公営競技はどこへ行く

元気溢れる公営競技にしていきたい、その一心で思ったことを書き綴っていきます。

7月3日の優勝戦・重賞結果

2010-07-03 17:11:09 | 各日の公営競技

・競輪

広島

A級 栗田貴徳 111

A3 増原正人 111

卒業記念優勝者・増原がデビュー開催で完全V。


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ついでだから書こう

2010-07-03 16:40:22 | 競輪

サッカーの「4」のジンクスに関連して、競輪を含む日本の自転車競技にも「ジンクス」があることを書いておこう。

(2010 7・2追記)

・1936年のベルリンオリンピックの開会式に参加した出宮順一(他3選手)だが、役員の登録ミスでレースには参加できなかった。その3ヵ月後、チューリッヒで行われた世界選手権・アマ個人ロードにおいて、出宮が7位に入った。なお、世界選手権の個人ロードでは、プロ・アマ通じていまだ出宮の7位が日本人選手としては最高順位である。

・1968年、平間誠記の不慮の事故死により、プロ選手団は当年の世界選手権派遣を断念したが、アマ選手団は参加し、タンデムスプリントにおいて、井上三次・班目隆雄コンビが、日本人最初の同大会メダリスト(銅)となる。

・成績不振やオイルショック等に起因する、遠征費の高騰等の理由により、プロ選手団の世界選手権派遣中止の話が検討されていた矢先の1975年、阿部良二がスプリントで銅メダル獲得。

・1980年のモスクワ五輪ボイコットにより、長義和が選手生命そのものまで絶たれたが、その4年後のロサンゼルス大会・スプリントで、坂本勉が日本自転車選手として、五輪大会初の銅メダルを獲得。

・1987年、中野浩一が全プロ大会ケイリンで敗退し、世界選出場すら絶たれたが、同年の世界選で、俵信之がスプリントで、本田晴美がケイリンでそれぞれ優勝。

・1992年に中野浩一が引退。中野に替わるスター選手が待望されていたが、当時20歳の十文字貴信が1996年のアトランタ五輪・1kmタイムトライアルで銅メダルを獲得。

・2004年の世界選で、ゲーリー・ウェストの選手起用方針に反発した日本選手団が空中分解状態となったが、同年のアテネ五輪で、長塚智広、伏見俊昭、井上昌己のトリオが銀メダルを獲得。

・2004年の世界選で、ウェストに途中でチームスプリントのメンバーから外された永井清史が、2008年の北京五輪・ケイリンで銅メダル。


こうしてみていくと、サッカーのような定型化されたジンクスではなく、がけっぷちに立たされたあと、まさに起死回生的な形で成果へと結び付けている感じ。ま、一種、「こじつけ」的な部分も見られるが、こうして一連の記事を見ていくと、日本の自転車界もそれなりの「底力」が備わっているんだろうな。

コメント (4)
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よく分からないが

2010-07-03 12:13:50 | スポーツ

(フィクション開始)

『おう!何で社会人野球は盛り上がらんのや!』

『特に予選なんて、借り出された社員連中除いたら、ワシら「マニア」しかけぇへんぞ!』

『独立リーグかへったくれか知らんけど、こんなもんよりも面白いやろ!』

(フィクション終わり)

ま、よく分からないんだが、社会人野球って、その会社の関係者でない限り、馴染みが薄いからじゃないか。

さらに、「メイドインジャパン」に対する忠誠心が希薄になっているという点もあると思う。

サッカーは、日本リーグからJリーグに組織を変えただけで、180度変わった。日本リーグ時代は、「丸の内御三家」なる言葉があったように、「会社対抗戦」という点に重きがおかれていたきらいがあった。したがって、企業関係者以外の人には興味がなく、閑古鳥が泣く始末だった。むろん、サッカーのレベルそのものが低かったという要因もあった。

それがJリーグになっただけで、1993年当時、純粋たるクラブチームは清水エスパルスだけで、他は実質、前身企業チームからの名称変更に過ぎなかったにもかかわらず、爆発的なブームを呼んだ。つまり、名前が企業名から地域名に変えただけで「180度」変わってしまったのである。

あのときのインパクトはすごかった。長らく、プロ野球を含めて、「学校・企業」が日本スポーツの主流だったのに、Jリーグの登場で「地域スポーツ」という概念が一気に浮上したからである。

その後、それに乗り遅れたスポーツ団体は、人気がなくなってしまったな。

社会人野球も、戦前は職業野球(プロ野球)よりも人気が高かったと聞く。確か2リーグ分裂当時、毎日オリオンズが、別府星野組の選手を根こそぎ引き抜き(毎日は、大阪タイガースの主力選手も根こそぎ引き抜いた)、ひいては初代日本シリーズ優勝へと導いたというようにも聞く。ま、都市対抗にしても、全大阪とかいったクラブチームも少なからず存在したように、必ずしも、「企業お抱え」というわけでもなかった。

それが高度経済成長時代を迎えると、「企業お抱え」のほうが強化がうまくいくという理由から、クラブチームは激減。しかし、バブル崩壊後の今日、今度は企業チームがどんどん廃れ、逆にクラブチームは復活の様相を呈しつつある。

ま、社会人野球といえば、 「大味な試合」がほとんどないので、まさに1点を取ることが大事、という点に凝縮される。加えて、全国大会はトーナメント戦だから、負けたときの悔しさは、それこそプロ野球の比ではない。だから、マニアにとってみれば、日本で一番面白い野球が社会人、といえるかもしれない。

もっとも、人気を上げようと思うならば、地域に根ざした施策が必要だろうな。でも、企業チームがそのように考えているかな?そこが問題。


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