ちょこ歴旅

歴史旅…というほどじゃない、気楽な史跡巡り備忘録
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右か左か

2013年08月27日 17時39分51秒 | ロードバイク
う~ん悩む…右に行くべきか?左に行くべきか?

左(北)に行けば木津川~桂川沿いに嵐山、右(南)に行けばすぐに奈良市街。
結局、北の空に雨雲が見えたので右に決定!
いや、別に嵐山が遠いから恐れをなしたわけじゃないですよ…。

今日は一週間連休の6日目、ようやくロードバイクに乗ってヤル気満々。
大和川沿いに柏原~斑鳩~奈良CLを走り、問題の分岐点に到着。
散々迷った挙句、ちゃらちゃらっと奈良市街を回って帰ることに…。

まずは、般若寺へ。

奈良時代の創建といわれ、コスモス寺として有名。
ちなみに、この楼門は国宝。

般若寺を後にし、奈良市街へ向かう途中で見える国宝大仏殿。

勝手な感想ながら、右手に見えるマンションがなければ…

さらに市街地へ近づくと、これまた国宝の転害門が左手に。

写真を撮っていると、バス待ちのお婆ちゃんが「お兄ちゃん、学生さん?」って
ニコニコ話しかけてくれました。
ヘルメットを被ってアイウェアを着けていたので、良く判らなかったのかな?
学生じゃなく社会人、それももう20年目ですけど…。
ちょっと自分の貫録のなさにガッカリ。

お婆ちゃんに別れを告げ、走り出した途端に大粒の雨が降り出し、
たまらず奈良県庁舎で雨宿り。

10分ほど経って雨が上がったので、今のうちに帰ります。

帰路、大和小泉辺り、さっきの雨はどこへやら。

奈良CLの一部路面が改修されて綺麗に。

この後、柏原辺り(この時点で走行距離は約95km)で右膝の外側に違和感が…。
仕方なく、ゆっくりと騙し騙し帰ってきました。

本日の走行距離は116km。
最近まともに走ってなかったので、久々の100km走行は堪えた~。
やっぱり、左(嵐山)を選ばずに大正解でした。

涼を求め醒ヶ井~大垣

2013年08月23日 01時11分31秒 | オートバイ
右手に広がる畑、左手には見渡す限り琵琶湖、
そして広い空。
今日は一週間連休の初日、3月の龍野以来、久々のオートバイでのツーリング。
琵琶湖東岸、滋賀の雄大な自然が満喫できる
「さざなみ街道」を北上中です。

まずは10時頃、近江八幡あたりの琵琶湖の
風景をどうぞ。

湖を吹き渡る風から涼しさゲット!

続いて米原から国道21号線で大垣へ向かう
途中、中山道の宿場町醒ヶ井へ。

湧水が源泉で透明度の高い地蔵川に梅花藻が
白い花を咲かせています。
見るだけでは物足りず、手をつけてみると、
ひんやり気持ちいい~。
ちなみに梅花藻の見頃は7~8月だそうです。

続いてのスポットは醒ヶ井から国道21号線
を東へ約30分の垂井町。
秀吉の軍師として名高い竹中半兵衛重治に
ゆかりのある地。

竹中半兵衛重治の嫡男、重門が築いた5千石
の旗本陣屋跡。
石垣と堀の一部、櫓門など、遺構を見る限り、
旗本陣屋とは思えない立派さ。
背後の菩提山には山城が築かれ、半兵衛重治
の居城でした。
残念ながら、ここには涼を感じるさせるもの
は皆無なので、次のスポットヘ。

涼を求め東へ、いよいよ戸田家10万石の
城下町、大垣に到着。

大垣城天守は昭和34年に鉄筋コンクリート
造りで建てられたものながら、戦災焼失前の
天守(国宝)を外観復元したもの。
さらに、窓の大きさなどの相違点を最近の
修復で改めたというこだわりよう。
その辺の何の根拠もない模擬天守などとは
格が違うのです。
今は見る影もありませんが、かつては本丸と
二の丸は広大な内堀に囲まれ、さらに幾重
もの外堀で囲まれていたそうです。

大垣城をあとに、駅周辺を歩いていると、
めっちゃ暑い!
涼を求めるはずが汗ダラダラです。
ご当地地銀の「OKB3」ポスターで目から
涼を取り入れるか…。(なんのこっちゃ?)

ここで、無理やり涼を感じさせる水の話題。
東西交通の要衝である大垣は地下水などの
水資源が豊富で、かつては水運も発達し、
水の都と称されていたそうです。

そんな地下水が豊富だったという名残が
こんなところに。

これは、大垣名物の水まんじゅうを地下水で
冷やしている様子。
涼し気でおいしそう。

また、水運が発達していた頃の名残はこれ。

船町湊跡と住吉燈台。
ちなみに、この場所は松尾芭蕉の奥の細道の
旅の結びの地だったそうです。
それでは、私も本日の涼を求める旅を結ぶ
ことにしましょう…。

…といいつつ、やっぱり最後は再び琵琶湖の
様子をどうぞ。

左:18時前、近江八幡
右:19時前、守山
夕暮れ時の琵琶湖、涼しげでしょ?

ここで一句…
「夕暮れに 暑さ忘れる 琵琶の海」
なんちゃって。

本日の走行距離は399km、連休初日から
ハードな一日でした。


~今回の甘いもん~
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065(岐阜)大垣 金蝶園饅頭
066(岐阜)大垣 柿羊羹
067(滋賀)醒ヶ井 六方焼

お礼参り

2013年08月18日 14時25分59秒 | ロードバイク
今日は朝からロードバイクでお礼参り。
といっても、もちろん鉄パイプを携えて…ではなく、
目的地は「パンクの神様」こと、柏原市の国分神社へ。

昨年の3月にこの神社の目の前でパンクしたのをきっかけに
私が勝手に「パンクの神様」と定め、前を通る度に頭を下げ、
タイヤ交換した際にはお参りをするようになった神社。
そのご利益か、以降はパンク知らず。

先日、家の中でパンクが発覚したものの、この猛暑の中タイヤ
交換するのに比べ、涼しい室内で交換できるという恵まれた状況。
考えようによっては「パンクの神様」のお蔭です。

3週間ぶりにロードバイクで走る体馴らしにも丁度いい距離ですからね。

大和川沿いを走ること1時間余り、あっという間に国分神社に到着。

早速、お礼参り。
長らくパンク防止していただき、ありがとうございます。
これからも、ずっとパンクしませんように…とお願い。

ちなみにこの神社の裏山には、全長130Mの前方後円墳である
松丘山古墳を始め10基ほどの古墳があるそうです。

こちらが、裏山にある古墳群への入口。もちろん登りません。

せっかくなので、境内からちょっといい雰囲気の参道階段を撮影。

鳥居前を横切る道はいつも通る道ですが、そのさらに下に見える階段、
前から気になっていたんですよね。

これは確認せねば…。

左:いつも通る道からの眺め。
右:もう一つ下の道からの眺め。左の撮影場所の鳥居があんなに上に。

無事にお礼参も済ませ、前から気になっていた下の階段も見たので、
今度こそ帰ります。

最後に大和川と国分神社の裏山を撮影。

あれなる中央の小山が、パンクの神様がおわす…。

本日の走行距離は48km、ようやく8月のスタートです。
お礼参りも終え、しばらくパンクの心配はないので、残るは暑さだけ。
今月はあと何回ぐらい乗れるでしょうか?

ぶらり京都(江戸期)

2013年08月03日 22時18分12秒 | 散策、お出かけ
先日に引き続き、今日も京都をぶらぶら。
前回のテーマが「幕末」だったので、
今回はさらに遡り「江戸初~中期」。
この時代の京都にゆかりある人物といえば、
徳川家康、秀忠、家光でしょうか。
それでは、万歩計をセットして、いざ出発!
(先日の様子はこちら

梅田駅から阪急京都線に乗り大宮駅で下車。
大宮駅から南へ向かい、江戸時代には吉原
(江戸)、丸山(長崎)と並ぶ日本三大花街
といわれた島原へ。

島原は1641年(寛永18年)に六条三筋町から
移されたわが国最初の公許の花街。
当時は四周を堀と塀で囲まれていたそうです。
この貴重な遺構である高麗門形式の大門は
幕末の慶応3年(1867年)再建。
門の右脇に植えられた柳が風情を醸します。

左:現役の置屋兼茶屋である輪違屋
右:元 揚屋(芸妓さんなどを呼んで宴会
をするところ)である角屋(重文)

ここから、一気に2km以上北上し、本日の
主目的地の二条城へ。
さっそく、東大手門から入城です。

左:堀川通りに面する東大手門(重文)
右:内側から見た東大手門、番所も付属

残念ながら、唐門(重文)は改修中。

いよいよ国宝の二の丸御殿を見学。

二条城は初代将軍、家康が築き、三代家光が
本丸部分を拡張。
さすがに将軍の城、車寄(入口)も華やか。
なお、内部は豪華な狩野派による障壁画で
飾られていますが、当然ながら撮影は禁止。
もちろん、庭園も広々と立派ですな~。

続いて、本丸へ…と言いたいところですが、
その前に本丸の周りを一周し、じっくり見て
回ります。

順に桃山門、南中仕切門、西南土蔵、
北中仕切門、鳴子門、すべて重文。

ようやく元の位置に戻り、改めて本丸へ。

小振りでちょっと変わった形の本丸東櫓門。
今は普通の橋が架かるだけですが、昔は二重
廊下橋(上が多聞廊下、下が橋)が架かって
いたそうです。

天守台に登り、本丸以下を眺めます。

この天守台に聳えていた白亜の五層天守は
寛延3年(1750年)に落雷で焼失。
天守の最上階からの眺めは、きっと京の都が
一望だったんでしょうね。
ちなみに、ここから見える本丸御殿は明治
中期に旧桂宮邸を移築したもの。

さて、最後は二の丸御殿の北裏にある米蔵。

これすらも立派な重文です。

米蔵も忘れず見たし、後は帰るだけ…と言い
たいところですが、またしても遠回りをもの
ともせず、外濠の周りを一周。

順に東南隅櫓、西南隅櫓、西門、北大手門、
すべて重文。

二条城から東へ、私が向かったのは高瀬川に
残る一之舟入。

ここは慶長16年(1611年)頃に角倉了以が
開いた運河「高瀬川」の舟荷の揚げ下しの
ために作られた船溜まり。
往時は数か所あった船溜まりですが、残って
いるのはここだけ。
江戸時代の名残りを感じる貴重な史跡です。

さぁ、これで本日の予定は終了。

結局、本日の歩行数は、前回(28,523歩)
よりはちょっと少ない26,067歩でした。
足が痛い…。


~今回の甘いもん~
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062(京都)出町柳 豆餅
063(京都)三條 祇園ちご餅
064(京都)二条 そば餅