本日から始まった第51回オールスター競輪で訃報。
第7レースに出走した内田慶選手(栃木・27)が最終2センター付近で落車。外傷性くも膜下出血で亡くなった。
http://www.sponichi.co.jp/gamble/flash/KFullFlash20080911126.html
http://www.nikkansports.com/race/kka/news/f-rc-tp1-20080911-407456.html
http://www.sponichi.co.jp/gamble/news/2008/09/12/16.html
内田といえば、当時の日本代表監督だったゲーリー・ウエストに見初められ、2004年の世界選手権から国際大会にも随時出場。2006年のアジア大会にも出場経験があり、同大会の4km団体追い抜きのメンバーとして、4位入賞を果たした。
また、全日本プロ自転車競技大会の4km個人追い抜きでは6連覇を達成中。
競輪のほうでは、最近ではマーク型の選手として、S1選手として活躍していた。今年のサマーナイトフェスティバルでは決勝4着に入った。
そういえば今年5月、全プロで6連覇を達成しながらもタイムがよくなかったことから、解説の中野浩一さん(奈良競輪場のサイトにおいて、ライブ中継でのみ放送された)から、
「こんな走りでは到底納得できない。」
と批判を受けた(今振り返ってみると、中野さんはボロカスに言っていた。まるでそのさまは「説教」。裏を返せば、このタイムでは到底世界の舞台に立つことさえ無理だという意味もあったのだろう。)が、内田本人もまた、
「自分でも納得できない走りだった。」
と反省していたほど、4km個人追い抜きにかける思いは強く、また、ロンドンオリンピック出場の夢も描いていた。
しかし残念だなぁ。この種目はトラックでは一番弱い種目で、それだけに、内田にかかる期待も大きかっただけに・・・
ミラクルCに以前、渡邉一成とともに出演し、出場がかなわなかったとはいえ、「北京のメダル候補」とまで言われた選手なのに・・・
謹んでご冥福をお祈りいたします。
(略歴)
作新学院を経て、日本競輪学校87期生として入学。デビューは2002年8月3日、宇都宮競輪場(3着)。
通算420戦82勝。優勝17回。アテネパラリンピックで、葭原滋男のパイロットを務め、銀メダルに導いた大木卓也の師匠でもあった。
(追記)
改めてリプレイを見た。
最初、一宮競輪場のオンデマンドを見たが、当該箇所はカットされていた。次にKEIRIN.JPの動画を見た。画像状態は悪いが、残りあと2周付近からレースの模様はアップされていた。
最終2センター付近で、後退中の選手と、捲って出た選手の3番手に追走していた選手にサンドされて転倒したんだな。
サンド状態というのは大変危険。行き場を失われ、かといって逃げ場もない。ただ落ちるしかないといった状態に追い込まれるから。しかも、打ち所も悪かったんだろう。
リプレイを改めて見ながら、残念、そして本人にとってみれば、無念というしかないな。