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毎週小説

一週間ペースで小説を進めて行きたいと思います

もう一つの春 39

2007-02-28 20:00:50 | 残雪
「春子さんと何かあったのですか」
女将は他人の心を射抜くような視線を投げ掛けてきた。
「これといった原因は思い当たらないのですが・・・全ての責任は私に有ります」
「大体の事は聞いていましたけど、多分間違って飲んだのだろうと思いますよ」
「そうでしょうか」
「あの子は自殺するタイプではないわ、この商売をしていると分かるんです、思いつめて危ない人は・・・ただ」
「ただ、気になるところもある?」
「よく一緒に温泉に浸かりながら世間話をするんですけれど、話の途切れた時、遠くを見ているか想っている表情は浮世離れしていて、達観している姿が印象的でした」
「寂しそうではなかったのですか」
「いいえ、ここが段々好きになってきたのを感じていました」
「私にも、雪国の女らしくなってきたと話していました」
「あの子はいい娘です、自分を粗末にする真似はしないでしょう、もしおかしな行動をとったとしたなら、それは・・・そう言えば、健康面の問題を話し合っていた時、病気になった事があると、確か一度だけ聞いたのを思い出しました」
「病気ですか」
「ええ、寺井さんには話しませんでした?」
「何も聞いていませんが」
「今はもう問題ないと言っていましたから、大丈夫なのでしょう」
暫くして番頭がやって来たので女将は昨晩の様子を聞いたが、春子は夜中の1時にタクシーで帰ってきてすぐ寺井の部屋に入ったそうである。とすれば寝たのは2時近くになっていたに違いない。
1時間半過ぎて漸く医者が出てきた。幸い、春子が薬を貰いに行ったのと同じ病院だった為、適切な処置がされ大事には至らなかった。
よかった、寺井はお祈りをしていた。春子さえ無事ならなんでもいい、自分のせいなのだから、血液でもなんでも足りなければすぐに提供しよう、その位の役目しか務まらない男なのだから、と自らを蔑んでいた。

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もう一つの春 38

2007-02-25 12:01:35 | 残雪
いまこうして雪国に潜んでいると、孤独感が夜の深々と冷えた空気と共に迫り、このまま現世から去れればそれが一番望んでいる事かも知れない、と考えている内に寝入ってしまった。
明け方まだ薄暗い中で目覚め、隣りを見ると春子の寝顔が目に入った。
いつ帰ってきたか全く気付かなかったが、安らかで落ち着いた顔に見える。
彼女は本当に不満がないのだろうか、年頃の娘が自分みたいな中年と寄り添って良い事など殆どない、世話になっている叔父さんに見合いの話を進めて貰おうか、そう思ってもう一度彼女の寝顔に目を向けた時、傍に薬の袋が置いてある、というより落ちている様で何か変な感じがした。
6時30分過ぎても春子は相変わらず寝息をたてている。寺井は薬の袋を手に取り、説明書きを読んでみた。睡眠薬で4日分出されており、寺井の来た日に通院している。薬は1錠残っているが、昨日までは飲んでいるところを見ていないので、座敷から帰ってきて寝る前に3錠飲んだのだろうか。
急に不安感が大きく膨らみ、春子を揺すってみたが起きない。
「春子さん、春子、春子」
何度も呼びかけてみたが、軽い寝息のまま眠っている。まさか、そんな、間違えたんだ!きっと酔って間違えて薬を飲みすぎたんだ。
寺井は一時放心状態に陥ったが、すぐに女将を呼び寄せた。
事情を察した女将は、旅館の車に人目につかない様に寺井と二人で春子を運び、自ら運転して病院に直行した。救急車を頼まなかったが話しはついているらしく、すぐ受け入れてくれた。
「昨晩は何時頃終わったのでしょうか?」
救急治療を待っている間、寺井は何か喋っていなければ居られない心境になっていた。
「私は朝早いので、春子さん達が2次会で外出した後、番頭さんに任せて休んでしまったのですよ」
「そうですか、僕もいつのまにか眠ってしまって気が付きませんでした」


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並木の丘 10

2007-02-24 13:51:52 | 並木の丘
前澤の押しの強さに、我儘だと分かっていても押し切られてしまった。多分そうなるだろうと想像できる程、自分の優柔不断さもいつも通りで、一層の事、かけこみ寺にでも逃げてしまいたい衝動に駆られた。
同じ日の夕方、明日は一日自分の家に居なさいと久美子に命令され、弥生は渋々了解した。土、日はいつも逃げていたので、健吾にも再三催促されていた。
土曜の昼前に、健吾と千恵子が昼食用の買い物に出かけたので、慎一と二人きりになった。
「あのう、これから何て呼んだらいいんですか?」
慎一が改まった顔でいきなり聞いてきたので、一瞬戸惑った。
「何てって、私の名前の事?」
「そうです」
「そう言われても、まだ・・・名前のままでいいけど」
「お姉さんではいけませんか」
「お姉さん!」
弥生はくすぐったいような恥ずかしさと共に、未経験の快感を覚えた。
「わ、わたし、そういきなり言われても」
「これを受け取って下さい」
慎一は一冊の本を差し出した。アガサ・クリスティの推理小説だった。
「この短編集は女性が主人公なのでいいかな、と思って」
「アニメで似たようなのを見た気がするわ」
「本のが絶対面白いですよ」
「有難う、私本を読む事が少なかったから、早速読んでみるわ」
弥生が打ち解けてきたので、慎一は明るい顔になってきた。
4人で食事をしたが、弥生は大人に対する反発がまだあり、夕方には叔母の元に戻っていた。
「もう出てきちゃったの、晩御飯も食べてくればよかったのに」
「だって、疲れたから」
「まだまだね」
「それより叔母さん、昨日はどこに行ったの?随分お洒落して出かけたじゃない」
「なに言ってるのよ、この子は、あなたには関係ないの」
「いい人と泊まってきたの?」
「本当に怒るからね、大人をからかって」
「だって朝電話したら留守だったから」




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もう一つの春 37

2007-02-23 21:40:19 | 残雪
「女将さん、その代わり私の休みと、寺井さんのサービスよろしくお願いしますね」
「任しといて、私の名にかけて真心のサービスをさせて頂きますから、あの、それでよろしいでしょうか」
「かえって恐縮です、でも僕の分赤字になってしまうのではないですか」
「だいじょうぶよ、女将さんとってもやり手で有名なんだから」
「あらやだ、そんな事ないわよ、寺井さんご心配なく、遠慮なさらず気ままにごゆっくりなさってください」
「お言葉に甘えてそうさせて頂きます」
夕飯もそこそこに、春子は化粧と着付けの準備に取り掛かった。さすがに専門家の手に掛かると早く、30分もしない内に一人前の芸者姿が出来上がった。
「やっぱりあか抜けてるわね、東京の人は、女優さんみたいよ」
女将は目を細めて喜んでいたが、寺井も見とれていた。
去年知りあった時とは全く別人のように成熟してきている。髪はよく見かけるアップにした形だが、うなじに清潔な色気を感じ、いまが盛りの輝きがあった。
「では3時間程お借りします」
女将はそう言うと、春子の先にたってそそくさと歩いていった。
寺井は一人になると、少しほっとした。
ゆっくり温泉に浸かって夜の雪を眺めながら部屋に戻りかけると、隣りの建物から三味線の音色に合わせた唄も聞こえてきて、きっと芸者さんも優雅に舞い、その傍で春子が酔客にお酌をしている。何だか春子を働かせて自分は留守番をしている、そんなヒモの生活をしている感覚になり、これから彼女との付き合いが続いて行くにつれ、自分は堕落していき、彼女に頼った生活を余儀なくされる、近い将来の姿が頭に広がるのを避けられなかった。
その日暮らしで過ごす、野良犬の様な状況が一番自然でいられる、逃避と蒸発願望がいつもある。
学生時代に、両親のもとを離れ見ず知らずの土地で静かに暮らす、そんな光景を夢見た時期があった。
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もう一つの春 36

2007-02-20 18:00:41 | 残雪
休日ではないので殆ど人に会う事もなく、静かな新発田城に着いた。
「名前の様に優しい雰囲気があるね」
「ほんと素敵、こういうお城いいわ、あまり大きくないのがいいみたい」
寺井は、春の近い雪が舞うお城を春子と眺めていると、あやめより君はずっと綺麗だよと言いたくなったが、気障っぽいと自嘲した。
「いい瞬間ねえ、私、もう何もいらない」
「なにも?」
「ええ、今のままで、このままで何も」
寺井もそうだな、今を大事に、と共感するものがあった。
その後宝光寺、清水園、足軽長屋等を観て回り、旅館に戻った時は暗くなりかけていた。
女将が心配そうに待っていたが、二人を見つけるとほっとしたような笑顔で迎えてくれた。
「まあまあ、寒い中大変でしたでしょう」
「二人だとこの雪も嬉しい位でしたよ」
「あらまあ、ごちそうさまでございます、ところで春子ちゃん、ちょっと」
そう言うと、春子を寺井に話が聞こえない距離に連れて行き、何か熱心に頼んでいる風だったが、まとまったらしく春子が寄ってきて、
「実はね、今日芸者さんが二人も休んじゃって、地元のお偉いさんが集まって来るので手伝ってくれないかって、お酌をするだけでいいから、私ポスターのモデルになったでしょう、だからこの芸者を呼んでくれって言われたんですって、その代わり今日の宿代も要らないし、好きなだけ泊まって貰って、サービスも一杯しますからって」
と一気にまくしたてた。
「そう、でも君はどうなの?」
「人が足りないんじゃ手伝おうかなって、修さん、あと何日か休み延ばせる」
「うん、二日も三日も同じだよ、この際」
「よかった、じゃあそうしてよ、その代わり私の休みも増やして貰う様に頼むから」
話が付いた途端女将が飛んできた。
「急で申し訳ございません、ようやく会えたばかりでしたのに、感謝感激でございます」


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もう一つの春 35

2007-02-19 18:16:18 | 残雪
夕飯を食べている間にも雪が降り続き、森の中の静けさが二人を包み込むと、現実と離れた別の空間に漂っている感覚に陥る。
「静かだねえ」
「ええ、今日はお客さんが少ないから殆ど貸切状態よ」
「このままずっと居られたらいいだろうね」
「都会育ちの人には無理よ、すぐに退屈してしまうわ」
「君だってそうじゃないか」
「私には雪国の女の血が流れているのよ」
「随分古い表現をするんだね」
「古いものを引きずって生きていくんだわ、これからも」
「ここで、ずっと」
「さあ、それは分からないけど・・・」
春子はまた綺麗になっている。
寺井は会う度に変化していく、彼女の着物姿や仕草に、いままでと違う魅力を感じ取っていた。
翌朝も雪が降り続き、寒さが戻って来た様だが、慣れたせいか気にならなかった。
「もっと寒いかと思ったけど、それ程じゃないね」
「ええ、私も東京に住んでいた時の朝なんか辛かったけど、いまはそんな事はないわ」
「毎日美人の湯に入っているからじゃないの」
「あはは、美人の湯っていうのは月岡温泉のキャッチフレーズなんだけど、でもやはり温泉のせいかしら」
「月岡温泉はよく知られているから、規模も大きいんだろうね」
「それはもう、芸妓さんだって大勢いるから、とっても綺麗な人もいるわ、私何人か知ってるから呼んであげようか?」
「いいよ、君とゆっくりしていたいから」
「何事も経験よ」
「今度ね、それよりも今日はどこに行こうかな」
「そうねえ、晴れた日の朝だったら瓢湖の白鳥なんだけれど、もういないかしら」
「雪の新発田城、観に行こうよ」
「あ、いいわね、私まだ行ってないんだ、近いけど機会がなくて」
「あやめ城とも呼ばれているんだろう」
「そう、数年前に復元工事が完成したばかりだそうよ」
新発田市までタクシーに乗り途中から雪の中を歩いて行く。
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並木の丘 9

2007-02-17 20:45:05 | 並木の丘
久美子の許可が出たのをいい事に、弥生は金曜の夜から月曜の朝まで入り浸る様になっていた。自分では引っ越した気分になっている。
梅が咲き揃った2月下旬、久美子は前澤ときちんと話し合いたくなり、金曜日の夜、代官山デンマーク大使館近くにあるカフェレストランで待ち合わせた。
彼は現在専務になっており、多忙の中だったが、無理を聞いて貰った。
「お忙しい時期に呼び出したりしてすいません、家に来て頂ければよかったのですけれど、いま娘が一人居候しておりまして」
「ああ、君の姉さんの」
「そうなんです、いくら言っても聞かないものですから」
「あなたに取っては可愛い一人娘みたいなものでしょう」
「小さい頃からよくなついておりました」
「私に遠慮する事はないのだから、好きなだけ置いてやればいいでしょう」
「でも、申し訳ないですわ、これだけお世話になっていて」
「前にも話したけど、あのマンションはあなたのものですよ、とっくに名義変更もしてあるし」
「でも、私には高価すぎますわ」
「なにを言っているのですか、ずっと前に会社を辞めたがっていたあなたを、私の為に引き延ばして婚期も遅らせてしまった、謝るのは私の方ではないですか」
「まだ独身でいるのは縁が無いからで、義明さんとは関係ありません」
「いや、すまないと今でも、これからも思っていくでしょう」
「もうよろしいんですよ、私の事を考えるのは、これからの仕事に差し支えがあってはなりません」
「このまま別れてくれとでも言いたいのですか?」
「そういう時期が来ているのではありませんか」
「時期なんてありません、姪御さんが居るのなら、こうして表で会えばいいではないですか、また音楽会に行ったり、そうだ、来月は年度末で忙しいけど、今年の春は遠野に桜を観にいきましょう、遠くの山との調和が美しいですよ」





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もう一つの春 34

2007-02-15 20:35:13 | 残雪
「あらやだ、お分かりになります、春子ちゃんの年頃でしたかしら、丁度。春子ちゃん、そういえばあなた、きょうはいやに色っぽく見えるね」
「やだそんな、着物のせいでしょ」
「ふーん、そうかい」
「それよりもう食事の時間ですよ、修さんはあまり飲めないので、その分料理でお持て成しお願いします」
「はいはい、早速用意しましょう、任しといて」
「それと、今日と明日は休みを貰っていいんでしょう?」
「駄目だ、と言ってもきかないでしょ」
「その通りです」
「あはは、綺麗な娘には敵わないわね、どうぞごゆっくり」
そう言うと慌しく出て行った。
「面白い女将さんだね」
「あれでなかなかのやり手と、土地の人の噂よ、きょうは色っぽいだなんて、やはり見抜かれているみたい」
「そうだろうね、僕達じゃとても太刀打ち出来ないよ、でも二日は休みを取れたのだから、この部屋に泊まれるのだろう」
「ええ、嬉しかったわ、早くこの日が来ます様にって、神社にお参りにも行ってたのよ」
「遅くなってごめんね」
「とんでもない、ご家族の都合もあるのに、本当によく来てくれました」
「ここに居る時は、その話はやめよう」
「分かりました、そうします」
「また雪が降り出したんだね」
「そうね・・・後でライトアップした露天風呂にいきましょう、雪が舞っているのがとても素敵よ、貸切にして貰うから」
「幻想的でいいだろうね」
「私、一人でお湯に浸かっている時いつも想っていたの、雪の夜あなたとこうなれたらなと・・・夢が叶ったわ」
「まだ、これから始るんだよ」
「もう、これで充分満足よ」
「会えたばかりじゃないか」
「時間じゃないの、私はこれでいいの、これで本当に」
春子は満足しきっている様子で、それが寺井には不可解だった。
このままここで一緒に住んでくれ、と言われた方が余程納得がいく。
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もう一つの春 33

2007-02-13 18:10:27 | 残雪
無音に近い環境の中、二人の息遣いが次第に荒くなるのがよけい情感を高揚させた。
寺井は着物の上から探っていたが、昔風の着付けで、腰巻の下は何も着けていなかった。
暴力的ともいえる程一直線に進み、今までの二人では経験した事のない荒々しい行為に及んだが、彼女もそれを望んでいる様な受け入れ方で一つになっていった。
外はいつの間にか雪が降り出していた。
17時過ぎに部屋の電話が鳴った。
「きっと女将さんだわ」
春子はそう言うと受話器を取り、相槌を打ったり返事をしている。
着物の合わせをきちんとすると急に恥ずかしそうな顔になり、
「あの、もうすぐ挨拶に伺いたいと言ってますが、いいですか」
と遠慮気味に聞いてきた。
「僕はいつでも構わないよ」
30分程すると女将が現れた。
「初めまして、女将の菊千代でございます」
老舗の女将だから、貫禄充分な肥った女性を想像していたのだが、気のいい、近所の明るいおばさんの雰囲気で、寺井はほっとした。
「春子さんから色々伺っております、忙しい中この子の為に来て頂き、本当に有難うございます」
「僕の事、どんな風に話しているのですか?」
「どんなといっても・・・どうしよう、春子ちゃん」
「女将さんは人を見抜く力が鋭いから、私大体話しちゃったの」
「そ、そうなの、あの、まあ少し事情も有りまして」
「分かっております、ここだけの話にしておきますので、安心してごゆっくりなさってください」
「恐れ入ります」
「春子ちゃんは評判よろしいんですよ、このあいだも芸者さんに混ざって宣伝用の写真のモデルになって貰ったんですの」
「着物姿で?」
「そうなんです、この着物も似合うでしょう、私が丁度女盛りの頃作って頂いたものなんです」
「何か特別な、良い思い出でも有りそうですね」

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並木の丘 8

2007-02-12 10:18:12 | 並木の丘
昼食を一緒にしてから、休日になると時々勝野家の二人が遊びに来るようになった。最も弥生はクラブ活動や友達との付き合いで外出する事が多く、出掛けに挨拶をする程度なのだが、帰りは必ず叔母の住まいに寄り、晩御飯を済ませるのが当たり前になっていた。
「たまには早く帰ったら、お父さんも気にしているんじゃない」
「いいのよ、あっちはあっち、ねえ叔母さん、私の着替えを持ってきてもいいでしょう、都合の悪い時は絶対来ないから」
「隠れ家を作る気ね」
「こういう生活をいまから練習しておかなくちゃ」
「困った子ね」
久美子はもうあまり心配しなくなっていた。いくら止めても弥生は必ずやってくるだろう、思い込んだら一途な性格だから、自分も少しは見習いたいと思うのだが、こればかりは性格でどうにもならない。
中途半端な生活というか、付き合いを一旦清算したいと会社を辞めたものの、ずるずると今まで引きずられてきてしまった。
一層の事、本当に弥生との生活を始めてしまった方がはっきりした意思表示になるのかも知れない。
そんな風に考えていたある土曜日の朝、健吾が、近くまで来ているので伺っていいでしょうか、と電話をしてきた。
「弥生がよくお邪魔しているようで、すまないと思っています」
「とんでもない、今は自分の娘だと当たり前の様に感じているから、不思議ね」
「そう言って頂くと助かります、私が不甲斐ないもので、娘一人もちゃんとみてやれなくて」
「そんなに考え込むことないですよ、健吾さんさえよかったら、弥生ちゃんが居たいだけ居てもいいんですよ」
「有難うございます」
「どうでしょう、とりあえず週末は私の所に居るようにしたら、そうすれば勝野さんも健吾さんの家に泊まる事もできるし、最初は近くで暮らしながら徐々に慣れていくのもいいんじゃないかしら」
久美子の提案に、健吾は黙って聞き入っていた。
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