詩人の谷川俊太郎さん死去「二十億光年の孤独」「生きる」など | NHK 2024年11月19日 9時11分
「二十億光年の孤独」や「生きる」など鋭い感性で生み出した親しみやすい詩で知られる、現代を代表する詩人の谷川俊太郎さんが、今月13日に老衰のため都内の病院で亡くなりました。92歳でした。
1931年に東京で生まれた谷川さんは、高校時代に詩を作り始め、1952年、詩集「二十億光年の孤独」を発表しデビュー。
広い宇宙に生きる孤独な人間の姿を見事に表現し、一躍脚光を浴びました。
鋭い感性から生まれる表現やテンポのよいことばあそびなどが特徴で、半世紀以上にわたり数多くの作品を発表し続けてきました。
生きるすばらしさをつづった「生きる」や、世界中で朝を迎える様子を描いた「朝のリレー」など国語の教科書に掲載された詩も多く、親しみやすいことばで表現された谷川さんの詩は時代をこえて読み継がれてきました。
また、アニメ「鉄腕アトム」の主題歌の作詞を手がけたほか、絵本「スイミー」や「マザー・グースのうた」、それにスヌーピーの漫画「ピーナッツ」など海外の名作の翻訳を多く手がけたことでも知られています。
NHK全国学校音楽コンクールでは過去5回にわたり課題曲の作詞を手がけ、ことばの持つ力で日本の文化を支えてきたとして、ことし放送文化賞を受賞しました。
谷川さんの事務所によりますと、今月13日の午後10時すぎ、老衰のため都内の病院で亡くなったということです。
92歳でした。
息子の賢作さん「詩はずっと皆さんと共に」
谷川俊太郎さんの息子でピアニストの谷川賢作さんは、SNSのXで「私は中国からの公演の帰途についているところで間に合いませんでしたが、妹が駆けつけてくれて、最後をみとってくれました。穏やかな最後だったということです。皆様と同様私も、俊太郎の詩に驚き、感心し、クスッと笑わされ、ほろっと泣かされ、楽しかったですね。紋切り型ですが、彼の詩はずっと皆さんと共にあります。ありがとうございました」などと投稿しました。
谷川さんはことしの1月から体調を崩していたということで、NHKの取材に対して賢作さんは「10か月にわたって大変だったな、お疲れさまと声をかけてあげたいです」と話していました。
放送文化賞を受賞 3月にメッセージも
3月に開かれた放送文化賞の式典では、息子の賢作さんが出席してメッセージを代読しました。
この中で谷川さんは「私は詩を原稿用紙に書くことから始めましたが、まもなくその詩を声に出して朗読することが求められるようになり、自作の詩を自分の声で読むようになりました。初めは恥ずかしかったけれど、そのうち慣れて、活字とは違う詩の広げ方というものが自然に自分でもできるようになりました。そして放送で自作を読んだりすることが自分の仕事としても成り立つようになったと思います。放送のジャンルで仕事をすることは私にとって自然なことで、誰かの声で自分の詩が広まることは新鮮な経験でした。まもなく私は文字だけではなく声で自分の書いたものを広めることにエネルギーを注ぐようになりました。私は自分では演奏はしませんが、音楽が大好きで、自分の詩が歌になることはいつでも歓迎していました」と思いをつづっていました。
林官房長官「敬意を表するとともに哀悼の意を表したい」
林官房長官は閣議のあとの記者会見で「謹んでお悔やみを申し上げる。戦後日本を代表する詩人として幅広く活躍された谷川氏の功績に敬意を表するとともに哀悼の意を表したい」と述べました。
「二十億光年の孤独」や「生きる」など鋭い感性で生み出した親しみやすい詩で知られる、現代を代表する詩人の谷川俊太郎さんが、今月13日に老衰のため都内の病院で亡くなりました。92歳でした。
1931年に東京で生まれた谷川さんは、高校時代に詩を作り始め、1952年、詩集「二十億光年の孤独」を発表しデビュー。
広い宇宙に生きる孤独な人間の姿を見事に表現し、一躍脚光を浴びました。
鋭い感性から生まれる表現やテンポのよいことばあそびなどが特徴で、半世紀以上にわたり数多くの作品を発表し続けてきました。
生きるすばらしさをつづった「生きる」や、世界中で朝を迎える様子を描いた「朝のリレー」など国語の教科書に掲載された詩も多く、親しみやすいことばで表現された谷川さんの詩は時代をこえて読み継がれてきました。
また、アニメ「鉄腕アトム」の主題歌の作詞を手がけたほか、絵本「スイミー」や「マザー・グースのうた」、それにスヌーピーの漫画「ピーナッツ」など海外の名作の翻訳を多く手がけたことでも知られています。
NHK全国学校音楽コンクールでは過去5回にわたり課題曲の作詞を手がけ、ことばの持つ力で日本の文化を支えてきたとして、ことし放送文化賞を受賞しました。
谷川さんの事務所によりますと、今月13日の午後10時すぎ、老衰のため都内の病院で亡くなったということです。
92歳でした。
息子の賢作さん「詩はずっと皆さんと共に」
谷川俊太郎さんの息子でピアニストの谷川賢作さんは、SNSのXで「私は中国からの公演の帰途についているところで間に合いませんでしたが、妹が駆けつけてくれて、最後をみとってくれました。穏やかな最後だったということです。皆様と同様私も、俊太郎の詩に驚き、感心し、クスッと笑わされ、ほろっと泣かされ、楽しかったですね。紋切り型ですが、彼の詩はずっと皆さんと共にあります。ありがとうございました」などと投稿しました。
谷川さんはことしの1月から体調を崩していたということで、NHKの取材に対して賢作さんは「10か月にわたって大変だったな、お疲れさまと声をかけてあげたいです」と話していました。
放送文化賞を受賞 3月にメッセージも
3月に開かれた放送文化賞の式典では、息子の賢作さんが出席してメッセージを代読しました。
この中で谷川さんは「私は詩を原稿用紙に書くことから始めましたが、まもなくその詩を声に出して朗読することが求められるようになり、自作の詩を自分の声で読むようになりました。初めは恥ずかしかったけれど、そのうち慣れて、活字とは違う詩の広げ方というものが自然に自分でもできるようになりました。そして放送で自作を読んだりすることが自分の仕事としても成り立つようになったと思います。放送のジャンルで仕事をすることは私にとって自然なことで、誰かの声で自分の詩が広まることは新鮮な経験でした。まもなく私は文字だけではなく声で自分の書いたものを広めることにエネルギーを注ぐようになりました。私は自分では演奏はしませんが、音楽が大好きで、自分の詩が歌になることはいつでも歓迎していました」と思いをつづっていました。
林官房長官「敬意を表するとともに哀悼の意を表したい」
林官房長官は閣議のあとの記者会見で「謹んでお悔やみを申し上げる。戦後日本を代表する詩人として幅広く活躍された谷川氏の功績に敬意を表するとともに哀悼の意を表したい」と述べました。