大阪にも10度少しの寒さがボツボツと近づいてきました。
北海道程ではありませんが...
寒く成ってきましたが、なんとか現状維持の健康に努めています。
昨日は大阪城と御堂筋の紅葉確認に行ってきましたが、大阪城は終盤
太閤さんが多分見たでしょう気分で天守閣から展望してきました。
大阪城の紅葉は矢っ張り天守閣からが、一番ではないでしょうね
御堂筋はまだ早い所とぼつぼつ散り始めている所が有りますが、ここは
矢っ張り12月に入って落ち葉と共にの景色が好きですが、御堂筋も北と南では
紅葉が幾らか違いますね
中之島のイルミネ-ションの用意も始まってまして、部分的に試験点灯してました。
12月に入れば街はイルミネ-ションの光に包まれます。
以前と違って殆どがLEDですが...
私はカメラ的にはLEDは冷たい感じがしますが
中之島のイルミネ-ションの用意していましたよ 所々は試験点灯してました。
「太閤さんのお城」とも呼ばれているが、昭和34年の大阪城総合学術調査において、城跡に現存する櫓や石垣などは徳川氏、徳川幕府によるものであることがわかっている。
大坂城は、上町台地の北端に位置する。かつて、この地のすぐ北の台地下には淀川の本流が流れる天然の要害であり、またこの淀川を上ると京都に繋がる交通の要衝でもあった。元々古墳時代の古墳があったと言われ、戦国時代末期から安土桃山時代初期には石山本願寺があったが、1580年(天正8年)に石山合戦で焼失した。その跡に豊臣秀吉によって大坂城が築かれ、豊臣氏の居城および豊臣政権の本拠地となったが、大坂夏の陣で豊臣氏の滅亡とともに焼失した。徳川政権は豊臣氏築造のものに高さ数メートルの盛り土をして縄張を改め再建した。その後、幕府の近畿地方、および西日本支配の拠点となった。姫路城、熊本城と共に日本三名城の一つに数えられている。そんな大阪城に昨日行ってきました。大勢の観光客とか修学旅行などで賑やかでした。
ここの牡蠣船も随分と古くから商売していますねえ船です お店は