帰宅して程なく玄関のチャイムがなった。今夜は牛肉と大根の煮物を作るべく支度を始めたばかり、誰だろうと玄関を開けると本家の嫁さんだった。
深刻な顔で語るには我が家の斜め後ろの家の長男(東京在住)が亡くなっていたとのこと歳は50ぐらいか。。。まだ若いのに 本家の嫁さんも知らなかったのだが月に一度の無尽講でその話を聞いたと教えてくれた。斜め後ろの家には年老いた両親がいる。人が亡くなってそこの家から香典を貰っていれば返さなければいけないので、どう対処したら良いのかの相談だった。本家の嫁さん曰く
「亡くなったことを隠してる。」
と。そうかしら???自分の息子が亡くなった事をわざわざ人に話す必要もないだろうに。本人達が話さないのであれば、そこをつっつく必要も無いしスルーしてはどうかとの私の提案に同意した本家の嫁さん、位牌はどうしたのかお骨はどうしたのかが気にかかって夕べは眠れなかったと言う。お寺で行われる年末の餅つきの時に位牌堂を見てくると言う。幾ら田舎とは言え、そこの家そこの家の対処の仕方があって当たり前だと思うのだが。何故かやるせない気持ちになってしまった。。。
今日の画像は2016年撮影の山形総合運動公園の雪景色
お祝いも お悔やみも 人の集まり制限して抑制し
その付き合いや交流を分断してきました。
そんな状況も三年も続きますと、新しい交流の仕方を
模索しないといけない時代かもしれません。
私は、お見舞いとして届けるようにしています。