横浜教会ニュース

インマヌエル横浜キリスト教会の様子をお知らせします

ゆるされるという福音

2007年06月05日 | Weblog

 先日、日本の閣僚が自殺、という衝撃的ニュースが全国をかけめぐりました。国民へ向けた遺書には「皆さん、どうぞゆるしてください。」と何度か書いてあったようです。その数日前の国会中継では、野党からの追及があったときに彼は余裕の笑みさえ浮かべておられるように見えていたのですが。人は外からどんなに強く見えても内側に計り知れない苦しみを抱えていることがあるのだ、と思わされました。

ゆるしてください」という言葉・・・この閣僚の赦してほしいことが何であったのかは
今はわかりません。けれど、「ゆるしてください」という叫びは多くの人間の魂の叫びではないでしょうか。

私たちの心には、例えば、「だれかに迷惑をかけてしまった、お金をごまかしてしまった、だれにも知られてはいないけれど、ひっそりと行なった不正、あるいは
心の中でだれかを憎んだり、軽蔑したりしている自分、」 etc...

正直に自らを見つめてみると、自分でも自分を受け入れられないような
醜さに気がつくかもしれません。
そんな私達の最も欲する願いは「こんな私の存在をゆるしてください
ではないでしょうか。

エマオの道で」(デニス・キンロー著)という本で十字架のイエス様が、そばで十字架につけられている強盗犯に語っている言葉が紹介されています。

よく言っておくが、あなたはきょう、わたしと一緒にパラダイスにいるであろう。』
(ルカ23:43)
 
 強盗は自分のやってきた悪事の結果を身に受けて今、裁かれ悲惨に死んでいこうとしています。こんな自分にしてしまったのは誰だ、という
世間への憎しみからか、絶望と痛みのはけ口としてか、イエスにも悪態をつきます。およそ今の彼は「赦される」ことからは正反対の所にいます。

 しかし、そばのイエスが「父よ彼らをおゆるし下さい」と祈る言葉などを聞くうちに、劇的変化が起ります。「自分も赦される可能性があるなら、赦されたい。誰かが赦しを与えてくださるといたら、この方に違いない、」と希望をもった、というのです。
 彼は遠慮があったのか「赦してください」とはいわず、「あなたが御国の位にお着きになるときには、私を思い出してください」とイエスに語りかけたのです。
 そこへ上記の言葉がイエスから語りかけられたのでした。
「神の愛は人がどれほど醜い罪に陥っていようと赦しを受けさせることができる。キリストの赦しの希望が消滅してしまうことはありません。」
とDr.キンローは述べています。

聖書に書かれているたくさんの祝福、その中でも最も私達が必要とし
ているのが「わたしの存在をゆるして下さり、それどころか、永遠に友としてかたわらにおいてくださる神様に赦されること」ではないかと思います。