こんどう氏や、代品民氏のコメントを見てこう思った。
JRAは1998年度以降、2009年度まで、12年連続前年比売上減。減少期間からいえば、競輪の18年連続に次ぐ。
また、1997年度がピークだったが、そのときと比較して約1兆5000億円近くも減らしている。
JRAは1996年に番組改革を行った。秋華賞の創設、5・6月の阪神開催と6・7月の中京開催を入れ替え、それに伴い、高松宮記念のG1格上げ及び距離変更(2000m→1200m)及び5月第3週開催変更、さらに、宝塚記念の開催時期変更(6月中旬→7月中旬)、安田記念の開催時期変更(5月中旬→6月中旬)、エリザベス女王杯の古馬開放なども行われた。
しかし、宝塚記念が7月中旬に開催変更されたことで、ナリタブライアン陣営が、春の天皇賞出走後に、自身に見合ったステップレースがないとの理由により、高松宮記念に出走せざるを得なくなったところ、事もあろうか、レース中に故障してしまい、そのまま引退を余儀なくされた。早くも、番組改革初年度に挫折する羽目になった。
そして、番組改革「大失敗」となったのが2000年。
1998年、99年と2年連続で売上減となったことを受け、JRAにしては珍しく、早急なる手を打ったのだが、これがとんだ裏目に出てしまった。
ま、秋のG1 10週連続をやめることになったのはある意味英断だったかもしれないが、菊花賞の10月第3週開催変更については当初から競馬関係者からの反発が大きかった。杉本さんが、「菊花賞は絶対に開催時期をずらしてはならない」と言っていたにもかかわらず。そして客も菊花賞といえば11月開催に慣れていたせいか、10月開催では全く売上が振るわなかったことから、図らずも、競馬関係者の懸念が露呈化してしまった。
今思うに、3歳馬も、秋シーズンになれば天皇賞へ向かう馬も少なくないわけだし、ジャパンカップにおける3歳馬の活躍例が思ったほど見られない(2000年以降、3歳馬の優勝例は、2001年のジャングルポケットだけ)ことを思うと、11月上旬でも良かったように思う。ま、菊花賞については、今だと古馬にも開放してもいいかもしれないな。
さらに、高松宮記念の3月、スプリンターズステークスの9月下旬開催も「大失敗」。結果、売上は番組改革前よりも大幅に減ってしまった。
ところがJRAは、今もなお、この「大失敗改革」路線の番組をほぼ踏襲した形をとっている。それどころか、スプリンターズSについては、「グローバル・スプリント・チャレンジ」と称して後に「正当化」させてしまった。結局、「2度目の失敗となっては困る」、という意識から、変な意味での「隠蔽工作」に走ることになったんだろうな。このあたりはまさしく、お役所思想だな。
しかしながら、客にそうした「工作」が通用するはずなし。売上はこの間減る一方。加えて、1990年代には大当たりだった競馬場のスタンドリニューアル効果もなし。
国際化、という話をJRAは都合のいいときに持ち出すけど、実際のところ、春の天皇賞をいまだ3200mに据え置くなど、とても国際化路線へ踏み出しているとは言い切れない。また、春シーズンを3歳クラシック戦線主導に置くあまり、古馬中長距離戦線が手薄な番組構成となったままだし、ジャパンカップにしても、後発のブリーダーズカップや、香港国際競走とは違って、本気で強力外国馬を連れてこようという意図が、1990年代から感じられなくなった。
そろそろ、2011年度の番組骨格を作成する時期に来ていると思われるが、多分まだ、「2000年体制」を維持するんだろうね。
しかし恐らく、その体制を維持したところで、売上効果は期待できないだろうね。むろん入場者も。
となると、早期から2012年度に向けた体制作りが必要となるはずだが、JRAにそうした覚悟はあるかな?
しかしながら、2000年の改革は本当に早かったな。どうして今それができないんだろうか?と思うと、残念でならないね。