今更だが、上田秋成の雨月物語を読み始めた。
読み始めたばかりの私が、ここで文学的なことを言えるわけもなく、ましてやこの物語が面白いのかどうかさえ分からない。
ではなぜこのようなタイトルを付けたかと言いますと、私みたいに古典が苦手な人もやはり勉強しておけば良かったなぁーっと自戒の念を込めたからです。
もう香川県を離れて10年近くになりますが、それ以前は香川県の三木町と高松市の屋島にそれぞれ5年ぐらい住んでいた。
約十年過ごしたわけであるが、住んでいるときにはその土地に関して特に興味を持たなかった。
屋島・壇ノ浦の戦いが有ったことは知っていたが、別段思うことなく、飲み屋に行った際にきれいなオネーサマ方から「屋島はねぇー、夜な夜な平家の亡霊が出て連れ去られるよー」とか言われて「うっ、それは怖いなー・・ 一人で寝られないから一緒に・・・」などと言って却下されまくった記憶が・・・・
話は大分逸れてしまった。
雨月物語の白峰という話の舞台が香川県であったことに驚いたのである。
香川県の坂出市の白峰に崇徳院の御陵があり、西行が坂出の大越というところに泊まったと書いてある。
ああっーーー、なんて言うことだ、仕事をさぼってドライブした所じゃないか!
大越から五色台というコースは、桜の名所であり、瀬戸内海の展望も良い所だ。
あの当時に雨月物語を読んでいたら、どうしたんだろうと考えた。
確実に言えるのは、飲み屋でネタにしただろうということ。そして、おそらく、白峰に行っていただろうなぁーと。
また、屋島、志度という地名も出てくる。
平家ゆかりの地であるという事は知っていたし、天気の良い日には屋島から牟礼、そして志度の海岸線を単車や車でよく行った。
志度には海を見渡すのに絶景なポイントがある。そこで、当時はウォークマンで音楽を聴きながらビールを飲み、海を眺めていた。
崇徳院の祟りで平家の滅亡が起こったという物語があった事を知っていたら、もっとビールが美味かっただろうな。
離れてから、その土地について記述してある本を読むと、なんとなく口惜しい気がする。
離れてから、色々思うのは後の祭りであることも知ってはいるが・・・どうしても考えてしまうのは人の常か。
瀬を早み 岩にせかるる 滝川の われても末に あはむとぞ思ふ
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