裕次郎の玉手箱3

趣味 写真や日記、旅行とアマチュア無線 PC 好きな事が多くて全て今一状態 人との出会いを大切に北海道大好き人間です。

年の始めの「えべっさん」

2015年01月10日 | 日記

「年の始めのえへ゛っさん商売繁盛でささもってこい!!」と今年も大阪の商売神様えべっさんの十日戎が9日 10日 11日の3日間のお祭りが始まっている 私も毎年行くが、今年は10日の本えびすに行く事になり大変な人混みに押し込まれながらの参拝になった。入場制限が掛かり中々進めない大昆雑 大体毎年120万人程の人で賑わう大阪の大祭り この神社のすぐ前に昔は私の工場有りました。3日間は開店休業になった。

お賽銭がどっさり

 

50人の福娘かざりものを付けて貰ってささに福を付けて貰います。

歴代の福娘もお手伝いに

十日戎(えべっさん)は毎年1月の9日・10日・11日の3日間行われます。福笹は、1月9日の午前0時から12日の午前0時まで夜通し授与していますよ なお福娘の奉仕時間は、午前9時から午後9時となって居るようです。 豊臣時代の頃になりますと庶民のえびす様への信仰はより厚くなり、また豊臣秀頼は片桐且元に社殿造営の普請奉行を命じています。またこの頃より市街が発達 し、大阪町人の活躍が始まり、江戸期になると大阪は商業の町としてより一層の繁栄を遂げ、それと期を一にして今宮戎神社も大阪の商業を護る神様として篤く 崇敬されるようになりました。十日戎の行事もこの頃から賑わいをみせ、延宝三年(1675)の現存する最も古い大阪案内の図「葦分舟」にも十日戎の状景が 描かれています。
また文芸の分野においても江戸初期の俳人小西来山の句集で今宮のことが書かれており、中期の大田蜀山人の紀行文にも十日戎が記されています。また浄瑠璃「艶容女舞衣」では十日戎が重要な背景として設定されています。
明治には、それまでの問丸が雑喉場の魚市場、材木商組合、麻苧商組合、蝋商組合、漆商組合、金物商組合等が講社を結成し、十日戎はより一層盛んになりました。
このように時代とともに盛大になってゆく祭礼ですが、惜しくも昭和二十年の戦災で神社はことごとく焼失しました。しかしながら昭和三十一年には本殿が復興し、再び十日戎も活況を呈する 何はともあれ何とか好景気を頼みまっせ えべっさん  明日もまだ残り福を頂に行ってみませんか...

 

 

 

 

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