昨日はあまりの強風にロードバイクを断念。
今日はその分を取り返そうと、張り切って
います。
ちなみに、本日の目的地は奈良公園周辺です。
まずは堺から大和川沿いに走り、奈良県浄化
センターからは北東へ。
やがて天理市の櫟本(いちのもと)に到着。
上街道(上ツ道)の古い道標、
「右なら、左たつた みち」。
以前ここから左(南)、櫟本~柳本間を
走りましたが、今日は右(北)に向かいます。
(以前の様子はこちら)
上街道沿いの風景。
右:帯解寺(おびとけでら)、安産祈願で
有名だそうです。
江戸時代には二代将軍秀忠の正室お江与の方、
三代将軍家光の側室御楽の方が安産祈願、
近年でも美智子皇后、雅子皇太子妃をはじめ
皇族の方々も安産祈願されたそうです。
櫟本から約20分で「ならまち」に入ります。
古い街並みがいい感じです。
私には用なしですが、この辺りにはこじゃれた
カフェなどもあり大人のデートにピッタリ。
そんな「ならまち」を抜けると、目の前に
猿沢池が広がります。
左奥に見えるのが興福寺南円堂(重文)、
やや右奥に見えるのが五重塔(国宝)。
ついでに愛車とともに。
ここまで来たので、興福寺に立ち寄ります。
左手にあるのが1415年再建の東金堂(国宝)、
右手の五重塔(国宝)は1426年頃の再建で
高さ50.1mと東寺の五重塔に次ぐ日本で
2番目に高い木造塔。
興福寺は平城京遷都(710年)に際し、
藤原不比等が藤原京の厩坂寺を移転させ
改名したもの。
その後、藤原氏の氏寺という私的存在ながら、
朝廷の保護を受けて栄え、室町時代の大和の
国は興福寺の勢力下にあったそうです。
さて、まだまだ走り足りないですが、
そろそろ帰りますか~。
おっと!その前にシンボルを撮影しなくては。
角が2~3cmぐらいで、まだ小鹿といえる
ぐらいの若い雄鹿。
これでも立派な春日大社の神の使いです。
鹿くんに別れを告げ、奈良自転車道
(西京~大和郡山~斑鳩)~大和川沿いに
帰りました。
ちなみに大和川沿いはひどい逆風でヘロヘロ。
さっきまでの強気(走り足りない発言)は
一体どこへやら…
無理せず早目に帰ってきてよかった~。
本日の走行距離は108km、月間では
468kmとなりました。
たまたま108km…まだまだ煩悩が多い
ってことでしょうか?
~今回の甘いもの~
※姉妹ブログ「和菓子の国の人だから」へGo!
042(奈良)奈良 奈良町だんご
今日はその分を取り返そうと、張り切って
います。
ちなみに、本日の目的地は奈良公園周辺です。
まずは堺から大和川沿いに走り、奈良県浄化
センターからは北東へ。
やがて天理市の櫟本(いちのもと)に到着。
上街道(上ツ道)の古い道標、
「右なら、左たつた みち」。
以前ここから左(南)、櫟本~柳本間を
走りましたが、今日は右(北)に向かいます。
(以前の様子はこちら)
上街道沿いの風景。
右:帯解寺(おびとけでら)、安産祈願で
有名だそうです。
江戸時代には二代将軍秀忠の正室お江与の方、
三代将軍家光の側室御楽の方が安産祈願、
近年でも美智子皇后、雅子皇太子妃をはじめ
皇族の方々も安産祈願されたそうです。
櫟本から約20分で「ならまち」に入ります。
古い街並みがいい感じです。
私には用なしですが、この辺りにはこじゃれた
カフェなどもあり大人のデートにピッタリ。
そんな「ならまち」を抜けると、目の前に
猿沢池が広がります。
左奥に見えるのが興福寺南円堂(重文)、
やや右奥に見えるのが五重塔(国宝)。
ついでに愛車とともに。
ここまで来たので、興福寺に立ち寄ります。
左手にあるのが1415年再建の東金堂(国宝)、
右手の五重塔(国宝)は1426年頃の再建で
高さ50.1mと東寺の五重塔に次ぐ日本で
2番目に高い木造塔。
興福寺は平城京遷都(710年)に際し、
藤原不比等が藤原京の厩坂寺を移転させ
改名したもの。
その後、藤原氏の氏寺という私的存在ながら、
朝廷の保護を受けて栄え、室町時代の大和の
国は興福寺の勢力下にあったそうです。
さて、まだまだ走り足りないですが、
そろそろ帰りますか~。
おっと!その前にシンボルを撮影しなくては。
角が2~3cmぐらいで、まだ小鹿といえる
ぐらいの若い雄鹿。
これでも立派な春日大社の神の使いです。
鹿くんに別れを告げ、奈良自転車道
(西京~大和郡山~斑鳩)~大和川沿いに
帰りました。
ちなみに大和川沿いはひどい逆風でヘロヘロ。
さっきまでの強気(走り足りない発言)は
一体どこへやら…
無理せず早目に帰ってきてよかった~。
本日の走行距離は108km、月間では
468kmとなりました。
たまたま108km…まだまだ煩悩が多い
ってことでしょうか?
~今回の甘いもの~
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