毎週小説

一週間ペースで小説を進めて行きたいと思います

並木の丘 1

2006-12-31 07:25:06 | 並木の丘
百草園は江戸時代から続く梅の名所として有名である。現在は約800本、樹齢300年を越える老木も有る。
松尾芭蕉の句碑や、若山牧水の歌碑も、この多摩丘陵に佇んでいる。
この春高校2年になる高辻弥生は、淡い桃色の花が好きだった。紅や白だけが梅ではないと思っている。
自分が住んでいる京王堀の内からも割と近く、花の見頃や紅葉の時期は、必ずコンパクトカメラを持って何回も訪れている。
今年も春の撮影は梅の花から始めようと行く日を決めていたのだが、その週の火曜日、今度の日曜日を空けといてくれ、と父の健吾に頼まれた。
またあの件だ、やだって言ったのに、弥生は納得できなかった。
母の3回忌が終わったばかりだというのに、父から再婚話を持ち出され、反発していた。
早すぎるのではないか、それに私は他人と暮らすなんて嫌だ、それなら寮のある学校か、叔母さんの所に行ってしまいたい。そう思うと堪らず翌日の夕方、聖蹟桜ヶ丘に住む叔母の元へ駆けつけた。
「久美子叔母さん、あんまりでしょう、いくらなんでも早すぎるわ」
「そうね、そうかも知れないけれど、でも一度会うだけ会ってみれば、それから自分の意見を言うといいわ」
「叔母さんから言ってやってよ、私そんな話聞きたくもないし、関わりたくないんだって」
「でもお父さん、会ってくれって言ったんでしょう」
「私、叔母さんの家で預かってくれない、最悪の場合」
「最悪って、再婚した場合って事」
「決まってるじゃない、私他人と暮らすなんて絶対嫌なんだから」
「それは分かるけど・・・難しい問題ね」
弥生は、もう半分は家を出ようと決めていた。途中で出て行く位なら、最初から一緒でない方が良いと考えているのである。
週末の土曜日、織田久美子はケーキを持って高辻家を訪ねて来た。











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唐木田通り 25

2006-12-30 16:26:52 | 唐木田通り
古い町並みの前に立ち、小さな川を前にして、そびえ立つ岐阜城を見ていると、一、二世紀前と変らない景色の中に佇んでいる自分を感じ、由起子は寛いだ気分になっていた。
この辺り一帯は、まだ昔ながらの民家が残っていて、岐阜提灯を吊るせば観光写真になる様な生活空間がある。
沢村はMデパート仕入れ係の紹介状を持って達彦の関連会社を訪れていた。
「暑い中お越し頂き恐縮です、村瀬と申します」
差し出された名刺には営業課長と入っていた。
「沢村です、うっかりして名刺をきらせてしまってすいません、名古屋に用事があったものですから寄らせて貰いました」
Mデパートの食品売り場主任という事にしておいた。デパートの名前を出しただけで相手は平身低頭である。
「実は、村瀬さんには折り入って伺いたい事があります。決して口外はしませんので、教えて頂きたいのです」
沢村は遠まわしに会社の経理上の問題点はないか問いただしたが、彼は何も分からない様だった。
「私共の会社は中小企業ですので、経営者の一言で事は決まります」
村瀬の説明は的を得ていた。重要事項は経営者本人しか知らないだろう。
「いきなりこんな質問で気を悪くなさらないで下さい。私は中谷さんご夫婦と面識があり、奥さんとも何回かお会いしたことがあるのですが、この頃相談を受ける事が多くなり、心配していたものですから、ご主人に知られないように調べているところなんです」
「さようですか、会社の経営については本当に知らないのですが・・・どうしようかな」
「何か知っているのですか、なんでもいいですから聞かせて貰えませんか、決して誰にも話しませんから」
「分かりました、沢村さんとこうしてお会いできたのも縁でしょうから、ちょっと表に出ましょう」
この会社の事務所はTデパートのすぐ近くで、通りを西側に渡って行くと、夜で有名なあの柳ケ瀬がある。
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唐木田通り 24

2006-12-26 20:39:58 | 唐木田通り
お盆休みの前に休暇を取らなければと決心して、二人共3日間の休暇願いを提出した。7月に夏休みを取ったばかりだが、法事の為やむを得ず、で押し通した。
週初めと終わりは忙しいので、8月第2週の火、水、木と取る事にした。
由起子は新幹線に乗るのは10年振り位だろうか、子供が生まれる少し前に乗った記憶しかない。
出産、育児、仕事と、生活に追われ続けあっという間の10年間、過ぎてみればこの現実、何かやりきれない空しさが湧き上がり、その分余計沢村に向かっていってしまう。自分で止められない、突き上げてくる内面の力に動かされているようでもあった。
名古屋まで2時間足らず、岐阜までJR快速に乗ると20分掛からない、近いのだ。
名物だった路面電車は2005年3月末で廃止になった。情緒という意味では残念な気もする。赤い電車が北に向かい、長良川がゆったり流れ、岐阜城が険しい山頂から見下ろしている、それが当たり前の風景と昔から受け止めていたものが、つっかえが一つなくなってしまった様な寂しさを感ずる。
夏はものすごく暑い。都心は高層ビルによるヒートアイランド現象だが、西に向かうほど朝が遅くその分夜も遅いので、岐阜の17時は東京の15時位の陽の高さがあるのでは、と思わせるような日射の強さだ。
沢村は関連会社の営業担当に会いにいったので、由起子は先にホテルへ行くことにしたが、チェックインには少し早いので、そこから比較的近い岐阜公園に寄ってみた。
金華山ロープウェイで岐阜城に向かっていくのだが、今日は一人だし見上げるだけにした。急斜面の山城で、食料や水を運ぶのはさぞ難儀だったろう。
公園を左に出て、長良橋方向は右折だが、曲がらずまっすぐ進むと小さな橋が有るので、そこを右に渡る。支流の様だが、この渡った川沿いの通りは、木造二階建てのうだつが付いた古風な民家が並んでいる。
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もう一つの春 24

2006-12-24 15:20:45 | 残雪
5日の夜になって、ようやく春子から電話が掛かってきた。
「ごめんなさい、遅くなってしまって、今東京駅に着いたの」
「そう、お疲れさん、むこうは寒かったでしょう」
「もう比較にならない位、東京は暖かくて楽だわ、あの早速だけど明日会えるかしら?」
「うん、今週は休みだからいつでも空いているよ」
「よかった、一様お土産も買ってきたから、新宿でいいですか」
「どこへでも行くよ」
「じゃあ楽しみにしています、話も一杯あるし」
急に華やかになり、寺井はやっと正月が来た気分になった。
街はバーゲンセールの宣伝やチラシが目につき慌しいが、二人にとっては久々の新宿でデートなのである。
「なんだかやっと会えた気分だよ」
「そうねえ・・・私にとって忙しく、大きく変化する年越しだったわ」
「叔父さんは良くしてくれたの」
「ええ、とっても、私に母の面影があるし、一人娘も嫁に行って都合で帰ってこれないから、一層の事うちの娘にならないか、なんて言ってくれて」
「そう、よかったね、詳しい話も納得するまで聞けたの」
「母と祖母については殆ど分かりました・・メールでお知らせした通りなんです、直接話すのが辛くて」
「よく分かります、あなたの気持ちは充分理解できます」
「私、音楽や踊りの好みは祖母の遺伝子を受け継いでいたんだ、という事は私のこれからの人生も波乱万丈になっていくのか、なんて考えたりして」
「今と時代背景が違うから比較にならないよ、家族の為に借金したり、そういう事はなかったでしょう」
「でも私、寺井さんを、好きになってしまったわ」
核心に近づくにつれ、寺井は言葉を失ってきた。
「私、後悔もしていないし、前に話したように、寺井さんの生活に迷惑や負担ができるだけ掛からない様、いつも気をつけているつもりなの」
「僕が優柔不断なんだよ」

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もう一つの春 23

2006-12-23 18:40:19 | 残雪
その祖母が昔風に言う道ならぬ恋に落ち、結果として母が生まれた訳です。
祖母は家庭のある相手には知らさず、母を育て、65才まで現役の芸者を続けていたそうです。残念ながら亡くなっていて会えませんでした。
叔父は、母とは異父弟との事でした。祖母は母を産んで2,3年後に結婚し、叔父が生まれたのですが、長続きせず離婚して、叔父は相手方に引き取られたそうです。
母は私を産んでまもなく父と別れ、その後女一人で私を育てたのですから、なんだか歴史が繰り返されている様な複雑な思いがあります。
細かいところはお会いした時に詳しく話しますが、大体こういう内容の話をとても親切に話してくれました。
そして折角だから正月まで泊まっていってくれ、一人娘も嫁に行き、夫婦二人きりのところへあなたが来てくれた、天からの贈り物だ、といって引きとめられたのです。
私は正月までには帰るつもりだったのですが、まだ父親の話は全く聞いていないので、ここでは分からないかもしれませんが、もう暫くこちらに厄介になろうと思っています。
来年になったらできるだけ早く帰りますので、ゆっくり会って下さいね。
その時を楽しみに。    
                            春子
 
春子はポピュラー音楽も好きだが、三味線や太鼓の音がとても好き、と言っていたのを思い出した。彼女の立ち居振る舞いがどことなく古風でそこにも惹かれたのだが、家系を辿って行くほど複雑さが増すようで、平凡に生まれ育った自分では何の役にもたちそうにない。
年が明けても彼女からの連絡はまだ来ないので、3日に上野東照宮の冬牡丹を見に行った。
狭い通路の両側に、手入れの行き届いた大きな牡丹が見事に植えられていて、赤い絞りの入った牡丹は特に目をひき、撮影をする人が絶えなかった。
藁囲いされた艶やかな牡丹は正月によく似合う。
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もう一つの春 22

2006-12-23 16:48:43 | 残雪
12月24日朝、春子は意気揚々と出かけていった。
その前の晩、寺井は春子と電話で話しただけで会う事は出来なかったが、彼女の話しぶりからすると、会社よりも自分を優先する意志が強い様だ。
ようやく母親に近い親戚に会えるのだから当然だろう。いざとなったら就職の斡旋位してやらなくては、と先の事を考えていたが、彼女の居なくなった東京は味気なく、虚脱感というか、改めて彼女の存在感を強く意識させられた。
正月休み前の片付け仕事で忙しく、すぐ29日になったが、彼女からはむこうに着いた日に電話があっただけで、その後何の連絡もなかった。
きっと複雑な話も多く、戸惑ったり考えこんだり大変なんだろう、静かに待つしかないなと思っている内に大晦日になり、寺井はコンビニエンスで買ってきた弁当を一人で食べながらパソコンをチェックして見ると、春子からメールが届いていた。
なんで電話で連絡してこないのだろう、とメールを開いてみると、やはり、という様な文章が打たれている。

修さん、連絡遅れてすみません、本当は電話で話したかったのだけれど、あなたの声を聞くと決心が変りそうになるのでメールにしました。
叔父に会い、昔の話を聞いていく内に、私の母と祖母もかなり色々な、その時代ならではの経験や体験をして来たのが手に取る様に分かり、私自身の性格や嗜好が祖母からも受け継がれているのではないか、と思い当たる部分が感じられました。
私が想像した通り、母は私が修さんと初めて知り合ったあの温泉で生まれ、中学まで過ごし、高校から全寮制の有る東京の学校に移ったそうです。
祖母は温泉に残り、私達が泊まったあの旅館にもよく出入りしていたそうです。
祖母は芸者でした。人気のあった売れっ子芸者で、踊りや三味線がとても上手だったそうです。
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唐木田通り 23

2006-12-17 10:28:24 | 唐木田通り
「行動って、何する気なの?」
「もし国税局が今年中に動き出すとしたらあまり時間がありません。興信所も使って出来るだけ速く真相を解明して、対処しなければならない」
「対処するって、どうやって」
「それは解明した後で打ち合わせましょう、すでに興信所には岐阜に有ると思える関連会社の調査を依頼してあります」
「そう、確かに急ぐ必要があるわね・・・」
「由起子さん、これからは忙しくなりますけど頑張りましょう、ある程度分かってきたら、僕は岐阜にも行くつもりです」
「私も行くわ」
「でも、由起子さんにとっては辛い旅になるかもしれませんよ」
「構わないわ、私、待ってるなんて無理よ、できそうにない、早くはっきりした方がいいのよ」
決心は固そうだった。
興信所に調査を急がせたが、報告が入ったのは4日後だった。
やはり岐阜市内に関連会社(下請け会社)が有り、達彦も定期的に何回も出張している事が分かった。これで目的地がはっきりした訳だが、一つだけ不明な点がある。それは宿泊先の件で、達彦の書類が送り返されてきたホテルには、達彦と井上二人共宿泊していた記録はなかった。書類はホテル内の喫茶室に置き忘れたもので、ホテル側が封筒の住所に印刷されていた達彦の会社に連絡を取り、総務部で忘れ物として各部に問い合わせて判明したのである。
書類を自宅に送らせたのは、会社の極秘情報を漏らさない用心の為だったかもしれないが、書類が由起子に一度開けられているのは知っているものの、疑われているとは思っていない様だ。
岐阜には行ったが泊まった場所が分からない。ホテルから会社に電話が入ったのは達彦が休暇を取っていた最終日、木曜日との確認ができているので何処かに泊まり、業者と打ち合わせの為ホテルを利用したのだろう。
岐阜に知り合いは居ない、と由起子は言っている。行ったことのない全く未知の土地なのだ。
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唐木田通り 22

2006-12-14 21:02:58 | 唐木田通り
「極秘って、やはり脱税とか、そういう事かしら」
由起子は女性問題よりも、会社の不祥事をとても気にかけていた。
「そうだと思います、実は昨日、父方の従兄弟と会ってきました。彼は国税局の職員なんです」
「まあ、あのマルサの女の国税局に知り合いがいらっしゃるんですか」
「いや、国税局といっても色々な仕事があるでしょうし、彼が何を担当しているか全く知らないんですよ、聞いてもきっと教えてくれませんよ」
「そうですよね、仕事が仕事ですもの」
「それでもお酒の誘惑にはめっぽう弱いものですから、昨日一緒に飲みに行ったんですよ、勿論僕の奢りですけどね」
「良一さんに負担ばかり掛けさせてしまうわ」
「とんでもない、あなたの問題は、僕の生きがいみたいなものです」
「そんな風にいわれても・・」
困る、と言いたかったが、心の片隅で喜んでいた。沢村に対して甘えの気持ちが強くなり、一緒に居るだけで体の芯が熱くなってくる。やはり私はふしだらになってきたのだ、いや元々その素地があったのかもしれない。由起子は現在の話よりも、この後の夜を連想してしまい、自分を卑下していた。
沢村はそんな事には全く気づかず、自分の推理を熱っぽく語っている。
「従兄弟は何も喋ってない、酔った独り言だ、といって教えてくれました、やはりあの食品会社は、ここ数年売上げが安定している割に利益の申告が少ない。脱税の確率がかなり高く、もしかすると今年中にも世間を騒がせる様になるかもしれない、僕の勘だけどね、と言っていました」
「今年中にも、ですか」
「その可能性も有るんじゃないですか」
「そうなれば逮捕者も大勢出るのでしょうね」
「由起子さん、あなたの心配はよく分かります。テレビや新聞に名前が載ったりしたら、あなた自身にも火の粉は降り掛かってくる」
「良一さん、どうしよう、これから」
「行動あるのみです」
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唐木田通り 21

2006-12-12 20:40:13 | 唐木田通り
沢村は一日でも早く由起子に井上の報告をしたかったが、お互い用事ができ、その週の日曜日の午後、新橋で会う約束をした。都心の方が目立たない分気楽だった。
汐留口方面に出て、古い新橋駅からゆりかもめ汐留駅側に移ると急に視界が開け、高層ビル群の中に吸い込まれていく。ショップ、レストラン、ホテル、有名企業等が入り、日本テレビタワーも有る。歴史ある庶民の新橋と、近未来風な新しい汐留がとても対象的だ。
日本テレビのすぐ前に、仙台藩上屋敷跡のプレートが貼ってある。屋敷跡は汐留遺跡発掘調査で発見されたもので、幕末まで舟入場もあり、倉庫、物資の集積場としての役割を担っていたと記されている。
日テレプラザのエスカレーターを昇った所が一階で、右端のカフェレストランに二人は入った。丁度13時になったところで中は空いていた。隣の席に男性が四人座っていたが、テレビ局の関係者らしい仕事の話をしており、二人が座ってまもなく立っていった。
そこから下を覗くと、音楽に合わせて、サッカーボールを落とさない様に蹴っているパフォーマンスが見られた。
「井上玲子と名刺交換をして話もしてきましたよ」
沢村は興奮気味に説明を始めた。
由起子は、その件についてはどうでもよいという気持ちも半分あったが、沢村の誠意を無にはできず、黙って聞いていた。
「僕は違う角度からも考えてみたのですが、由起子さんに話した日にちの、一日遅れで帰ってきた件ですが」
旦那さんの件と言いたかったが、省略した。
「最後の日は、井上と一緒だったのではなく、会社関係の人間と会う為、岐阜に行ったのではないかと」
「会社関係?」
「そうです、あなたとやり直したい、と何度も頼んできた位ですから、井上とずっと一緒だったとは思えず、できるだけ早く清算して、会社の極秘任務にかかりたかったのではないですか」
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もう一つの春 21

2006-12-09 09:35:50 | 残雪
春子は寂寥感に襲われていた。
一人で歩いていると、誰もいない高層ビルの迷路に足を踏み入れ、通りをさまよっている自分を空想して、寺井と過ごしたあのような一時はもう戻ってこないのではないか、と内に感ずるものがあった。
都会にいるのが耐えられなくなり、新潟行きの前に思い立って茨城県笠間市を訪ねた。
春子は陶器にもすごく興味をもっていて、すきなマグカップや茶碗を幾つも揃えている。
上野から特急で友部まで行き、そこから水戸線に乗り換えて二つ目が笠間で近い。
土曜の朝8時前に乗ったので、自由席も空いていて楽に座れた。
笠間駅には10時前に着き、自転車を借りる事にした。
やきもの通りは駅から離れており、店も点在しているので、自転車が一番便利だ。
坂を上っていかなければならないが、ゆっくり眺めながら行くには丁度良い。
上りきった左側に共販センターが有る。
こじんまりしているが、作家物や、幾つかの窯元が一通り揃っているので、見ているだけでも楽しくなる。二階には軽食喫茶室も有り、古風な建物が陶芸の里を象徴している。
そこを出て、左側を道なりに下って行くと、また何軒かの窯元がみられるが、普通の民家で、出入り口に器が並べられている感じの店もあり親しみやすい。
通りを過ぎ、道路を越えると工芸の丘に辿り着く。丘の上の建物は広く、地元の物産品から焼物まで幅広く揃えられ充実している。
4~5月の連休に開催される陶炎祭は、この丘を下った芸術の森公園で約200店舗も出店され、一日では見きれない程活況を呈している。
同じ時期につつじ祭りも行なわれている。緑豊かなつつじ山公園に、色とりどりのつつじが映え、都会に多く植えられているものよりも、小さく咲く花が主になっている。各家々の玄関にも飾られ、明るく美しい。
春子は自分と寺井用にマグカップを買ったが、お揃いではなかった。

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