小さな海底炭坑のこの島は、岸壁が島全体を囲い、高層鉄筋コンクリートが立ち並ぶその外観が軍艦「土佐」に似ているところから「軍艦島」と呼ばれている様だが。本当に軍艦だ 常盤タ-ミナルからツァ-のクル-ザ-で連れて貰うことに このタ-ミナル埠頭の近くには大浦天主堂やオランダ坂が近くに位置します 今年の2020年2月21日から軍艦島の見学施設の供用が再開用が再開されたと聞いていたので三月一日からの九州一周の旅の行程に入れていた
最盛期の昭和35年には約5300人もの人が住み、当時の東京都区部の9倍もの人口密度に。島内には小中学校や病院などが完備され生活を全て島内で賄うことができ、映画館やパチンコホールなどの娯楽施設もそろっていましたと説明を聞きました
島に着きますと先ず島を一周して海上から眺めましたが、ここで大勢の人たちが働き生活をしていたと聞き中々想像もしにくかったです 生活環境は仕事はキツかったのでしょうが、当時としては中々庶民には手の届かない電気製品などが普通に使っていたとか 給料はかなり高かったようだし
この端島炭坑の石炭はとても良質で、隣接する高島炭坑とともに日本の近代化を支えましたが、主要エネルギーが石炭から石油へと移行したことにより昭和49年に閉山。島は無人となったそうです
上陸します コンクリ-トのガレキばかりです いつ崩れ落ちても不思議ではないほどフチていました
私はこの島全体が世界遺産登録されているものと思っていましたが、この画像の赤レンガ部分が世界遺産に成っているようです
近づくことは出来ませんが、当時の住民の姿が頭の中で白黒で走馬灯のように走りめぐりました
上陸ツアーでは、主力坑だった第2竪坑跡や、端島炭坑の中枢であったレンガ造りの総合事務所、大正5年に建てられた日本最古の鉄筋コンクリート造の7階建て30号アパートなどを見学通路から見えました
ここは25mプ-ルの跡 海水だったそうで海で泳ぐことが出来なかったので
ここ軍艦島は平成27年7月5日世界文化遺産として正式登録されてます 日本の発展成長の起点の一部がここに有った事は確かでしょう エネルギ-資源としてとても大事な場所だったのでしょうね 石炭は北海道でもたくさん取られていましたが、その様な昔の日本の歴史の中では輝いているが、人々のの心から薄くなり忘れられて行くことが、とても寂しい 今回の旅の中でいい思い出と在りし日の日本の底力の場所に巡り合えことはとても有り難かったです