横浜教会ニュース

インマヌエル横浜キリスト教会の様子をお知らせします

不確かさを主が支え

2008年04月03日 | Weblog

自分の信仰はまともなのかと不安になることがあります。

標 宮子先生が書かれた「若い魂の養いに」という本を読んでみました。(バイブルベースでもこの本を使い始めています。)次のようなことが書かれていました。

マルコの福音書に病気の息子を持った父親のことが記されています。彼はその子の病気に苦労しイエスを頼って御許にやってきました。その場で子どもは倒れます。そして「できましたら、わたしどもをあわれんでお助けください!」と叫ぶのです。必死で助けて欲しいと願いつつ「もしできるならば」という不確かな信仰を表明してしまうのです。その直前に弟子たちに頼んでも癒やされなかった、その絶望感といっしょになっていたようです。イエス様は彼に真の信仰を引き起こそうと迫ります。「もしできれば、というのか。信じる者にはどんなことでもできる」父親は叫びます。「信じます。不信仰な私をお助けください。」

このあとの標先生の言葉が心にとまりました。

「信仰を持つというとき、私たちは錯覚してはいないでしょうか。信仰とは自己の信念の純粋さや確かさを意味するのではないのです。この父親も疑いを抱いたまま、自分の心の不確かなままにその心をキリストにゆだねてしまったのです。自分の祈りや信仰についての自信はありません。しかし、その不確かさを、主イエスが支えてくださるのです。」

これは私にとって励ましでした。自分の髪の毛を自分でひっぱって引き上げようとするような信仰になりがちですが、この不安定で確かでない自分まるごとを主に投げだせばいいのだ、と教えられたのです。