ちょこ歴旅

歴史旅…というほどじゃない、気楽な史跡巡り備忘録
(※和菓子ネタはブックマーク「和菓子の国の人だから」へGo!)

大宇陀そしてニホンオオカミに会いに

2012年05月06日 12時07分13秒 | オートバイ
国道309号線で水越峠(トンネル)を抜け
奈良県へ向かいます。
ロードバイクならトンネルの上を超える
旧道を汗をかきかき走るところですが、
なにしろ今日はオートバイ、エンジン付き
のうえトンネルを抜けるので楽ちん。

奈良県に入ると北上し、あとは国道165、
166号線を東へ走ると大宇陀に到着。

ここ大宇陀または大和松山(奈良県宇陀市
大宇陀区)は織田家4代の陣屋町、織田家
の丹波柏原への転封後は幕府直轄領として
栄えた町。
現在も多くの古い建物が軒を並べ、重要
伝統的建造物群保存地区(略して重伝建)に
指定されています。
ちなみに重伝建は全国に93地区あって、
大阪では富田林、奈良ではここと今井町、
五條新町が指定されています。

早速、道の駅にバイクを停めて歩いて町へ。
川に架かる橋を渡ると左手に古い門があり、
ここから内が旧陣屋町。

<西口関門>

織田家の松山陣屋唯一の建築遺構。

門をくぐり右折した後、大手筋を進むと、
松山陣屋の入口にあたる春日門跡の櫓台が
残っています。
ここは町屋と松山陣屋またはそれ以前に
あった大和松山城との境目。

<春日門跡の櫓台>


春日神社の参道脇から裏山に続く道があり、
15~20分ほど登ると織田信雄(信長の次男)
が麓に陣屋を築くまで支配拠点だった
大和松山城の主郭部の跡に辿りつきます。

<大和松山城>
左から登城道、天守台、天守台からの眺め

関ヶ原の戦い(1600年)の後に福島孝治
(正則の弟)がそれまでにあった城を大改修
しましたが、1615年の孝治の改易に伴い
破却されたそうです。
天守台だったと思われる高台に上ると、
爽やかな風が気持ち良く、なかなかの眺望。
町から見上げた時は小さな丘に見えたけど、
どうやら立派な山城だったようです。

山を下りて町並みを見学。
さすがに重伝建に指定されているだけあって
趣のある建物が並びます。

<重伝建の町並み>


建物を撮影していると町屋独特の二階の小窓、
虫籠窓(むしこまど)に興味が湧いてきました。

<いろいろな虫籠窓>

こうして見ると結構色々な形があって、
撮影も楽しい。

続いて「酒蔵通り」という、なんとも嬉しい
名前の通りに向かいます。
以前は造り酒屋が数軒あったそうですが、
現在は2軒だけとのこと。

<久保本家酒造、特別純米酒「初霞」>

久保本家酒造さんで特別純米「初霞」を
1本購入。(720ml \1,300)
元禄15年(1702年)創業の老舗で、生もと造り
という昔ながらの手法で酒を造っているとか。
(帰宅後に飲みましたが、少し黄色がかった
見た目ですが、くせもなく飲みやすい。)

大宇陀の町を堪能し、再びバイクで移動。
国道166号線を南下、途中で伊勢方面との
分岐を五條方面に道をとり、東吉野村へ。
分岐後すぐに天誅組終焉の地という石碑が。

<天誅組終焉の地の石碑>

討幕を目指した吉村寅太郎ら天誅組が1863年
に幕府軍の追討を受けて戦死した地。
明治維新の先駆けとなりましたが、
時代より少~し早すぎたんでしょうね。

さらに五條を目指して、吉野川の支流である
鷲家・高見川沿いを風を感じつつ走ります。
5分ほど走ると、今日の目的物を発見!

<ニホンオオカミ像、周辺の景色>

明治38(1905)年、東吉野村で捕まった
雄のニホンオオカミが最後の捕獲記録。
その標本はイギリスの大英博物館に保存
されているそうです。
ちなみに剥製は国内に3体しかなく、
うち1体は和歌山県立自然博物館にあり。

「最後のニホンオオカミ」このフレーズに
惹かれここまでやって来たようなものです。
ここから見えるあの山にニホンオオカミが
いたと考えるとロマンを感じますね~。

ここからは川沿いの道をニホンオオカミ
のようにワイルドに?五條まで走り、
金剛トンネルを抜けて自宅へ帰りました。

今日の走行距離は166km、エンジン付きでも
結構疲れました。


~今回の甘いもん~
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010(奈良)大宇陀 きみごろも

いざ能勢へ

2012年03月28日 21時38分17秒 | オートバイ
平日の休みを利用して、前から気になっていた
大阪府の最北端、能勢へバイクツーリングに。
大阪市内から国道176、173号線を北上し、
途中でちょっと寄り道。
多田駅前交差点を西へ折れ、兵庫県川西市に
ある多田神社へ。

<多田神社>

ここ多田神社は清和源氏発祥の地。
清和源氏の霊廟で、源満仲、頼光、頼信、
頼義、義家を祀っています。
源氏の流れを汲む足利氏や、源氏を称した
徳川氏も多田神社を源氏霊廟として崇めて
いたそうです。

正門にあたる南大門前には立派な石段手前を
流れる猪名川の急流。
境内は広く、本殿、拝殿、 随神門は重文。
恥ずかしながら、こんなに立派な神社とは
知りませんでした。
しかし、平日で参詣する人もほとんどなく、
ご近所さんらしき方が2~3人いるばかり。
NHK大河ドラマで「平清盛」もやって
いるので、ここが平氏発祥の地ならきっと
観光客もいたでしょうね。

参詣を済ませ、国道173号線を再び北上。
一の鳥居交差点で国道477号線へと分岐、
急に空気がひんやりしてきた。
景色も変わり交通量の少ない山間の適度な
ワインディングロードが続き、へたっぴな
私でも気持ち良く走れます。
走ること10kmほどで次の目的地である
地黄陣屋跡に到着。

<地黄陣屋跡>

跡地は能勢町立東中学校の敷地となってますが、
今も残る周辺の石垣は旗本陣屋とは思えない
ほど立派。
この陣屋は慶長7年(1602年)に能勢頼次に
よって築かれ、かつては三層の櫓まで建てられ
ていたそうです。

能勢氏は清和源氏の流れを汲む当地の土豪。
能勢頼次は本能寺の変で一時領地を失った後、
関ヶ原の戦いで東軍に属して旧領を回復、
さらに、大坂の役でも加増されて一万石余りを
領したそうです。
頼次の死後、兄弟間で分地され、幕末には
四千余石の旗本だったそうです。

石垣を撮影しているすぐ近くでは、女子中学生
がテニスの練習中。
あんまり怪しまれないうちに早めに退散します。
城跡って公立の中学や高校になっているケース
が多くて、困ります…。

まだ時間が早いので、さらに北上すること20km、
京都府南丹市にある園部陣屋跡へ。

<園部陣屋跡>

但馬出石から移封となった小出吉親が元和7年
(1619年)に3万石の陣屋として築城。
幕末の動乱期、いざという場合に天皇を迎える
ことを口実に明治元年(1868年)に大規模改修
に着工、翌年に完成したそうです。
その時に完成した大手門、番所、巽櫓が現在
京都府立園部高校の正門。
この大手門は門上に櫓がある一見立派な櫓門
形式ながら、櫓内は梁が頭にぶつかるほど低く、
とうてい実戦の役に立たない代物のようです。

それにしても、ここもやっぱり学校…。
実は3年前に来たんですが、学園祭か何かで
正門周りに学生が一杯。
結局、写真も撮れずに引き返した思い出が…。

その後、能勢に引き返して秋鹿酒蔵さんに
立ち寄り、純米吟醸生酒「秋鹿」を購入。
(720ml \1,522)
ところで、事務所で注文して代金を支払うと、
「ちょっと待っててね」と言い残したまま
オバちゃん15分ほど帰ってきませんでした。
近所の酒屋に買いに行ったのでしょうか…。

<秋鹿酒造、純米吟醸生酒「秋鹿」>

ここは明治19年 (1886年)創業の大阪を
代表する酒蔵メーカー。
米作りから酒造りを始めるシャトー型の
形態をとり、自営田と近隣農家の契約田
から獲れる高品質な酒米で、純米酒だけを
造っているそうです。
帰って飲むのが楽しみです♪

結局、180km走行し、午後4時に帰宅。
昨日よりはましだったとはいえ、まだまだ
寒くて運転で肩凝った~!
もっと暖かくならないとダメですね。
(反省)


~今回の甘いもん~
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009(大阪)能勢 丁稚ようかん

御三家の城下町和歌山へ

2012年03月03日 23時48分07秒 | オートバイ
「あと1週間だけ我慢…」と、ロードバイク
復帰したい気持ちをグッと抑え、今週も
オートバイで歴史ツーリング。

3月になりようやく春の兆しが感じられつつ
あるものの、まだまだ寒い。
ならばほんの少しでも南へ、と考え国道26
号線をひたすら南下。
途中26号線バイパスでスピードアップし、
自宅から1時間あまり、紀ノ川を渡ると
目の前に現れる和歌山城天守。

和歌山城は豊臣秀吉の弟秀長の重臣、桑山
重晴が城代として本丸部分を中心に築城。
関ヶ原の戦い後は浅野幸長が37万6千石
で入城し、二の丸部分を整備。
浅野氏が広島に移封すると、徳川家康の
第十子、頼宣が55万5千石で入城し、
御三家の居城にふさわしく大規模な整備を
行った城。

また、適度な高さの山に築かれているため
(平山城)、城下のどこからでも天守が
眺められます。
やっぱり何度見てもいい景色です。

<城下から見た和歌山城天守>

まずは、ぐるりと一周して、いろいろな
角度から見て楽しんだ後、いよいよ城内へ。

<西の丸庭園、御橋廊下>

御橋廊下は二の丸と西の丸を藩主が渡るため
に造られ、現在のものは復元。
右端は御橋廊下の中の様子、歩いて渡れます。

<天守>

大小天守、櫓、御台所などが多聞で繋がる
連立式天守の形態。(登閣料\400)
江戸初期の天守焼失後、嘉永3年(1850年)
に再建されたものの、第二次大戦の戦火で
昭和20年(1945年)再び焼失。
現在のものは昭和33年(1958年)に
鉄筋コンクリートで外観復元されたもの。

第二次大戦の戦火でなくなった天守は他にも
たくさんありますが、名古屋、水戸、そして
和歌山の御三家の城が同様に天守を失って
いるのも運命のいたずらかも…。
やっぱり貴重な文化財がなくなるのって残念。

<天守からの眺め>

紀ノ川の河口に広がる海。

天守に続く多聞櫓の中にはNHK大河ドラマ
「八代将軍 徳川吉宗」(平成7年放送)で使用
した襖絵セットが飾られています。
でもやっぱり吉宗といえば「暴れん坊将軍」、
松平健さんが白馬に跨り浜辺を駆けるあの
シーンが思い浮かぶ。

<追廻門>

数少ない現存建築、魔除けのため元は朱塗り
だったそうです。

<岡口門(重要文化財)>

背景に天守が見えていい感じ。

<岡山の時鐘堂>

和歌山城から三年坂通りを挟んで南の丘陵上に
ある鐘撞き堂。
時間だけでなく火事などの災害を知らせるため
吉宗が五代藩主時代に造営。

<城下町の武家屋敷長屋門>

和歌山城下に残る数少ない貴重な建築。
実際はもっと長いけど、前に車を停めて昼寝中
のおっさんが映らない範囲で…

さて、次は万葉の時代からの景勝地、和歌浦へ。
県道15号線(大浦街道)を南下15分で到着。

<和歌浦の風景、不老橋>

聖武天皇行幸の際、山部赤人が詠んだ歌が
万葉集におさめられているそうです。
「若の浦に 潮満ち来れば 潟をなみ
葦辺をさして 鶴(たづ)鳴き渡る」
雅ですな~…嘘、意味は良く分かりません。
真ん中は観海閣から見た紀三井寺。
右の不老橋は、第10代藩主徳川治寶の命に
よって建造された石造の橋。

最後に、近くにある紀州東照宮へ。
ここは日本全国にある東照宮の紀州版。
社殿は本家日光と同様に左甚五郎の彫刻や
狩野派、土佐派の絵画で彩られ、重要文化財
に指定されています。

<紀州東照宮>

見上げるような一直線の石段、登りは疲れ、
下りはかなり怖い。
階段を数えてみたら、107段かと思ったら
一番下に微妙な一段が…。
煩悩と同じ108段なんでしょう(たぶん)。

この後、和歌山城下で和菓子を購入して帰宅、
走行距離130kmのツーリングでした。

来週こそはロードバイクに乗るぞ~!


~今回の甘いもん~
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006(和歌山)和歌山 本ノ字饅頭

金魚の町大和郡山へ

2012年02月26日 22時17分39秒 | オートバイ
先々週の岸和田、先週の河内長野に続き、
今週も大和郡山へオートバイでプチ歴史
ツーリングに出掛けます。

寒いので、早朝を避け午前9時半に出発。
府道12号線(堺大和高田線)を東へ、
近鉄大阪線の河内国分駅付近から国道25号線
に合流、法隆寺前を過ぎ「中宮寺東」交差点
から県道9号線を北上すれば11時頃には
大和郡山へ到着。

大和郡山市は奈良県の北部、奈良市の南西に
位置する人口9万人弱の都市。
豊臣秀吉の天下統一を支えた弟「大和大納言」
豊臣秀長の城下町。
また、江戸時代に武士の副業として広まった
金魚の養殖が有名です。

<大和郡山城の追手門とその周辺>

追手門、追手向櫓、追手東隅櫓等は市民の
寄付により再建されたもの。

大和郡山城は筒井順慶の後、1585年に
豊臣秀長が大和・紀伊・和泉の3ヶ国に
河内の一部を加え110万石の大大名として
入部し、それに相応しい城にするため大改修。
1591年秀長が没し、養子秀保も1595年に
急死すると、豊臣家五奉行の一人増田長盛が
入城、関ヶ原の戦いの後は松平、本多など
徳川譜代大名が相次いで入城し、その後は
1724年に柳沢吉里が甲府城から15万石で入城。
6代続いて明治維新を迎えたそうです。

<大和郡山城天守台、天守台からの眺め>

お地蔵さんや墓石が組み込まれた天守台からは
奈良の町並みが見渡せます。

<柳沢文庫>

城内にあり、郡山藩主柳沢家の資料や書物が
展示されています。(入館\200)

今日は「盆梅展」が開催され、お城に多くの人が
集まり、撮影スポットに自転車が停まってたり…
写真が撮れない…。
まぁ、何度も来ているのでもういいか。
気を取り直し、今度は城下町をブラブラ。

<城下町の建築>

今なお風情ある建物が散見されます。
左端は元造り酒屋、右端の洋風建築は明治時代
のもので現役の小児科医院。

大和郡山の城下町は箱本十三町と呼ばれる自治
組織があったそうです。
豊臣秀長がこの地を治めていた時、商業保護の
ため同業者を一地区に集め、営業上の独占権を
与え、これを書き記した文書を箱に納めて
十三の町が一月ごとに持ち回りで保管。
当番町の代表者である「年寄」が城下町の責任者
として自治にあたったとのこと。

<箱本館紺屋>

紺屋町は江戸時代は紺屋が立ち並んだところで、
道中央に用水路があります。
ここは江戸時代の町屋を修復した建物で、藍染め
の道具・金魚コレクションが展示されており、
藍染め体験もできる施設。

<こちくや>

紺屋町にあり、面白い金魚グッズがたくさん。

<源九郎稲荷神社>

源義経がこの稲荷(狐)に助けられたことに感謝し、
源九郎の名を贈ったという由緒ある神社(らしい)。

<大納言塚>

城下町の外れにある豊臣秀長公の墓所。

大和郡山は案内図で見るよりもずっと
コンパクトで歩きやすい。
城下町を一通り見たし、せっかくなので
金魚関連の施設も見たい…
という訳でやって来ました。

<金魚の養殖池>

以前より減ったとはいえ、今でも養殖池が
たくさん。
柳沢吉里が甲斐の国より転封してきた際に
持ち込み、その後武士の副業として拡がった
金魚養殖は現在も大和郡山の特産品。
なんと年間8000万匹の金魚を生産し、
全国シェアの40%を占めるそうです。

<金魚の群れ>

出荷直前の池の中は、朝のラッシュアワー
並みです。
このツラさ分かるな~。

後で知ったのですが、大和郡山には赤い金魚
がデザインされたマンホールやゆるキャラ
「きんとっとくん」もいるそうです。

さて、ちゃんとお土産の和菓子も買ったし、
寒いので、そろそろ帰ります。
大和郡山、意外とおもしろかったな~、
探せばもっと色々ありそうです。

帰路は国道24号線バイパスを南下、新堂から
国道165号線を西へ竹内峠越え。
走行距離は106キロのプチツーリングでした。


~今回の甘いもん~
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004(奈良)大和郡山 御城之口餅
005(奈良)大和郡山 源九郎餅

ちょこっと河内長野へ

2012年02月19日 17時31分46秒 | オートバイ
先週に引き続き、今週もまだロードバイクに乗れないので…
またしてもオートバイでプチ歴史ツーリングです。
目指すは大阪府の南東部、河内長野市。
つまり河内、その中でも南河内といわれる辺り。

河内といえば、「えんやこらせ~どっこいせ~…」で始まる
お馴染み『河内音頭』やミス花子さんの名曲『河内のオッサンの唄』、
「おー、よう来たのワレ~まあ上がって行かんかいワレ~…」という
勇ましいフレーズが頭をよぎるけど、それはもっと北の地域かな?

とにかく、オートバイで国道310号線を南下、七つ辻交差点で
国道371号線へと直進し三日市駅方面へ。
ちなみに七つ辻は国道170号(旧道)、310号、371号(旧道)
が交差しているほか市道も含めてその名の通り七つではなく実は八つ、
見方によっては九つの道が集まるややこしい交差点。

<七つ辻>

こんな感じ。

この七つ辻から国道371号線を南へ1kmほどの小さな交差点を
右折すれば、右手に現れる小山にあるのが烏帽子形城跡。

<烏帽子形城跡全景>

ロードバイクでは麓を頻繁に走ってるけど、この城跡を訪れるのは
今日が初めて。
早速、オートバイを公園の駐車場に停めて、いざ出陣!

ちなみに、この烏帽子形城は高野街道に睨みを利かせる交通の要衝で、
1332年に楠木正成が赤坂城の出城として築城したもの。
室町時代には河内守護・畠山氏の家督争いの舞台となり、1615年
橘正治が大坂の陣の戦功により2千石(旗本)で城主となったものの
城を維持できずに1617年に廃城となったそうです。

<烏帽子形城跡の空堀>

画像で見るよりももっと両側の斜面が急で、取り囲まれている感があり、
明らかにに人の手が加わっていることが分かります。

<烏帽子形城跡の主郭からの眺め>

土づくりで砦に近い感じですが、高野街道を見下ろせます。

烏帽子形城跡を後にし、南海高野線三日市駅方面へ。
この辺は高野街道の宿場町として栄え、現在も数件の旧家が残っています。

<高野街道三日市宿の家並み>

やはり旧街道の家並みは風情があって落ち着きますね~。
幕末、京都を出発した吉村寅太郎ら天誅組が、五條代官所攻め、
高取城攻めに向かう前にここ三日市宿に宿泊、観心寺の楠木正成
の首塚に詣でるため、立ち寄ったそうです。

私も天誅組と同じく、三日市宿から観心寺へ。
ここはロードバイクで奈良県の五條市方面へ向かう際に必ず
立ち寄る休憩ポイント。
しかし、シューズの靴底にはクリート(ペダルと一体化する器具)
が着いていて歩けないので、拝観せずにお手洗いを拝借するのみ。
そういうわけで、今日は小学校以来ウン十年ぶりの拝観です。

ここ観心寺は西暦701年に修験道の開祖・役行者が開き、後に
弘法大師空海が真言宗の道場とした由緒ある寺院。
また、「大楠公」楠木正成とも深い縁があり、後醍醐天皇の勅令で
奉行として金堂の造営にあたったほか、自身でも三重の塔の造営に
あたったそうです。(拝観料:大人\300)

そんな由緒あるお寺で、お手洗いを拝借するのみとは罰当たり。

<観心寺山門>


<観心寺金堂(国宝)>

室町時代初期の和様、禅宗様、大仏様の折衷様式で大阪府下
最古の国宝建築です。
いつもお世話になっているので、お賽銭は大目に…金額は秘密。

<観心寺 楠公建掛塔(重要文化財)>

楠木正成が三重の塔の造営にあたったが、その途中1336年の
湊川の戦いで敗死したため、今の姿となったとのこと。
いかにも建て掛けらしく、屋根が茅葺の簡易的なものです。
今日は寒かったため昼にも関わらず、つららが下がっています。

<楠木正成公首塚>


<楠木正成公銅像>


霊宝館内には重要文化財クラスの貴重な仏像がたくさんあったけど、
仏像に心惹かれるほど悟っていないので、早々に退散。

それにしても「観心寺ってこんなに広かったのか~」と改めて感心。
あっ、これは駄洒落じゃないですよ!(念のため)。

午後1時、まだ早いけど、日差しが暖かいうちに帰ります。
来週こそはロードバイクに乗るぞと心に誓い、鼻唄を口ずさみつつオ
ートバイにまたがるのでした…。

「おー、よう来たのワレ~ まあ上がって行かんかいワレ~ 
 ビールでも飲んで行かんかいワレ~ 久しぶりやんけワレ~
 何しとったんどワレ~ 早よ上がらんけオンドレ何さらしとんど~
 河内のおっさんの唄~ 河内のおっさんの唄~♪」

ふらりと岸和田へ

2012年02月11日 21時44分05秒 | オートバイ
ブログを始めました。
これから、オートバイで歴史スポットに
出掛けたり、
ロードバイクで走ったり、徒然なるまま
書いていきます。


今日はこの季節にしては暖かく、最高の
お出かけ日和。
NHK連続テレビ小説「カーネーション」で
盛り上がる岸和田をオートバイで訪問。
といっても自宅からほんの30分ほど。
これでもツーリング…?

岸和田は、寛永17(1640)年に摂津国
高槻から岡部宣勝が入城して以来、明治維新
まで岡部氏が13代にわたって治めた岸和田
藩5万3千石の城下町。

ともかく、まずはシンボル岸和田城から。
<本丸と天守を南東から見た景観>

この角度が個人的にお気に入り。
この三層の白亜の天守は昭和29年に鉄筋
コンクリート造りで復興されたもの。
本来の天守は松本城や岡山城同様に、五層の
下見板張りで、小出秀政により築かれました。
残念ながら、文政10(1827)年に落雷
によって焼失。
もしも五層の黒い天守が聳えていたら、
壮観だったでしょうね。

訪れた時、二の丸跡の広場や本丸を取り囲む
内堀周りの遊歩道が工事中…。
どうやら工事が終わるのは「カーネーション」
の放送終了の頃…
やっぱり、お役所のやることはずれてる。

岸和田城は本丸、二の丸の石垣と堀が残り、
大阪府下では他に大阪城ぐらいしかない
貴重な遺構。
その割には世間の注目度が低いのが残念。
やっぱり「岡部の殿様」が誰もが知るような
ビッグネームではないからでしょうか。

<二の丸から見た城下>

旧26号線沿いの趣のある屋敷の向こう側が
紀州街道。

<西側から二の丸を見る>


<だんじり会館>

岸和田といえばだんじりですが、今日はパス。

<紀州街道の街並み>

お城の西側、紀州街道は古い街並みが保存され
ていい感じ。
きっと住民の協力があるからなんでしょうね。

<紀州街道沿いにある円成寺>

街道沿いの円成寺の門に龍の彫り物を発見。

<武家屋敷>

次は城の東側へ移動し、貴重な上級武家屋敷の
長屋門を撮影。
この辺りの見通しの悪い道はいかにも城下町。

<自泉会館>

二の丸の北側にある自泉会館という市の施設。
元は岸和田紡績の倶楽部の建物として昭和7年
(1932年)に建てられたというスペイン風
の小粋な建物。

<旧泉州銀行本店>

昭和34年(1959年)村野藤吾氏の手に
よる重厚な建物。
村野さんって、かなり有名な建築家らしい。

<洋裁コシノ、カーネーションギャラリー>

商店街は「カーネーション」放送中のため、
なかなかの賑わい。
以前にこの辺りで働いていた頃は祭り以外で
こんなに賑わうのを見たことなかったけど、
まだまだNHKの影響力は馬鹿にできんな~。

<お好み焼きの福村>

お昼になったので、馴染みのお好み焼き屋へ。
「モダン焼き:\700」おいしかったな~。
大阪ミナミやキタでこのボリューム、味なら
\900ぐらいするはず。
また、商店街より一本北の通り沿いなので、
落ち着いて食事ができます。

午後1時半、お腹もいっぱいになったから
そろそろ帰ります。

岸和田には他にも見どころがたくさんあって、
食も充実、和菓子なら「むらさめ」以外に
「くるみ餅」、地酒、水茄子、がっちょ、
しゃこ、わたり蟹などなど…。
近いのでまた来るか~。


~今回の甘いもん~
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001(大阪)岸和田 時雨餅