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東京の人 54

2009-04-25 20:41:28 | 残雪
かおりと同居するようになって、そのまま年を越してしまったが、結局正月は月岡にも戻らず、寺井は東京の案内役をして過ごした。
春子は、落ち着くまで無理に帰る事はない、と淡々としたもので、遊びに来ようともしない。
かおりはもうすっかり同居の生活に馴染んでしまい、どこへ行くにも、何をするにも、離れようとしない。
職場にはよく溶け込んで、仕事も真面目にこなしているので、倉庫の現場から事務職に抜擢され、本社に行く機会も増えてきた。
かおりは寺井を信頼しきってすぐ隣りに寝ているから、寝返りをうった時など抱き合った形になってしまう。
それでもそのまま寝ているが、ある夜、かおりのパジャマの上のボタンが外れていて、寺井はつい手のひらで確認してしまった。
想像したよりずっと豊かな胸の膨らみを感じ取り、暫くの間触っていたが、かおりは何の反応も示さず、寝息が微かに荒くなった程度だった。
翌朝、いつもの時間に起きて顔を合わせたが、何も気付いていないらしく、朝食を作っている。
その日は土曜日で、休日の話になると、どこかに連れて行ってとせがまれた。
「どこに行こうか」
「どこでもいいわ」
「そう言われてもねえ」
「あまり人のいない所がいい」
いままでは東京にばかり目が向いていたので、久し振りに江戸川を渡り、市川の散策を試みた。
かおりはここの風景にすぐ溶け込んだように見える。
市川は、永井荷風や井上ひさし、北原白秋等の文人が多く住み、万葉集にも詠われた事から、文学・万葉の街として紹介されている。
文学の散策路と名付けられた狭い住宅沿いに、桜並木が真間川まで続いている。
真間川にも、所々年輪を重ねた見事な桜が、当り前に民家の側で咲き誇り、川とハーモニーを奏でている。
松戸街道を右折して、上り坂を和洋女子大の先まで歩き、左に曲がってまっすぐ行くと、里見公園に着く。