毎週小説

一週間ペースで小説を進めて行きたいと思います

武蔵野物語 60

2009-06-28 18:29:14 | 武蔵野物語
「僕が、後を継ぐのですか?」
「そうだよ、君の事は充分理解してるつもりだ、この仕事も信用第一だからね、人柄が大事なんだ」
「でも、全く経験も知識もないんですけど」
「それはこれから覚えればいい、全部教える、どんな職業でも最後は結局気持ちだよ、当り前の事だけど」
誠二は返事に窮してしまった。いまはその気になれないが、すぐに断る訳にもいかないし、といって曖昧な態度はもう通用しそうにない。
その時、佳子がまた呼びに来た。
「社長、いつもの山崎様がお見えです」
「そうか、約束がしてあったな、誠二君、きょうはこの後会えそうもないので、よく考えておいてよ、今週こちらから連絡する、お昼は深沢君と一緒に行ってくれ、僕の名前で何でも頼める店だから」
そう言うと足早に去っていった。
誠二は逃げ出したい気分だったので、本当にほっとした。当分ここへ来るのはやめよう、アルバイトでもいいからすぐに働きに出よう。
そんな考えで一杯になっていたが、佳子の声が、息が感じられる様な近くで聞こえてはっとした。
「あのう、レストランはあちらなんですけど」
「いやどうも、お昼までつき合わせてすいません、いいんですか?」
「こちらこそ、サインで好きなものを食べられますから」
佳子は嬉しそうに瞳を輝かせた。
イタリアンレストランだったが、少し早い時間に着いたので空いていた。
「深沢さんは東京育ちなの?」
「そうです」
「ご両親は」
「いまは母と住んでいます」
「そう・・いや、プライベートな部分を聞いてしまって」
「いえ、父とはずっと会っていなかったのですけど、ここの就職を世話してくれました」
「じゃあ、お父さんと小島社長が知りあいなんだ」
「そうです、社長が銀座で画廊を始める時、父が斡旋したそうです」
「不動産業をやってたんだね」
「当時は黒木不動産だったそうです」
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

武蔵野物語 59

2009-06-23 20:05:06 | 武蔵野物語
30分程話していると、若い女性が急ぎ足でやって来た。
「社長、お客さんなんですけど」
「ああ、約束があったな、誠二君すぐ済むから待っていてくれ、深沢さん、僕が戻るまで相手を頼むよ」
小島は一方的に話すと喫茶店を出ていった。
誠二は戸惑ったが、相手も緊張している。
「すいません、僕は一人でも構いませんから」
「いえ、あの私、深沢佳子と申します、4月からお世話になってます」
「井坂です、今年卒業されたのですか」
「はい、T美術大学を卒業しました」
「じゃあ、将来は画家になるんだ」
「なりたいけど、才能がなくて」
「でも好きなんでしょう」
「ええ、あの井坂さんは描いていらっしゃるのですか」
「気が向いたときにね」
「そうですか、今度ぜひ見せて下さい、私、ひとに見せられるものはまだ描けないんです」
「あなたがそう思っているだけですよ、気楽に友達にでも見て貰えばいいんじゃないですか」
「そうですね・・そのうち」
雑談をしていると、1時間足らずで小島が戻ってきた。
「やあ待たせたね、深沢さん、ご苦労さん、ゆっくり休憩して」
「有難うございます」
去っていく後姿も初々しかった。
「気立てのいいこだろう、健康そうだしね」
誠二の家庭をよく知っているだけに、考え深げだった。
「小島さんには、本当にお世話になっています」
「いや、誠二君のご両親は事故で早く亡くなってるからなあ、うちは娘二人がサラリーマンと結婚して、僕の方には見向きもしてくれないんだよ」
「そうですか、話せば分かるんじゃないかな」
「だめだよ、上の娘なんか、旦那の転勤について中国へ行っちゃって、いつ帰れるかわからないんだ」
「でも社長はとってもお元気そうですし」
「後継者を育てる時期なんだ、遅い位だよ、それでね誠二君、この仕事を将来任せてもいいから本気で手伝ってくれないか」
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

東京の人 57

2009-06-21 15:51:23 | 残雪
かおりと一緒の職場に、上原京子というパートが春から来ている。
同じ新潟県出身というので、かおりの後をいつも付いてくる。
年は一つ下だが、化粧も服装も派手めなので、かおりより上に見える。
そのお蔭で、男達の関心が大分彼女にいくようになった。
その彼女が、相談を持ちかけてきた。
この頃一人での帰り道、後を付けられる事が何度かあったという。
その日は少し残業になったので、かおりは京子を自分のアパートに連れていった。
寺井は叔父、になっている。
簡単な挨拶を済ませると、寺井は1DKの自分のアパートに戻った。
いつでも戻れるよう部屋代もきちんと収めて、大家には、出張が多いので留守がちだと説明しておいた。
翌日、仕事を早めに終わらせてかおりの部屋に寄ってみると、京子はもういなかった。
「きょうは連れてこなかったの?」
「用事があるんだって、急いでいたわ」
「夜一人で出かけて大丈夫かな」
「アルバイトしてるのよ」
「何してるんだろう」
「キャバクラよ」
「へえ、どこに行ってるの」
「船橋だって、あまり近くてもまずいとか言ってたわ」
「あの辺り、夜、柄が悪くなるんだよ」
「駅前だから通いやすいって」
「まあ、彼女そういう雰囲気持ってるよね」
「色気はあるでしょ、私と違って」
「確かに夜つとめるには向いているかな、東京に親戚はいるの?」
「あのこ長岡出身で、周りに東京へ行っている人はいないって」
「だれかみてやらないと、あのままでは、危険な事にもなりかねないよ」
「でも結構しっかりしてるわよ」
「この近くに部屋を借りているんだろう」
「うん、ここから10分も掛からないわ」
「できるだけ此処に泊めてやれば」
「ええ・・でも」
かおりは自分の思いを伝えようとしたが、押し留めた。

京子はその後、だんだんと職場に来なくなった。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

武蔵野物語 58

2009-06-17 18:20:03 | 武蔵野物語
誠二は、暫く就職活動をしないことにした。
少しだが退職金も入り、元々サラリーマン生活はあまり興味がなく、今後どうやって暮らしていくか、考える時間ができ、かえって嬉しかった。
妻敦子の親は、土地をかなり持っていた資産家で、敦子が勝手に山梨の家に行ってから、誠二は一度も仕送りをしていないが、あちらもあてにしていない様だ。
誠二の両親はとっくに亡くなっているが、その時の生命保険金はまだ残している。
小さな店を一件出す位の資金はあるが、妻には話していない。
誠二は久し振りに、銀座の画廊に個展を見にいった。
自分で売れる絵を描くことはまだできないが、学生時代は、あらゆる個展や美術館巡りをしたものだ。
きょう訪れた小島画廊のオーナーとは、美ヶ原高原美術館で偶然知りあった。
誠二は車で行ったのだが、小島は松本からバスを利用してきた。
ところが急用ができ、タクシーを呼んで貰おうとしていたところを、近くで聞いていた誠二が、松本まで送りましょう、と申し出た。
誠二は松本の温泉に一泊する予定だったので、帰り道ですから、と話したところ、小島はとても喜んで、松本に着くまで絵画の話題が尽きず、降りる時、ぜひ一度遊びに来て下さい、と名刺を置いていった。
それ以来、気が向く度立ち寄っているが、いつも近くのコーヒー自慢の店に誘われる。
その日も顔を合わせた途端、いこう、の一言でコーヒーを飲みに出た。
「いや、助かったよ、きのう付き合いで飲みすぎちゃって、きょうのお客さんは君が一番目だから」
「この近くで飲んだのですか?」
「そうだよ」
「高いんでしょうね」
「いや、知り合いの店だから、それよりこの間の件、考えてくれた?」
誠二が失業しているのを聞いて、仕事を手伝ってくれないか、と誘われている。
もう人に使われる仕事はしたくなかったので、はぐらかしていたが、相手は熱心だ。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

東京の人 56

2009-06-13 17:05:23 | 残雪
「そんな課長がいる本社だったら、行かない方がいい」
「私だって嫌よ、いまの職場のが近くていいし」
「でも、しつこい男がいるんだろう」
「平気よ、アパートで一緒に暮らしてる人が居るって、周りにそれとなく話してあるから」
「そう」
「だから、まだ一緒に居てくれるでしょう?」
「それは構わないけど」
「何か都合の悪い事があるの?」
「それはないよ」
「よかった」
「このお店の向こう側に、手児奈霊堂があるんだよ」
「手児奈霊堂って」
「昔、とても美しい娘がいて、井戸に水を汲みに来る度、村の若者達が競って求愛するが、娘は一人を選ぶことができず、悩んだ末入水してしまう、と万葉集にもでているんだよ」
「万葉集に」
「かおりさんも、どこでも注目されるから、現代の手児奈だね」
「私は違いますよ、そんなにもてないから」

この頃平井7丁目付近で、婦女暴行事件が多発していた。
若いOLばかりが狙われ、警察は同一人物の犯行とみて、近所の聞き込みを強化していた。
未遂に終わった被害者から事情聴衆をしたが、30代から40代のスーツ姿の男としか分からなかった。
サツキやバラが咲き揃った土曜の朝、二人は遅い朝食を取っていると、玄関をノックする音が聞こえた。
かおりが返事をすると、警察の者ですという声が聞こえてきた。
ドアを開けると刑事らしい男が二人立っていて、年配の方が話しかけてきた。
「朝からお邪魔してすいません、実は近頃、この辺りで若い女性が狙われる事件が続発しまして、何か不審な事とか、ひとから聞いた話でも結構ですから、情報収集にご協力下さい」
かおりは特にありませんと答えると、刑事は連絡先を渡して帰っていった。
「近くに犯人が潜んでいそうだな、帰り道は気をつけなければね」
「そうね、でも修さんがいるから」
それが問題だ、と寺井は説教したくなった。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

東京の人 55

2009-06-06 20:45:23 | 残雪
里見公園は室町時代、里見氏が北条氏と戦った古戦場跡で、桜の名所になっている。  
その西洋風の広場を通り抜けて坂を上ると、眼下に水量豊かな江戸川を望むことができる。
公園から江戸川沿いに下って右手に行くと、矢切の渡しがあるが、歩くとかなりの距離なので、寺井は諦めて公園近くのバス停から市川駅に戻ろうとした。
でも、かおりはまだ歩きたそうにしている。
「若いひとはいいね」
「修さんだって充分若いですよ、まだまだ」
「でも、すぐ疲れちゃって」
「東京の人は運動不足なんです、動かないんだから」
「そうかなあ、時間が無いんじゃない」
「楽をしすぎているんだと思います、私なんか家の事は全部やっていたから」
「かおりさんは本当によく働いていたね」
「それが当り前だったから、それよりかおりさん、なんてやめて下さい」
「そう、でも呼び捨てにするのも・・」
「私は気にしていません」
そう言って寺井を真っ直ぐに見つめてきた。
相変わらず日本人形の様な顔立ちで、非現実な美しさが寺井の胸を打った。
バスがすぐに来ないので、千葉商科大学裏の狭い道を下り、弘法寺(ぐほうじ)に向かった。小さな案内版が出ている。
ここの伏姫桜と呼ばれるしだれ桜は、樹齢400年と推定されている古木で、結構有名だ。
弘法寺の急な階段を下りると、万葉集に詠われている、真間の継ぎ橋に着く。
紅く塗られた小さな欄干が残っているだけだが、そこに静かな喫茶店があり、コーヒータイムにした。
「私ね、本社に来ないかって言われているの」
「よかったじゃない、認められてきたんだよ」
「物流管理の課長なんだけど、本社に行く度に近くのカフェに誘われるんだけどね」
「何かあったの?」
「眼つきがね」
「変なの?」
「真面目に話してはいるんだけど、私の足元からじっと見上げる様に観察してるみたいで」
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする