毎週小説

一週間ペースで小説を進めて行きたいと思います

唐木田通り 5

2006-09-29 21:36:29 | 唐木田通り
翌日の午前中は雑用で忙しく、唐木田駅に着いたのは14時を過ぎていた。
沢村は約束の時間よりかなり早く来て待っていた。
昨日のオープンカフェを左手に見ながら二人はさらに西よりに歩いて行くと、まもなく八王子市の別所に入った。
道なりに坂を下り突き当たると、左右に細長く延びた公園と、向こう側に西洋風の街並みが見下ろせる休憩場所があり、穏やかな情景を満喫できる。
沢村はフイルム一眼レフカメラを持ってきており、盛んになだらかな丘の風景を撮っている。
「沢村さんはどういう写真を撮っているのですか」
「ここ3年は花を中心に撮っていたのですが、これからは街を中心にした風景、郊外や地方の個性的で面白い雰囲気が撮れればと思っています」
「そうですか、私の次回の企画と似ていますね、あなたの住んでいる街の魅力を探るというテーマで、文化、芸術に関わるミドルエイジを中心に組んでみるつもりですが、四季の表情を入れるのに撮った写真貸してもらおうかな」
「構いませんが、素人写真でもいいんですか」
「だって、写真から原稿、その他打ち合わせの予約とか、殆ど一人でやってますから」
「多忙ですね」
「中小企業なんですよ」
「私ので良ければいくらでも協力させて頂きます」
「わー良かった、頼ってしまおう」
由紀子の無邪気そうな笑顔を見ていると、沢村も弾んだ気分になり、学生時代の様なうぶな部分がまだ残っていたのかと、恥ずかしい気持ちと共に嬉しさもあった。
公園を右に下っていくと京王堀之内駅に着くのだが、ゆるやかにカーブしている坂の途中、左側に遠く山が望める。高尾山だろうか、この辺りの秋景色もいい写真になるかもしれない。

もう一つの春 3

2006-09-27 20:23:18 | 残雪
あれは確か高校2年の夏休みだった。久々にこの地を訪れたのだが、あまりの様変わりに母は驚き、
「これじゃまるでマンション街ね、山の緑が台無しじゃないの」
と憤り、それが一緒に行った最後の旅行になったのだが、
「でもね春子ここの景色は心によく刻んでおきなさい、勿論山や緑の、昔の景色をよ」
「なんで」
「ここがルーツだからよ」
母はそれしか語らなかったが、今その言葉が大きな疑問となって一気に膨らみ始めた。
母はここで生まれたのだろうか、でも今まで何回も来たが誰とも会った記憶が無い。
折角来たのだから何か調べてみようかしら。でもどうやって調べたらいいのか。
そんな事を考えている内に座り疲れてきて、少し歩く事にして又坂道を下っていった。
だんだんと暗い雲が広がり涼しい風が吹いてきた。この位が丁度いい等と思っている内にいきなり激しい雨が降り出し、慌てて線路の高架下のトンネルに避難した。
濃い森の匂いを含んだ、冷たい風が身に沁みて内にささり、滝に打たれる修行僧の儀式に否応無く参加させられる様な、厳しい空気感があった。
これもいい休養だわ、少しゆっくり立ち止まり、周りを見て感じて考えて結論を急がず、成り行きに任せる、それもいい、と。
母親だけで育てられ、何か暗い過去を感じてきた春子は負けん気が強かった。
受験も入社試験も、全て自分一人で目標を決め達成してきた。
後ろを振り返らず、気を緩める事は決してしなかった。油断したら負け、自分にも
他人にも厳しい、そんな今までだった。
でもこれからはどういう人生設計に変更していけば良いのか。

唐木田通り 4

2006-09-25 20:51:34 | 唐木田通り
「沢村さんも夏休みなんですか」
「ええ、お盆は混むだけですので、仕事の都合上でも今が取りやすかったものですから」
「家族旅行はなさらないのですか」
「この頃は子供がクラブ活動や塾で忙しくなって来まして」
「そうですわね、私のところでも夏休みはもう各自ばらばらで、朝から一緒にいるのはお正月位かしら」
「中谷さん自身の仕事が忙しいのではないのですか」
「それもあります、ようやく企画の段階から任される様になりまして、私、社会に出たのが遅かったでしょう、とても良い刺激が体内を駆け巡っていて充実しています」
「それは羨ましいな、それほど仕事に打ち込めるなんて」
沢村は心からそう思っていた。きっと才能にも恵まれているのだろう、この美貌の人妻に不満なんてあるのだろうか。
避暑地の出来事(夏の日の恋)のテーマソングが流れている。
雨が上がり、急に真夏の日差しが出てきた通りは、リゾート地にいる様な気分にさせてくれる。
二人共開放感に包まれていた。思いがけない夏休みの始まり、昔夢見ていた未知への憧れや希望に膨らんでいた時代、そんなに遠い昔ではないのに、置いてきた分懐かしさもひとしおだった。
2時間程店に居た後、結局明日も会う約束をして二人は唐木田駅で別れた。
由紀子は軽はずみだな、と自責の念に駆られながらも気持ちは動きだしていた。
家に帰ってみると、子供はクラブ活動でまだ戻っておらず、夫はいつもの様にたぶん残業になるのだろう。夕飯の支度をしながらも、心は別の場所へ向いている、こうなる予感みたいなものもあったのだ、夫があの様だから。

もう一つの春 2

2006-09-24 10:56:32 | 残雪
木曜日だったのが幸いして二泊の予約がとれた。週末の一人旅プランは無いそうだ。チェックイン前に着いてしまったが、温泉にごゆっくりどうぞと言われ入ってみると自分だけであった。
それ程広い浴室ではなかったがとても眺めが良く、右側が山で左に下ると大きな杉林、遠い正面には山々の連なりが見え、今は貸切の展望風呂だわ、と嬉しくなってしまった。
1時間程ゆっくり浸かってロビーに戻ってみると、少し曇ってきたので散歩に丁度良いと思い、受付で聞いた杉林の神社に行ってみる事にした。
下りなので曲がりくねった道を歩いても10分程で着いてしまった。
正面の一番奥まった所に、何百年も経っているような大杉が一直線に伸びていた。
その下の平らな石に一人腰掛けていると、色々な想いが浮かんでくる。
若い程癌の転位も早いと聞く。
私の寿命も短いのかしら、母だって日本人の平均よりもずっと早く亡くなってしまったし、きっとそうなのよ、私の人生なんてこんなものなんだわ、相談できる身寄りも無く、私が赤ん坊の時に別れた、父とよばれる人とはその後全く音信がないし、母の葬式にも来なかった。
母は自分の親の事も、自分の夫の事も何も話してくれずに逝ってしまった。
何故なの、どんな暗い過去や話したくない出来事が有ったにしても本当の事を知りたいの、誰だってそうでしょう、お母さんそうじゃないの、そうじゃないの、何とか言ってよ。
春子は心の中で泣き叫んでいた。
その時遠雷が聞こえた。
その瞬間、春子に記憶が蘇ってきた。

もう一つの春 1

2006-09-23 12:01:50 | 残雪
9月に入ったばかり、朝晩多少涼しくなったといってもまだまだ夏である。
でも9月は好き、と春子は想う。そう言えば越中ではおわら風の盆があった。あの幻想的な胡弓の音と、ゆったりとした踊りは一民謡の世界を超えている、と惚れこんでいる。小さい頃から三味線、太鼓等の和楽器が好きだった。何故なんだろう。3年前に亡くなった母は全く音楽の趣味は無かったし、数少ない親戚も真面目で大人しい人達ばかりである。だけど自分の中には、何かその土地に根ざした音や舞に物凄く拘るところが有る。
24才になった今年の5月、春子は乳癌の手術を行なった。この年で癌なんて、幸い早期発見の為傷は殆ど目立たなかったものの、大した恋愛も経験していないこの体がもう傷物なんて、そう思うと居ても立ってもいられず会社に休暇願いを出し、一人旅に出たのだ。
東京駅で切符を買い1時間半程で越後湯沢に着いた。
山側の改札口を右に向かうとすぐにホテル群が目についた。
随分変わったなあ。
春子は小さい頃母によくこの地に連れてこられ、山歩きやスキーを楽しんだものだ。親戚が住んでいる訳でもないのに毎年の様に訪れていた。
余程の思い出が有ったのか、好きな人でも居たのか最後まで話してくれなかったが、とても懐かしそうに山の、それも一番右端の方ばかり見ていた。
暖冬の今と違い、有名な豪雪地帯で一階全部が雪に埋もれ、除雪した細い道を、3、40分掛けて旅館まで歩いたりした。
昔を思い出して歩いていると、母が見ていた方向に旅館が二件眺めの良さそうな所に建っている。
あのどちらかにしよう、と決め結局右端の旅館に入った。



唐木田通り 3

2006-09-20 20:34:58 | 唐木田通り
「それは僕も同じ立場ですよ」
「・・・仕事が忙しいので考えておきます」
「やはりあなたは仕事が好きなんだ、そう言うと思っていました」
「私を試したのですか」
「いえ、違います、誤解させたのならすいません、ただまた会えたらいいなと、本当にそれだけの気持ちなんです」
由紀子は少し嬉かった、結婚していても一女性として接してくれている、こんな感じは久しぶり、もう忘れて諦めていた一瞬のときめきを思い出させてくれた。
「でもご家庭の事もあるでしょうし、沢村さん、お子さんは?」
「9才の女の子が一人居ます」
「私は10才の男子が一人なんですけど、女のお子さんは可愛いでしょうね」
「よく喋りますので、口では適いません」
「皆そうですよ、お住まいは?」
「永山です、多摩センターからでも通えるのですが、中谷さんはどちらにお住まいなのですか」
「私は稲城なんです」
「いい所にお住まいですね、あそこはハイグレードですよ」
「そんな、お互い働いていますので何とかやっていけるというところですよ」
沢村は改めて由紀子を見直した。服装は簡素だが、話し方や振る舞いがどことなく品がある、育ちの良さを感じた。
「どうなさったの、何か考え事」
「いえ、中谷さんがいい所のお嬢さんに観えて緊張してしまいました」
「やだあ、私普通の主婦ですよ、大学を卒業してすぐに結婚したから世間知らずにみえるのかもしれませんわ」
それだけではない、知性や教養は黙っていても滲みでてくる。

唐木田通り 2

2006-09-19 20:32:11 | 唐木田通り
二人は急ぎ足で駅に向かい、20分程で辿り着いたが、由紀子は随分歩いたようでもまだ昼になっていない。
「本当に助かりましたわ、あの、私中谷と申します、有難うございました」
「沢村です、天気予報は曇りでしたけど、いまの時期は当たりませんね」
「本当に、歩くのには涼しくて良いのですけれど」
そう言いながら、濡れた髪を、紺地にピンクのハンカチでふき取っている由紀子は、しっとりとした美しさで周りを照らしていた。
「まだ止みそうもないなあ、昼も近くなってきたけど・・・」
「あの、よろしかったらお昼をご一緒になさいませんか、ほんのお礼のつもりで、近くにカフェレストランみたいなお店も知っていますし」
「そんなお礼なんて、でもお腹も空いてきたのでぜひご一緒させて下さい」
由紀子の後姿に惹かれる様に沢村は従って行くと、3,4分でその店に着いた。
住宅街の一角にごく自然に構え、入り口に観葉植物や季節の花木が飾られている。
店のカウンター席に座ると、扇形に広がっている出入り口の空間から唐木田通りが見え、そこを時折女子大生が歩いて行く。
沢村は初めての店とは思えない程寛いでいた。最もそれも由紀子の存在あればこそなのだが。
「私、たまに一人でこのお店に来るんです、考え事や仕事の構想を練る時、ここが一番落ち着くというか、集中できるものですから」
「いい雰囲気がありますね、大人の店ってところかな」
「ええ、コーヒーやケーキだけでなく、料理も結構本格的なんですよ」
「夜はバンド演奏の入る日もあるんですね」
「夜来た事はないのですが、ジャズ演奏みたいね」
「じゃあその内、ご一緒しませんか」
「家庭のある私を誘うの?」

唐木田通り 1

2006-09-18 20:49:27 | 唐木田通り
多摩よこやまの道、それは万葉集にも歌を残した多摩丘陵の別称である。
梅雨の後半、降ったり止んだり、この位だと外気温も25度前後で歩くのに丁度いい。
7月初旬、中谷由紀子は早めの夏休みを取る事にした。
家庭を離れ、一人気ままな時間を過ごすには、空いている今頃が良い。これ程自由な時間が持てたのは初めてである。
21才で短大を卒業してすぐに結婚、翌年男子が生まれ今年10才になる。
雑誌の出版社に勤務して4年、ようやく仕事も任される様になり、面白くなってきた時期で、新しい構想とリフレッシュを兼ねての休暇となった。
遠くに行く気はあまりなく、緑の多い初めての道を、カメラとメモ帳を持って好きなだけ歩く、それが刺激になって新しい発想が生み出される、そう信じていた。
実家が小田急の唐木田にあり、公園や幹線道路の通りは大体分かっているので、最初の出発点は多摩センター駅にした。
桜で有名な宝野公園は何度か来ているが、その先は行ったことがない。その宝野公園から奈良原公園を通り過ぎ、尾根幹線道路を渡り、ゴルフコースに着くと、東西に散策路が整備されている。これが現在のよこやまの道で、東は多摩東公園、西は長池公園手前まで約10kmできていて、多摩ニュータウンを見渡せる展望広場等もあり、結構訪れる人が多い。
その日は曇りで割と涼しかった事もあり、かなり早いペースで唐木田方面に向かって歩いていた。
大きなガスタンクが目の前に現れて、遠景に街並みが見えるポイントを何枚か写真に収め、新しい企画をメモに取り考えている内に空はどんどん暗くなり、いきなり雨が激しく降り出してきた。
傘は持ってこなかったのでずぶ濡れを覚悟していたところ、急に後ろから声を掛けられた。
「この傘を使って下さい、暫く止みそうもありませんよ」
「あ、どうも、でもあなたが濡れてしまいますわ」
「大丈夫ですよ、これ持ってますから」
男は素早くビニールのカッパを取り出して被った。