ちょこ歴旅

歴史旅…というほどじゃない、気楽な史跡巡り備忘録
(※和菓子ネタはブックマーク「和菓子の国の人だから」へGo!)

天王山から

2019年05月25日 20時42分03秒 | オートバイ
今日は半年ぶりのバイクツーリング。
目的地は京都府乙訓郡の大山崎町です。
大山崎?どこ?って感じでしょうが、
あの羽柴秀吉と明智光秀が天下を賭けて
戦った山崎の合戦で有名なところ。

午前8時45分に自宅を出発。
中央環状~府道3号、国道170号で
約2時間弱、天王山の麓に到着です。

早速、天王山ハイキングに出発です!

登山口は広くて歩きやすそうでしたが、
すぐに歩きにくいガタガタの道に…

あぁ~、もう登るのやめようかな…。
と思いつつも旗立松展望台へ。

天王山からの眺め、いい景色です。

合戦の時、秀吉はここの老松に馬標を
立てて軍勢を鼓舞したそうです。
もし光秀が勝っていたら、その後の
歴史はどうなったのか…。
ちょっとロマンがありますね。

さて、私は眼下の景色を見下して熟考
の末、山頂を諦めて…戦略的撤退!
ということで宝積寺方面へ下ることに。

ここは奈良時代、聖武天皇の勅願所と
して行基により開かれた名刹。
秀吉が建てたという三重塔もあります。

続いては、ちょっとバイクで移動し、
山崎の戦いで敗れた光秀が一時撤退した
勝竜寺城へ。

城があるのは大山崎町の隣、長岡京市。
縄張りは発掘にもとづくものながら、
建物は史実無視のなんちゃって城郭…。
でも、ボランティアのおじさんの丁寧な
解説はなかなか良かったですよ。

ちなみに、光秀はここから居城の近江
坂本を目指す途中、伏見郊外の小栗栖で
落ち武者狩りに遭い、最期を遂げたとか。

ところで、時刻は午後2時。
もっと歴史ロマンに思いを馳せたいけど、
オヤジ狩りに遭わないうちに帰ります。

帰宅は午後4時半、ツーリング距離は
ちょっと短めの143kmでした。


~今回の甘いもん~
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167(京都)八幡 田舎ぼたもち

草津良いとこ一度はおいで

2018年11月30日 21時49分24秒 | オートバイ
今日は平日の休日。
せっかくいい天気なので1年ぶり
のバイクツーリングへ。

午前7時前に出発し、中央環状線
~第二京阪沿いの国道1号線を
トコトコ走ります。
ところが、通勤ラッシュ渋滞に
巻き込まれ、9時半に京都を
通過する頃にはグッタリ。
気分転換で大津からは景色の
いい湖岸道路を走り、目的地の
草津へは10時半過ぎに到着。

「草津良いとこ一度はおいで~」
の草津節でお馴染みの群馬県の
温泉町とは別の滋賀県の旧宿場町
のほうの草津です。

では早速、20年ぶりに琵琶湖
博物館へ。

地味ですが、琵琶湖の魚がしっかり
見られます。
こういう淡水魚…なんか好きです。

他にも昔の舟の展示も。

約1時間の見学後、湖岸道路で
近江八幡へ。

これは湖岸から近江八幡旧市街へ
向かう道。
せっかくの滋賀県らしい眺めも
曇り空で、魅力半減です。

近江八幡へは昼前に到着し、
ちょっと散策。

今日は和菓子購入がメインですが、
せっかくなので定番の景色は撮影。
歴史を感じるいい眺めです。

そして、最後は県道2号線と国道
8号線を走り、再び草津へ。

東海道と中山道が交差する宿場町、
草津宿と言えばここは外せません。

国指定史跡の草津宿本陣です。
江戸時代、参勤交代の大名や旗本、
朝廷から下向する公家が宿泊した
場所です。

上段の間は残念ながら立入り禁止。


ずらりと並んだ竈、壮観です。
食事時はさぞかし忙しかった
でしょうね。


これは上段の間の客専用の便所。
広過ぎる畳敷き、床の間付の便所、
庶民なら出るものも出ません…。

本当は明るいうちに帰りたかった
けど、結局帰宅は午後7時過ぎ。
走行距離は266kmでした。
そして、帰りもやっぱり渋滞に
巻き込まれ、お腹もすっかり
冷えてしまいました。
あの本陣の豪華な便所でも出そう…。

最後は綺麗にまとめねば…。
以前訪れた湖東の彦根・多賀然り、
大津・坂本周辺然り、
滋賀には見所いっぱい。
美味しいものもいっぱいです。
草津良いとこ一度はおいで~です。


~今回の甘いもん~
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161(滋賀)草津 うばがもち
162(滋賀)野洲 しのはら餅
163(滋賀)安土 負けずの鍔
164(滋賀)近江八幡 でっち羊羹
165(滋賀)近江八幡 ういろ

田辺えぇとこ

2017年09月30日 23時17分40秒 | オートバイ
今日は天気も良く絶好のツーリング日和。
「Wバイク徒然草」ですから、たまには
オートバイも登場させないと…。
(ロードバイクもご無沙汰ですけど)

頑張って朝5時半過ぎに出発し、ひたすら
国道26号線を南下。
阪南辺りからバイパスになり、以前は淡輪
までしかなかったはずが、いつのまにやら
和歌山市内まで一気に到達。
速くて無料で結構ですが、高速は怖いから
避けてるので…。

和歌山市内のコンビニで朝食を食べた後は、
国道42号線をひたすら南下。
海南からは片側1車線の国道をトコトコ。
求めているのはこれ、これ!

午前9時前に目的地の田辺市内に到着です。
早速、武蔵坊弁慶ゆかりの地、闘鶏神社へ。

熊野三山も勧請された熊野の別宮的な存在。
ここに参詣すれば熊野まで行かなくても
御利益があるというありがたい場所。
弁慶の父という説もある熊野別当湛増が、
源平いずれに着くかを闘鶏で占ったことが
社名の由来。

社前でバイクの駐車場所に迷っていたら、
ボランティアガイドのおじさんが誘導して
くれたうえに、神社についてもあれこれ
教えてくれました。
いきなり、いい日の予感です。

続いて、私的には本日のメインディッシュ…
田辺城の水門跡へ。
錦水(きんすい)城といわれた田辺城は、
紀州藩の付家老、安藤家の居城。
往時は内堀と外堀がある平城でしたが、
明治期に廃城となり、堀も埋められました。

城の唯一の遺構が会津川に面したこの水門跡。
わずかに残る昔の面影がありがたい。
本日のメインとしてはちょっと地味ですが…
イメージしていたよりは大きい。

ここで水門と傍らにある小さな祠を一生懸命
掃除されていたお爺ちゃんが、水門や田辺城
についてニコニコ教えてくれました。
なんともほっこりするいい時間でした。

ちなみに、この後訪れた和菓子屋のご主人も
とても気さくにお話してくれました。
田辺は本当に皆さん気さくでえぇとこです。

最後に帰りに訪れた由良の興国寺の様子。

禅宗の一つ臨済宗妙心寺派のお寺だそうで、
そういえば心なしか本堂は中国風。
また、門両脇の石垣が城郭さながらの立派さ。
金山寺味噌や醤油の発祥の地ともいわれます。

こうして田辺の人と静かなお寺で心癒され、
ゆっくり来た道を辿って帰宅しました。
走行距離は335km、帰宅は午後7時でした。

田辺は地味ですが…ほんまえぇとこです。


~今回の甘いもの~
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147(和歌山)田辺 おけし餅
148(和歌山)田辺 柚最中
149(和歌山)白浜 うすかわまんじゅう

ぶらり京都(源平期)

2015年09月05日 21時16分47秒 | オートバイ
今日は久々に京都へ。
これまでに電車では数回訪れてるけど、
今回はオートバイ。

堺から中央環状線~第二京阪(国道1号線)
で京都市内へ。
そこから先は下鴨本通り~鞍馬街道を北上。

鞍馬が近づくにつれ、空気がヒンヤリ。

まず最初の目的地はあの源義経(牛若丸)も
修行したという鞍馬寺。

本日のテーマは源平の時代(平安末期~鎌倉)
なんです。

まぁ、とにかく入山。

いきなり目の前に現れる石段と上り坂を
2~300m登れば由岐神社。

さらに800mほどの九十九折の参道が
続きます。

あの清少納言も「枕草子」の中で
「近うて遠きもの」として
挙げているほど昔から有名。
善意の杖も置いてるけど、そんなもの不要!

と言いつつ膝がガクガクし始めた頃、
ようやく本堂に到着。

両脇には狛犬ならぬ虎が…
思わず「阪神が優勝しますように。」と、
お願いしてしまった。

とりあえず、源氏ゆかりのスポットを制覇
したことにして
(僧正ガ谷や義経堂へは行ってないけど…)、
続いては平家所縁のスポットヘ行くため、
再び京都市内へ。

源平いずれにも所縁がある六波羅蜜寺。

この辺りには平安末期に平家一門の邸宅が
建ち並んだそうで、
本堂脇には清盛塚なる石塔も。
また、鎌倉時代に六波羅探題が置かれたのも
この辺りだとか。

源平いずれでもないけど、すぐ近くにある
六道珍皇寺へ。

現世とあの世の境といわれる六道の辻に近く、
閻魔大王の木像があったり、小野篁(おのの
たかむら)が冥土通いに使った井戸まである
不思議スポット。

さて、この世にいるうちにさっさと帰ろっと。

こうして、いちおう源平所縁のスポットを
巡ったツーリングは走行距離181kmでした。
あ~疲れた…やっぱり京都は電車が楽ちんです。

~参考~
これまでの京都関連のブログ記事はこちら。
 ・幕末編
 ・江戸期編
 ・安土桃山編
 ・室町編
 ・室町編2


~今回の甘いもの~
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121(京都)鞍馬 山椒餅

高野参りでイライラ

2015年08月18日 22時27分17秒 | オートバイ
今日は急に予定がなくなって…あぁ~暇。
雨も止んでるのに、高校野球も休み…
あぁ~何しよ。
1週間の夏休みももう終わってしまう…。

午前9時、ふと気が付けばオートバイに
跨っていました(そんな訳ないけど)。
府道215号線で国分方面へ南下し、
国道480号線で鍋谷峠越えという、
ロードバイクでは馴染みのコース。

今日は楽ちん、エンジン付きなので
汗ひとつ掻きません。

峠を下り、かつらぎ町の笠田からも引き続き
480号線。
目指すは今年開創1200年を迎えた
世界遺産、高野山。

平日のせいか道が空いていて、走りやすい。

午前11時前、あっという間に山上の大門
(重文)に到着。

さすが高野山の総門だけあって堂々たる構え。

大門を過ぎてすぐの愛宕前の駐車場に
オートバイを停め、そこから先は徒歩。
東へ2~3分歩けば壇上伽藍に到着です。

左から今年再建された中門、金堂、伽藍の
要の根本大塔。
大塔は高さ50Mもあり、内部は曼荼羅を
立体的に表現しているそうですが…見たけど、
正直よう分からん。


国宝や重文ではないけど、西塔、山王院は
なかなか渋い。


一方、こちらの不動堂は地味ながら鎌倉時代
再建の国宝。

壇上伽藍から東に2~3分歩いて総本山の
金剛峰寺へ。

TVや本で見たことはあるけど、実物は初。

さらに東へ10分歩けば、いよいよ奥の院の
入口が見えてきます。

巨大な杉並木に挟まれた小道を進みます。

両側には名だたる戦国武将や大名家の苔生
した廟所が並ぶ。

奥の院ならではのシ~ンとした静けさ…
を期待したけど、大阪のオバはんのデカい声、
しかもこの場に相応しくない
どうでもいい近所の噂話…
「それって、今喋らなあかんか?」
世界遺産が泣く、空海も泣いてる…。
あぁ~イライラする!もう帰ろ!

この後、さっさとお土産を買い込み、
同じ道で帰宅。
半年ぶりのバイクツーリング、走行距離は
130kmでした。

あぁ~あ、せっかく高野山まで行ったのに
心穏やかどころか、他人の言動にイライラ。
う~ん、まだまだ修行が足らへんな…。


~今回の甘いもの~
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118(和歌山)高野山 焼き餅
119(和歌山)高野山 かるかや餅
120(和歌山)高野山 みろく石

北・中勢の城めぐり

2015年02月15日 23時41分07秒 | オートバイ
昨日は「もう春も近いのでは?」と思わせる
ポカポカ陽気。
今日は終日晴れの予報なので、思い切って
バイクツーリングへ。
早朝6時に出発、目指すは三重県の北~中部
(北・中勢)。
テーマはもちろん「城めぐり」です。

いつもの通り高速は避けて下道でトコトコ。
堺・大和高田線~国道25号線~名阪国道を
一路東へ。

早朝ということもあり、名阪国道は極寒、
指先が痛い…。
やっぱりツーリングにはまだ早いようです。

たまらず、針テラスでコーヒー&トイレ休憩。

な、なんと雪が残ってるじゃありませんか!
30分後、本線の路肩に雪が見えたら戻ると
決めて再出発。

幸い雪もなく、気温も上がり順調に中瀬IC
からは国道163号線で津を目指します。

なんか空が怪しい…

国道163号は交通量が少なく、ツーリング
にピッタリ。
でも、山間部手前で猿が横切ったのには
びっくり!

それでも順調に津に到着し、6年ぶりに
津城を訪問。

左:模擬三重櫓
右:高虎らしい犬走りのある高石垣

津城は大坂の陣を前に築城名人、藤堂高虎が
本拠として築城。
昔は本丸を広い水堀が囲んでいたそうですが、
今は面影なし。

さて次は国道23号線を南へ走ること30分、
目的地の松阪に到着。

櫓や門は残っていないものの、松坂城の石垣
は一見の価値あり。

あ、足がすくむ…

当城は蒲生氏郷が会津若松へ移る前、
12万石を擁して築城。
江戸初期まであった三重天守は大風で倒壊。
それでも、今も高石垣が往時を偲ばせます。

江戸時代は紀州徳川領となり、代官が治めて
いたそうです。

周辺に移築された建物。

左:隠居丸に移築された本居宣長の旧居
  「鈴の舎」
右:御城番屋敷横に移築された米蔵
  (現在は土蔵として使用)

また、6年前は修理中で見れなかった御城番
屋敷を見学。

この1軒以外は現在も現役の住居。

こちらは城下町にある松阪商人のお宅
「旧長谷川邸」。

以前は気付かなかったけど、松阪は城下町
にも風情があって
見所もたっぷり。
もちろん、松阪牛もあるので、時間とお金の
ある人は和田金ですき焼きでもどうぞ。

続いては、国道23号線を北へ1時間、
津を通り過ぎて鈴鹿へ。

左:天守台
右:本丸を巡る土塁跡?

神戸(かんべ)城は織田信長の三男、
神戸信孝が大改修し、
金箔瓦の五重天守を築いたとされます。
江戸時代は一柳、石川、本多家などが入り
維新を迎えたとか。
現在は本丸敷地と天守台、水堀の一部が
わずかに残ります。

そろそろいい時間なので、国道1号線で西へ
向かいますが、せっかくここまできたので
亀山にちょっと寄り道。

ここは4年ぶりの訪問。
以前は改変されて下見板が貼られた痛々しい
姿でしたが、元の姿にもどされた本丸多聞櫓
(現存)、ピカピカです。
やっぱり、こうでないと。

さらに、帰るといいつつ、すぐ近くの関宿へ。

かなりの規模で町屋が並び、いい雰囲気です。

さぁ、こんどこそ本当に帰ります。
並行して走る名阪国道に戻るため国道25号
線の旧道へ。

ちょっと心細い道やなぁ…

でも、すぐに向井ICに辿りつき、無事に
名阪国道に復帰。
その後は朝と同じ道を走って6時頃に帰宅
しました。

結局、本日の北・中勢の4つの城巡り
ツーリング、走行距離は360kmでした。
あ~疲れた、寒くて肩が凝った…
やっぱりツーリングにはまだ早かったです。


~今回の甘いもの~
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107(三重)四日市 なが餅
108(三重)関宿 志ら玉
109(三重)関宿 関の戸
110(三重)松阪 老伴
111(三重)津 蜂蜜まん

大津の三城巡り

2014年11月23日 23時53分50秒 | オートバイ
今日は津山以来、三ヶ月ぶりのオートバイ
ツーリング。
目的地は滋賀県の大津です。

朝9時に出発。
中央環状~第二京阪で京都を経て、国道1号
線で大津へ。
全て下道で約2時間半の道のりです。

で、大津のどこへ行くのかというと…。

膳所城跡。
関ヶ原の戦いで落城した大津城に代わり、
大坂の豊臣包囲網の一環として、築城名人の
藤堂高虎の縄張りにより築かれた城。
当時は琵琶湖の水面に突き出た本丸に4層の
白亜の天守が聳える美しい城だったそうです。
残念ながら、今は石碑と石垣の石材が残る
だけですが、湖面に突き出した本丸の敷地は
埋め立てられずに残っています。

膳所城跡公園にバイクを停め、歩いて2~3
分の膳所神社へ。

この神社表門(重要文化財)は、かつての
本丸大手門で、薬医門形式の重厚な門。


ちなみに、この薬医門形式の神社北門も城門。

膳所神社から旧東海道沿いに歩いて3~4分
の篠津神社へ。

こちらの神社表門(重要文化財)は北大手門
だったそうで、高麗門形式のいかにも城門
らしい佇まい。

さらに旧東海道沿いに歩いて3~4分の若宮
八幡神社へ。

棟上に鯱が上がるこの高麗門形式の門も
かつての城門。

そういえば、膳所藩関連の史跡と言えば、
泉大津の個人宅に移築された城門や河内長野の
飛び地の藩邸跡
を訪れたことも。

今日はたくさんの移築城門を見て歩けて、
満足、満足!

さぁ、再びバイクに跨りちょっと市内を
移動し、浜大津港へ。

大津らしい光景ですが、これではなく…

今やこの碑だけが痕跡を伝える大津城跡。
往時は湖面に浮く城で、すぐそこを湖水が
洗っていたとか。

浜大津の地形を見れば一目瞭然ですが、
山から琵琶湖に向かってすり鉢状に下って
いったところが大津城…こりゃあ守り難い。

実際、大津城は関ヶ原の戦いの前哨戦で落城。
ただし、京極高次ら3000人が立て籠もり、
西軍1万5000人を引き付けて決戦に
間に合わせなかったことが、関ヶ原の戦いの
結果に大きな影響を与えたといわれます。

ここまできたらもう一つ。

明智光秀が築いた坂本城跡へ。
かつては天守と小天守を持ち、安土城に
次ぐ城といわれたとか。

左の写真、光秀像が建つ坂本城跡公園は、
実は本来の城域の外。
右の写真、民家脇に建つ石碑は一応坂本城跡。

最後にせっかくなので、坂本らしい光景を。

日吉神社の参道、穴太積みの石垣は風情あり。

結局、時間の関係で大津の名所、日吉神社も
石山寺も行かなかったので、全体的にちょっと
地味だったかも。
でも私は3つの城跡を巡って十分満足してるん
ですけど…。

本日の走行距離は207km、帰りは寒くて
肩が凝りました。
今年最後のツーリングになりそうな予感…。


~今回の甘いもん~
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099(滋賀)石山 たばしる
100(滋賀)大津 三井寺力餅
101(滋賀)坂本 そば饅頭

作州津山へ

2014年08月28日 16時32分28秒 | オートバイ
今日は1週間連休の最終日、天気が悪いので
家でゆっくり。
昨日のバイクツーリングの件でも書きますか…

早朝5時半、津山を目指して出発!
いつも通り下道でトコトコと臨海線~国道
43、2号線を走り、8時半頃に姫路バイパス
のSAで朝食休憩。
ここまでがしんどい。

太子竜野バイパスを下り、国道179号線に
入れば、車も信号も少なく、ツーリング天国。

景色の良さに加え、川沿いの涼しさが嬉しい。

9時半過ぎ、佐用町の三日月でちょい寄り道。

三日月藩の乃井野陣屋。
津山藩森家の改易にあたり、分家の対馬守
森長俊が元禄10年(1697年)に美作
(みまさか)の勝田北部より入封。
1万5000石の陣屋として構築。

平成15年頃に復元された建物が大半ですが、
見て分かる通り、年季の入った二重の物見櫓は
ホンモノで、原位置に戻したもの。
この櫓は防御用ではなく、中に座敷もある
接待用だそうです。

それにしても、のどかな所です。
大河ドラマなどで山里の風景になると決まって
入るあの効果音「ピ~ヒョロロ」というトンビ
の鳴き声が近くで…。

ふと振り返ると電信柱の上に。

どうりで声が近い訳です。

ここから先もしばらく快適ルートは続き、
いよいよ津山盆地へ。

広い田んぼが心なごませてくれます。

そして小雨の中、11時頃に本日の目的、
津山城に到着。

日本一との声もある石垣に覆い尽くされた
平山城。

信長の小姓で有名な森蘭丸の弟、森忠政が
慶長9年(1604年)、美作国18万6500石
の国持大名として13年をかけて築城。

いざ入城!
表門の枡形を抜けて三の丸に入ると、目の前に
ドド~ンと広がる表中門跡の大階段。

尋常ではない幅は、まるで天下人の城のよう。
これだけあれば宝塚のレビューも可能か?

石垣に囲まれた大階段を登り左に折れ四足門
跡を抜ければ二の丸。

頭上に見えるのは本丸の備中櫓。

ここから切手門跡、表鉄門跡を抜けて本丸へ。


本丸に復元された備中櫓の内部を見学。
本丸に多くの櫓が建ち並び、御殿の敷地が十分
でなかったため、備中櫓の内部は御殿の一部と
されていたそうです。

櫓内には御座の間、茶室、便所まで。
さらに二階には上段の間もあり。

さていよいよ天守曲輪へ。

厳重な防備を感じさせる石垣に囲まれた
狭い通路。

そして目の前に聳える天守台。

あれ?大きいけど整然としすぎてなんか迫力
がないな…。
ただし、撮影する私の足元の黒っぽい地面に、
天守を囲み多聞櫓が建っていたそうです。

天守台には穴倉を通って登ります。

地階穴倉部分。

天守からの眺め。

そういえば雨は止んだけど、まだ空が暗い。

続いて粟積櫓(小天守)跡などを見学し、
ぐるっと本丸搦手口へ。

左:もみじ谷と呼ばれる通りの風景。
右:搦手とは思えない幅の広い立派な虎口。

苦心して数十万石規模の津山城を築いた森家
も元禄10年(1697年)に藩主の乱心で改易。
その後に家康の次男、結城秀康を祖とする
松平家が10万石で入封し、明治維新まで
津山を治めたそうです。

3時間以上掛けて津山城を見て回ったので、
お腹が空いてきました。
昼食は津山B級グルメの代表、ホルモンうどん
に決定!

観光センター横の食堂にて。
(ご飯付\980)
甘辛い味が濃いめなので、ビールが欲しい。

すでに2時半、移動を諦めて津山市内を観光
することに。

まずは、すぐ隣にあった津山郷土博物館へ。

津山城の復元模型、欲しい…。
模型の周りをついつい3周ぐらいしました。

続いて、衆楽園へ。

二代藩主、長継が造営させた津山藩別邸の
池泉式庭園。
当時は現在の3倍、2万3千坪もあったとか。

最後に城の東側にある重要伝統的建造物群
保存地区へ。

いつまでも保存して欲しい街並みです。

本日の帰宅時間は午後9時、走行距離は
435kmでした。
やっぱり日帰りは300kmが限度かな?
あぁ~疲れた…。


~今回の甘いもん~
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095(岡山)津山 桐襲
096(岡山)津山 いちま
097(岡山)津山 十萬石

明石焼きは明石で

2014年06月08日 22時23分20秒 | オートバイ
「明石焼き食べたい…」
そういう訳で、久々のオートバイツーリング
の目的地は明石です。

ちょっと遅めの8時半に出発、いつも通り
下道でトコトコ。
さすがに、臨海線~国道43号線・2号線は
快適とはいかず…。

それでも須磨まで来れば、空気もヒンヤリ。
垂水~舞子の海岸線沿いは風光明媚。
ようやくツーリングっぽくなってきた…と
思うまもなく明石に到着。

ここまで70km、約2時間の道のりです。

もちろん、すぐに明石城へ。

左手が本丸南西の坤(ひつじさる)櫓、
右手が巽(たつみ)櫓。
いずれも重要文化財。

大坂の陣で戦功をあげ10万石を得た小笠原
忠真が元和3年(1617年)に築城。
西国の抑えの城とするため、幕府から銀二貫…
じゃなく千貫を与えられたそうです。

往時は本丸の北東に艮(うしとら)櫓、
北西に乾(いぬい)櫓と四基の三重櫓で
防御されていたそうです。
高石垣の上に聳える三重櫓は、明石沖を通る
船の目印とされたとか。

天守台から見た坤櫓。

天守が建てられなかったため、坤櫓が天守の
代用とされたそうで、実際に巽櫓より一回り
大きく、丸亀城天守よりも大きいとか。


左:本丸内から見た坤櫓
右:本丸内から見た巽櫓、飾り気どころか
窓すらなし。

本丸北側の高石垣。

高さ分かります?


今も残る広く長い中堀と、堀沿いの織田家長屋門。

こうして城内をウロウロしている間に
すっかり食事時。

せっかくなので、魚棚とよばれる商店街へ。

観光客で賑わっています。

明石焼きの有名店はさすがに行列がいっぱい
なので…パス。
特にこだわらず、商店街の入口から近いお店へ。

15個600円、まぁまぁ美味しい、これで充分。

この後、和菓子を求めて加古川へ立ち寄ってから
帰宅しました。
(ただし、目当ての店が休みというおまけ付き…)

帰宅時間は午後4時、走行距離は189kmでした。

もうすぐ本格的な夏、ツーリングは当分お休みです。


~今回の甘いもん~
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088(兵庫)加古川 鬼追い饅頭
089(兵庫)加古川 鶴林もなか
092(兵庫)明石 丁稚羊羹

しらす丼目指し湯浅へ

2014年03月15日 23時11分41秒 | オートバイ
今日は晴天、久々のバイクツーリング。
そして、本日の目的は湯浅のしらす丼だ~!

国道26号線、同バイパスでを延々南下し、
和歌山市へ。
やがて、和歌山城が見えたところで右折し、
あとはひたすら国道42号線を走るだけ。

今日は晴天ながら意外に肌寒く、ツーリング
にはちょい早い。

やがて、有田川が見えてきた。

目的地まであとちょっと。

まもなく湯浅に到着し、湯浅駅前にほど近い
こちらのお店へ。

じゃ~ん、しらす丼(\700)
しらすの旬は春と秋らしいけど、年中獲れる
そうです。

お腹が満ちたので、湯浅の町の散策へ。


熊野古道を指し示す、立石道標。


重要伝統的建造物群保存地区に指定された
湯浅の町並み。

湯浅は醤油発祥の地。

左:醤油醸造の老舗角長
右:大仙堀、ここから醤油樽を船に積み
  込み全国に輸送したとか。

そして、もうひとつの目的はこちら。

金山寺味噌の「太田久助吟製」は店前の
懐かしの赤ポストが目印。
もちろん、買って帰りました。(310g、\683)

さて、お土産も買い、散策はこれにて終了。
あとはバイクに跨り同じ道を引き返すのみ。

こちら、帰る途中の和歌浦湾の眺め。

やっぱり海は心が和むなぁ~。

心もお腹も満たす久々のツーリングは、
走行距離186kmでした。
帰りは、疲れと寒さのせいで首と肩が
ガチガチに。
もう少し暖くなったら、家族みんなで
連れもて行こら~。


~今回の甘いもん~
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084(和歌山)和歌山 五十五万石

初めての貝塚寺内町

2014年01月18日 23時13分26秒 | オートバイ
今日は昼からちょっと時間が空いたので、
プチツーリングに。

たまにオートバイに乗らないとバッテリー
も上る…なにしろ「Wバイク徒然草」
ですからね。

目的地は貝塚寺内町、自宅からわずか
18kmほどの道のり。
のんびり走ろうと敢えて旧国道26号線
で南下したけど、それでもほんの30分。

まずは貝塚寺内町の中心、浄土真宗の
願泉寺(貝塚御坊)へ。

天正11年(1583年)からの2年間は
本願寺の本山がここに置かれたほどの
由緒あるお寺。
装飾の多い表門、巨大な本堂、まるで
城郭の櫓のような太鼓堂など、いかにも
寺内町の中心寺院。
ちなみに、私の一番のお気に入りは門の
潜り戸脇の番所。

こちら願泉寺は地元では「ぼっかんさん」
と呼ばれているそうで、住持と寺内町の
領主も兼ねた卜半(ぼくはん)氏に由来
する呼び名だそうです。

戦国時代に成立し、江戸時代を通じ自治領
だった貝塚寺内町には今も古い街並みが
見られます。

堀之町や御下筋など、なかなか風情あり。

最後に貝塚寺内町の氏神社、感田神社へ。

毎年7月に盛大な太鼓台祭りが開催されます。

こんなに近いのに貝塚寺内町に来たのは
今回が初めて。
薄々は知ってたけど、こんなに歴史ある町
だったんですね。

そして最後に、歴史のある街につきものの
美味しい和菓子を購入し、また30分の
短い道のりを帰ったのでした。

本日のプチツーリング、走行距離は本当に
プチの36kmで終了。


ところで、本日使用したのは新しい冬用
グローブ。

デグナーのディアスキングローブ(\6,825)。
実はこれが使いたくてオートバイに乗った
という噂も…。

鹿皮なので柔らかくてはめ心地抜群、
しかも暖かい。
次回はこのグローブで奈良の鹿に会いに
行こうかな?


~今回の甘いもん~
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078(大阪)貝塚 村雨

涼を求め醒ヶ井~大垣

2013年08月23日 01時11分31秒 | オートバイ
右手に広がる畑、左手には見渡す限り琵琶湖、
そして広い空。
今日は一週間連休の初日、3月の龍野以来、久々のオートバイでのツーリング。
琵琶湖東岸、滋賀の雄大な自然が満喫できる
「さざなみ街道」を北上中です。

まずは10時頃、近江八幡あたりの琵琶湖の
風景をどうぞ。

湖を吹き渡る風から涼しさゲット!

続いて米原から国道21号線で大垣へ向かう
途中、中山道の宿場町醒ヶ井へ。

湧水が源泉で透明度の高い地蔵川に梅花藻が
白い花を咲かせています。
見るだけでは物足りず、手をつけてみると、
ひんやり気持ちいい~。
ちなみに梅花藻の見頃は7~8月だそうです。

続いてのスポットは醒ヶ井から国道21号線
を東へ約30分の垂井町。
秀吉の軍師として名高い竹中半兵衛重治に
ゆかりのある地。

竹中半兵衛重治の嫡男、重門が築いた5千石
の旗本陣屋跡。
石垣と堀の一部、櫓門など、遺構を見る限り、
旗本陣屋とは思えない立派さ。
背後の菩提山には山城が築かれ、半兵衛重治
の居城でした。
残念ながら、ここには涼を感じるさせるもの
は皆無なので、次のスポットヘ。

涼を求め東へ、いよいよ戸田家10万石の
城下町、大垣に到着。

大垣城天守は昭和34年に鉄筋コンクリート
造りで建てられたものながら、戦災焼失前の
天守(国宝)を外観復元したもの。
さらに、窓の大きさなどの相違点を最近の
修復で改めたというこだわりよう。
その辺の何の根拠もない模擬天守などとは
格が違うのです。
今は見る影もありませんが、かつては本丸と
二の丸は広大な内堀に囲まれ、さらに幾重
もの外堀で囲まれていたそうです。

大垣城をあとに、駅周辺を歩いていると、
めっちゃ暑い!
涼を求めるはずが汗ダラダラです。
ご当地地銀の「OKB3」ポスターで目から
涼を取り入れるか…。(なんのこっちゃ?)

ここで、無理やり涼を感じさせる水の話題。
東西交通の要衝である大垣は地下水などの
水資源が豊富で、かつては水運も発達し、
水の都と称されていたそうです。

そんな地下水が豊富だったという名残が
こんなところに。

これは、大垣名物の水まんじゅうを地下水で
冷やしている様子。
涼し気でおいしそう。

また、水運が発達していた頃の名残はこれ。

船町湊跡と住吉燈台。
ちなみに、この場所は松尾芭蕉の奥の細道の
旅の結びの地だったそうです。
それでは、私も本日の涼を求める旅を結ぶ
ことにしましょう…。

…といいつつ、やっぱり最後は再び琵琶湖の
様子をどうぞ。

左:18時前、近江八幡
右:19時前、守山
夕暮れ時の琵琶湖、涼しげでしょ?

ここで一句…
「夕暮れに 暑さ忘れる 琵琶の海」
なんちゃって。

本日の走行距離は399km、連休初日から
ハードな一日でした。


~今回の甘いもん~
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065(岐阜)大垣 金蝶園饅頭
066(岐阜)大垣 柿羊羹
067(滋賀)醒ヶ井 六方焼

たつの市満喫

2013年03月08日 12時05分09秒 | オートバイ
連休2日目(3/7)、「Wバイク徒然草」
らしく1号機(オートバイ)で兵庫県の西部、
たつの市。
同市は2005年に龍野市、新宮町、揖保川町、
御津町の合併で出来た市。

朝6時半出発、のんびり一般道を走ります。

走り始めて約2時間、舞子(神戸市垂水区)
のコンビニで休憩。

明石海峡大橋を眺めつつ、暖かいコーヒーと
サンドウィッチで2度目の朝食。
ちなみに、写真はコンビニを出てすぐに
見つけた明石藩舞子台場跡。
幕末に沿岸警備のため、あの勝海舟の設計・
総指揮で、明石藩が築いたもの。

おっと、先を急がねば。
ここからしばらく国道2号線を走り、加古川~
姫路~太子竜野バイパスでワープ。

10時半、揖保川の対岸に脇坂家5万3千石、
龍野の城下町が出現。

形のいい山は城のある鶏籠山(けいろうざん)。

早速、バイクを停めて城下町の散策開始。

まずは龍野城。

龍野城は鶏籠山上の中世山城と近世に脇坂氏
が築いた麓の居館からなります。
現在の建物のうち二重櫓以外は一応は古図に
基づく復元。
左:櫓門
中:御殿
右:御殿内部の上段の間

長い土塀が城郭らしい雰囲気を醸し出します。

左:二重櫓(模擬復元)と土塀
右:土塀の狭間(さま)から見た城下町

続いてはさっき見た城下町をブラつきます。

ここ龍野は薄口醤油の発祥地、醸造元だけに
醤油蔵がいい雰囲気を醸し出します。

うすくち龍野醤油資料館(ヒガシマル醤油)
に立ち寄ります。

昔の醸造過程の説明や道具を展示しており、
入場料はなんと10円。

次は武家屋敷資料館。

十八俵二人扶持という小身武士の屋敷、
質素ながら凛とした空気感。

さて、城下町散策の最後は脇坂藩上屋敷跡で
締めましょう。
場所は龍野城の麓居館の北西、紅葉谷付近。

こちら聚遠亭(しゅうえんてい)とよばれる
風雅な茶室。
11代藩主、脇坂安宅が京都所司代の功により、
孝明天皇より賜ったもの(現存)。

午後2時、城下町で甘いものを仕入れ、次の
目的地へ。
(甘いものは次回以降の記事にて紹介)

次は、旧龍野市から見て北に位置し、
そうめん揖保の糸で有名な旧新宮町に移動。

ここはそうめんの里。
揖保の糸の製造過程を紹介する資料館、
そうめんレストラン、売店があります。
美味しいにゅうめんを食べ(写真は撮り忘れ)、
お土産もここで入手。

旧新宮町から旧龍野市、旧揖保川町を経て
南下、本日最後は旧御津町の室津へ。

この道はとても快適でツーリングにぴったり。

揖保川沿い、田園風景と景色が変わります。

その後、播磨灘沿いの国道250号線を西へ
向かい、約30分で室津に到着。

雰囲気のいい港町です。

室津は奈良時代には既に海上と陸上交通の
要衝として「室津千軒」と呼ばれたそうです。
江戸時代には西国大名の多くが参勤交代で
海路室津港に上陸、ここから陸路を進むため、
この周辺は日本最大の港の宿場として栄え、
本陣が6軒(紀国屋、筑前屋、肥前屋、
肥後屋、薩摩屋、一津屋)もあったそうです。

残念ながら本陣は現存しませんが、雰囲気は
室津海駅館で味わえます。
閉館時間4時半の直前に飛び込みましたが、
丁寧に対応してくれました。

こちらは廻船問屋嶋屋の遺構。
左:間口の広い二階建て外観
中:二階の客間、床の間の意匠がおもしろい
右:レストランの見本ではなく、朝鮮通信使
  の饗応膳の再現

さらに、岬の高台に建つ賀茂神社へ。

想像以上に立派な建物で、本殿や回廊は
重要文化財。
平安時代には高倉天皇や平清盛、江戸時代には
シーボルトも参詣したそうです。

神社境内からの播磨灘の眺めが素晴らしい。

そろそろ日も暮れてきましたね~。

帰りは、国道250号線から姫路、加古川
バイパス~第二神明~阪神高速を乗り継ぎ
2時間半で帰ってきました。

本日の走行距離は307km。
久々の長距離バイクツーリング、疲れたけど、
たつの市を満喫できました。


~今回の甘いもん~
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046(兵庫)龍野 ひしほ饅頭
047(兵庫)龍野 煉羊羹
048(兵庫)龍野 おとのさま最中

湖東(彦根、多賀)へ

2012年10月06日 23時47分28秒 | オートバイ
今日はオートバイで久々のロングツーリング。
ところが、寝坊とエンジントラブルのため
出発が1時間遅れの7時となり、これが後々
響いてくることに…。

中央環状線、国道1号線など、ひたすら下道
を走り続け、10時前にようやく琵琶湖が
見えてきました。


今日はちょっと曇り空ですが、それでも
琵琶湖はいい。
信号の少ない琵琶湖沿いの道を気持ち良~く
走って、11時過ぎに彦根城に到着。


中堀越しに天守を望むと、佐和口多聞櫓と
天秤櫓(いずれも重文)が手前に見えます。

いざ、表門跡から入城。


左から表門橋、彦根城博物館外観、
井伊直弼の具足(当然井伊の赤備え)、
博物館内の復元御殿。
御殿には奥向き(殿様のプライベートエリア)
が再現されています。

ひこにゃんの出番はまだ先だったので、
諦めて本丸へ。


急で登りにくい石段を登ると天秤櫓が睨みを
効かせています。
一度橋の下をくぐった後、ぐるりと回って
橋を渡って門に至ります。

上から見るとこんな感じ。


次に太鼓門(重要文化財)をくぐります。


門の内側は城郭建築には珍しい開放的な造り。

さて、いよいよ天守(国宝)へ。


小振りながらも飾り金具が豪華で、さすがは
井伊家35万石の天守。
全国に4つしかない国宝天守の1つです。
(他には松本城、犬山城、姫路城)
大津城天守を移築し4層から3層に改変した
そうで、その分ずんぐりした印象。
右の写真は天守入口の梁、曲がり具合が凄い。

続いて西の丸三重櫓(重要文化財)へ。


端正な姿で琵琶湖方面を睨んでいます。

山を下り内堀を渡って二の丸へ。


城主が日常生活を送っていた楽々園(槻御殿)
は現在修復中。

仕方なく隣接する玄宮園へ。


こちらは彦根城を代表する眺め、
「THE 彦根城」って感じ。

二の丸に残る貴重な馬屋(重要文化財)。


L字型の巨大な馬屋で、中には馬の模型が…。

ついでに、京橋口付近の旧西郷邸の長屋門。


さすがは家老の御屋敷という感じ。

最後は、井伊直弼が十六代藩主になるまで
住んでいた埋木舎(うもれぎのや)。


内堀に面した静かな佇まいです。
ここは4年前に見学したので、今日はパス。

ゆっくりし過ぎて時間がなくなってきたので、
慌てて多賀大社へ移動。
本当は米原の醒ヶ井へも行きたかったけど、
今日は諦めます。
朝の1時間半がなければ…。

バイクで走ること15分、あっという間に
多賀大社へ到着。


滋賀県犬上郡多賀町にあり、
伊邪那岐命(イザナギ)・伊邪那美命(イザナミ)
の2柱を祀っています。
古くから「お多賀さん」として親しまれ、
中世から近世にかけて全国的に信仰を集め、
「お伊勢参らばお多賀へ参れ、お伊勢お多賀の子でござる」
と謡われたそうです。
これは多賀大社が祀るイザナギ・イザナミが
伊勢神宮が祀る天照大神の両親だから。

本日最後の1枚はこちら。


琵琶湖をパノラマ撮影しましたが、曇り空に加え
時間も4時半頃なので暗い。

結局、一部有料道路(第二京阪)を使用して
8時前に帰宅、走行距離は319kmでした。

最後は八尾辺りから雨にも見舞われ、
朝の1時間半が最後まで響いた一日でした。


~今回の甘いもん~
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023(滋賀)多賀 糸切餅
024(滋賀)彦根 埋れ木
025(滋賀)彦根 三十五万石

地酒を買いに五條まで ~あゝ五條~

2012年08月26日 20時17分11秒 | オートバイ
今日は昼過ぎまで暇ですが、暑くなりそうなのでロードバイクに乗る気になりません。
「たまにはオートバイに乗って、地酒でも買いに行くか~。」
そんなわけで、久々に歴史ツーリングへ。

目的地は奈良県の五條市。
よくロードバイクで通りますが、いつも素通りばかり。(実は昨日も通過)
今日はじっくり見て回るぞ~。

まずは、国道24号線沿いの小高い丘の上にある五條代官所跡へ。

<五條代官所跡>

幕末に天誅組による焼き打ちにあった後、この地に移されました。
現在、敷地の大半は裁判所になっていますが、立派な長屋門が残されています。
五條周辺の幕府領5万3千石(のちに7万1千石)を治めていたそうです。
来年は「維新の先駆け 天誅組150年」の記念の年みたいで、そんな看板が立っていたりします。
(当時の場所ではないものの、ここは天誅組にやられた代官所の跡地なのに?なんだかな~)

それはさておき、重伝建に指定されている五條新町に移動。

まずは、ロードバイクで金剛山に向かう時、本陣交差点手前でいつも見ている風景から。

<国道168号線から見た風景>

右手に見えるのが醤油屋さん、日本人が大好きな匂いがします。
なんと、左手の栗山家住宅は建築年代の判明している民家として日本最古(1607年)の建物だそうです。
不覚にも知らずにいつも前を通過していました。

次に最も五條新町らしい風景、紀州街道沿いへ。

<紀州街道>

左の写真、新町の入口からして歴史の香りがプンプンします。
真ん中は山本本家酒造さん、地酒「松の友」と柿ワインが有名。
今日の目的の一つだったのでぜひ買いたかったのに、直販はしていないのか開いていません。(残念)
右は餅商一ツ橋、あげ饅頭が有名ですが、こちらも閉まっています。(せめて甘いものでもと思ったのに…)

しばらく紀州街道を歩いていると街道を跨ぐように古い高架が見えてきます。

<幻の五新鉄道>

高架が吉野川の手前で途切れています。
これは五條~新宮間を鉄道で結ぶために明治末期に計画され、昭和30年代に工事半ばで放棄された幻の鉄道跡。
う~ん、ちょっと痛々しいような、ノスタルジックなような微妙な感じ。

さらに街道沿いにはこんなものも。

<松倉豊後守重政之碑>

松倉重政といえば島原の乱の原因を作った張本人(乱発生時は息子が藩主)という悪いイメージがあります。
ところが、ここでは善政を敷いた名君として崇められているんです。

新町は重政がここ五條の藩主(1万余石)時代に開いた町で、その後の五條の繁栄の礎となったそうです。
その後、大坂夏の陣で武功を挙げ、島原(4万3千石)へ栄転した結果が…。

歴史を堪能したので、最後に目指すのは今度こそ地酒です。

<五條酒造>

やってきたのは五條駅のすぐ近く、「五神」で有名な五条酒造ですが、こちらも門が閉まっるじゃ~ありませんか。
ここも直販はしていないのかもしれません。(重ね重ね残念です…あゝ無情、いや、あゝ五條)

この後、イオン五條店のお酒コーナーで無事に「純米吟醸 五神」を購入し、帰路に着きました。
予定通り12時半に帰宅、走行距離は106kmでした。

<純米吟醸 五神>

もちろん、帰宅後に飲みました。
ふわっと華やかな香りで、とても美味しゅうございました。
(720ml、\1,245)

ところで、オートバイで走った100kmの疲れがロードバイクと同じくらいなのは何故でしょうか?