住職であり、直木賞作家でもあり、私からすれば競輪評論家としてその名をとどめた寺内大吉(本名:成田有恒)さんが6日夕方、東京都文京区の病院で亡くなられた。86歳。
競輪関係の執筆も少なくなく、中でも競輪上人行状記は映画化された。
確か昭和40年代初頭より特別競輪決勝戦中継の解説を務め、中村敦夫氏とのコンビ出演は今となっては懐かしい思い出。
また、後に一緒に競輪中継に出演することになる福島正幸に「コンピューター」という愛称をつけたり、日本選手権競輪で2回も決勝1着失格となった白鳥伸雄を哀れんで、「白鳥は哀しからずや」という名文句も生み出した。さらに、行っても行っても惨敗続きだった世界選手権にも毎年選手らとともに帯同して行っていたこともあり、アントニオ・マスペスに平間誠記が今度は勝てるかな、といったこともよく言っていたそうだ。
ま、キックボクシング中継の解説もやってたな。
中野浩一出現以前は、競輪といえば、寺内さんが言ってみれば代名詞的な存在だった。そのため、「ものぐさ坊主」などと陰口を叩かれたこともあったそうだが、非常に勉強熱心で、しかも選手経験がないにもかかわらず、競輪の細部まで精通していた。
寺内さんのような人は恐らくそうそう現れまい。
謹んで、ご冥福をお祈りいたします。
(追記)
「滝澤、佐々木の43期以降の期は誰一人タイトル取っていない!もっとヤングが頑張らないと、競輪はいずれ飽きられる」
というのが、1989年のオールスターを坂本勉が制するまで口癖だった。
寺内さんのその話が今、競輪の衰退、風前の灯状態に繋がっているとしたら、まさに的を得た言葉だったのかも。
また、特別競輪の場外発売開始は1972年の千葉・日本選手権競輪からで、中央競馬後楽園場外発売所で実施されたが、それを実現させたのもまた寺内さんだった。