心穏やか委員会

笑い飛ばせば気分は上々。

奥さんの誕生会

2018年10月15日 | 日記
昨夜は、奥さんの誕生日にお料理作りました。

お金はそれほど掛けられませんが、丸一日、悪戦苦闘した誠意は伝わったかと。
全体写真。(保険のKFCは外せません)



奥さんとは長い付き合いです。

(ケ-キは娘たちが買ってきました)

横浜市立根岸小学校の4~6年生で同じクラスでした。

奥さんとその一味は、僕をことあるごとにイジメました。
その中で大柄な「大木さん」は、僕のものを取り上げ、
「返して欲しかったら泣きな」と迫り、泣かなかった僕の横っ面をはり倒し、
無理やり泣かしたのは今でも許していません。(^^)

僕はやつらが大嫌いでした。

しかし、その後の中学三年間も同じクラスでした。

引き続き、僕は彼女たちのからかわれる対象であり続けました。
僕は、中学2年生まで異性に全く興味がありませんでしたが、
三年生のある日、イジメの大将が女子であることに気が付きました。

よくある最初嫌いだった人と、仲よくなるパタ-ンです。
僕たちは高校入学までお付き合いしました。


高校生になり僕は新しい環境で、ものすごく可愛い子に一目ぼれしました。
学年でも五本の指に入るであろうその彼女とお付き合いするために、
僕は奥さんをフリました。若気の至りというやつです。

しかし、悪いことはできません。僕は半年でフラレました。
でも、彼女の手作り弁当持って行った、クイ-ンのライブは一生の思い出です。


そして、月日は流れ19歳の夏。

奥さんと偶然道端で会いました。
奥さんは銀行員、僕は専門学校生。

思い出話から、またお付き合いが始まりました。
しかし、1年ぐらい経ったある日、「デブは嫌い」ものすごい言いぐさで、
幸せ太りをした学生の僕と、バリバリ年収一千万の同僚の銀行員とが天秤にかかり、
当然、僕がフラレました。


それから二年後。
また僕たちは偶然道端で会いました。(家が近所というわけではありません)

社会人になった僕と、バブル期絶頂の中身空っぽイケイケ銀行員(だったんだって)は、
再度天秤にかけられ、今度は誠実派の僕の勝利だったようです。(^^)


僕たちは24歳で結婚しました。
僕は貯金もほとんど無いし、今思うと無謀でしたが、
そうでもなきゃ結婚なんてできないよ、昨今の若者諸君!と言いたいです。

あれから28年、山あり谷あり。
離婚の危機も何度がありましたが、腐れ縁でしょう。
いまでも、横浜そごうのもの凄い人混みのど真ん中で、偶然会ったりします。

それに今は、とにかく三人の子どもを何とか仕上げるのが第一です。
それにはお互いを労い、協力していかなければならないと思うようになりました。

喧嘩している暇もないのです。(^^)
コメント (10)
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