道州制推進論に対する疑問(大阪日日新聞・一刀両断)
2013/04/23
近づく参議院選挙とそれに関連した合従連衡を意識して、政党間での政策論争が盛んである。
その中で、維新の会との連携の鍵のように語られる「道州制」導入論には疑問がある。
端的に言って、道州制とは、この日本国を例えば八つの小国に分割することに等しい。
アメリカは、もともと50の国家(それぞれに憲法を有し、議会制度や司法制度も各州独自に定めている)の連合体(連邦)である。フランス、イギリス、ドイツ、ロシアなども、歴史的に国家連合に近い。
それに比して、紛れもなく、2千年以上も日本列島の中に閉じこもって暮らして来たわが国は「単一国家」である。
それを、江戸時代に300余の藩で分割統治していたものを、明治維新後に足し算して作られた行政区割りが都道府県である。
いわゆる道州制論は、全国を、例えば今の行政管区のように8州にまとめて、そこへ国の権限を大幅に移管するというようなもののようである。
それを「地方自治の拡充」と言えば聞こえは良いが、それでは、国・州・県・市の四重行政ではなかろうか。
今日のように通信・交通手段が高度に発達した時代に、財政の無駄を省いたきめの細かな行政サービスという観点から考え直すならば、むしろ、国と市(基礎自治体)の二つで十分なのではあるまいか。
つまり、外交、防衛、通貨管理、通信、交通、警察、司法などは、国家が一元的に管理しなければ、国家の存続が危うくなり兼ねない。しかし、その他の行政分野については、国家は基本方針を定め財源を確保することだけに止め、実際の行政サービスは、住民に直結した基礎自治体が担った方が、需要に的確に対応した真にきめの細かなものになり、無駄がない。
さらに、地方自治拡充のスローガンのように語られる「地域主権」という言葉に至っては、日本国について語る以上、論外だと言わざるを得ない。
主権とは、唯一・排他的な領域管理権である以上、「地域主権」などという概念を憲法で認めてしまった場合には、各自治体が、それぞれ独自に、外交が行え、軍隊と警察を組織できて、議会制度も司法制度も構築できることになる。もちろん、論者はそういう意味で使ったつもりはないと言うであろう。ならばその表現は撤回すべきである。
(慶大教授・弁護士)
ま、道州制の「総本山」というわけではないが、とりわけクローズアップされているのは、橋下大阪市長、松井大阪府知事を擁し、私の居住地でもある「大阪」だろう。
思うに、「大阪の感覚」からすれば、道州制については取り立てて障壁は「ない」。
なぜならば、大阪は、近隣の京都、神戸の影響を受けることなく、「独自の文化、風習」といったものがあるからだ。同様に京都も神戸も、大阪の影響を必ずしも受けてはいまい。
ところが、日本の大半の地域では、大阪、京都、神戸のようなところはまれで、例えば徳島県のように、四国地方であるにもかかわらず、情報は大阪から受けている、というが「普通」なのである。
以前、毎月「旅打ち」をしていた経験からいうと、例えば、山口県の場合、岩国は明らかに「広島圏」だが、下関とか山陽小野田、防府といったところは「北九州」の色が濃い。
さらに、三重県の場合だと、上野とか名張あたりは近畿の色が濃いが、四日市、桑名は明らかに「中京圏」。鳥取県についても、鳥取は近畿圏の色合いを呈しているが、米子近辺は松江色が強い。
静岡だと、浜松は中京圏だが、沼津、三島、熱海は「関東圏」。そして静岡市はそのどちらとも言い難い、という「複雑な構図」となっている。
てなことを見てみると、現在の47都道府県でさえ、こんなに複雑な様相を呈しているというのに、これを道州8~16程度に分けるというのはかなり難しいことだと考えられる。
民主党は政権奪取前の「マニフェスト」で、当時の政権与党である「自公」に対抗すべく、「基礎自治体」による地域主権を掲げたはずである。ま、上記のコラムにもあるけど、実は、日本の場合は逆に、47都道府県という区分けそのものが上記の例を挙げるまでもなく「大まか」であり、さらに細分化させたほうがいいような気がする。
一方で現在、都道府県の下部に存在する自治体は、はっきりいって「全廃」するしかあるまい。ま、小泉政権時代の「骨太の改革」で、かなりの自治体が整理されたとはいえ、まだまだ日本は地方自治体の数が多いのは確か。
となると、上記にある通り、幕藩体制の復活ではないが、全国に200~300の「基礎自治体」を置く代わりに、市町村制を「廃止」するといった案のほうがまだ合理的ではなかろうか。
さらにいうと、道州制にすれば、結局、「霞が関」が各州都に分散するだけで、州都のない自治体は州都に「お伺い」を立てなければならなくなるのが目に見えて明白だ。そうなると、地方分権といいながら、中央集権制がきわめて濃いものになってしまうであろう。
加えて、自公政権が復活してまもなく、一括補助金を廃止して、ひも付き補助金を復活する、なんていう話が出たように、はっきりいって、今の大半の首長は、自らの裁量で政策を立案するというのが、どうも「苦手」なようである。そんなことでは、各道州の独立色が強くなる道州制をうまく運営できる「はずがない」。ということは、口では「地域主権」と言いながら、実情は国(役人)に指図されなければ「何もできない」のではなかろうか。
もっとも、基礎自治体にした場合も同様の懸念がある。しかし、首長の権限は現在の47都道府県知事よりも小さくなるので、割と、住民本位の思い切った施策を打てるのでないか、とも思う。