが複雑に絡みながら
変容していく様は
まるで小さな生命が寄り集まって
大きな力に生まれ変わっていく様子を
目の当たりにするようだった。
演奏冒頭や曲間にはさまれた(?)
Song from Brazil~というラテン系の歌声や
雑踏のノイズがそうした「人間くささ」をさらに
強調していたように思う。
こういう時期に聴いたせいもあるのかもしれないが
ひとつひとつの音が連なり、重なってまったく次元の違う
音世界に昇華していく生命感みなぎる演奏は
萎えかかっていた気持ちに大きな力を与えてくれるものだ。
いまは大変かもしれないけれど
力を合わせていけば、また何とかなるよ、という
気にさせられるのだ。
今回のシリーズでは、横浜の前に
11日(金)と12日(土)に愛知で開催された。
昨日と今日の演奏会を中止することも考えたそうだが
こういう時だからこそ、と心を決めて開催されたそうだ。
その決心はやはり正しかったと思う。
昨日と本日の演奏会はU STREAMで同時放送されていた。
日本国内で、世界のどこかで今日の演奏を聴いて
力を与えられた人々がいるに違いない。
日本では天災が襲いかかり、再び原子力の猛威が生活を脅かしている
中東では民衆が蜂起し、テロと戦争が勃発している。
ともすれば人間不信に陥ってしまいそうだが
そんなときこそ、人間の創造力を信じたい。
今日の加藤訓子の演奏には、そんなメッセージが込められていたのだと思う。
加藤訓子サウンドエクスペリメント
Steel Drum Works 2011
3月29日(火)、30日(水) 横浜赤レンガ倉庫一号館にて
一番上の写真で右側に写っているのは
2009年アサヒホールでのライブDVD。
会場で限定販売されていたもの。