あるコラムで「老いがい」(おいがい)なる造語を見付けた。一般的に言われている「老がい」ではない。「生きがい」とか「やりがい」と同様に”老いがい”は歳を重ねたからこそ味わえる充実感などを表す造語だと言われる。
歳を重ねたからこそ楽しめること、熱中できること。そうした”老いがい”を探り当てることにも、これからを生きていくために必要な豊かな知恵や人生の可能性を、見出して欲しいと言われる。
仮に85歳まで生きたとした場合、小生は67歳でリタイヤしている。そこで「老後」や「余生」が18年間あることになる。そこで「人生の残り」とと言う様に後ろ向きに過ごすには、あまりにも長い年月だと認識した。しかも68歳になった時点で「前立腺がん」が見つかり、前立腺の摘出手術を受けている。
幸いに全くの初期がんだったこともあり直ちに社会復帰が出来たことから、千葉県生涯大学校に入学し4年間の福祉関係の講座を受講した。同時に千葉市市民文化大学校でも2年間、日本史や文化関係の講座を2年間受講した。4年間を生涯大学校に在籍したことから、地元の異業種で過ごされた多くの方々の知己を得て新たな交流が生まれている。
さらに70歳の古希の祝いに、カミさんや2人の娘たちから、初心者が使える一眼レフデジタルカメラをプレゼントに頂いた。それが契機になり、3つの写真教室にも参加してさらに多くの方と交流が出来ている。今は一段とレベルアップしたカメラとレンズを手に入れて、多くの時間を写真撮影に費やしている。
また生涯大学のOBの方の紹介から、千葉県がんセンター病院のボランティアの仕事に従事させて貰ってから、3年近くになる。そんなことから85歳までにはまだ8年近くある。大いに”老いがい”を感じながら元気で毎日を過ごしたいものである。
歳を重ねたからこそ楽しめること、熱中できること。そうした”老いがい”を探り当てることにも、これからを生きていくために必要な豊かな知恵や人生の可能性を、見出して欲しいと言われる。
仮に85歳まで生きたとした場合、小生は67歳でリタイヤしている。そこで「老後」や「余生」が18年間あることになる。そこで「人生の残り」とと言う様に後ろ向きに過ごすには、あまりにも長い年月だと認識した。しかも68歳になった時点で「前立腺がん」が見つかり、前立腺の摘出手術を受けている。
幸いに全くの初期がんだったこともあり直ちに社会復帰が出来たことから、千葉県生涯大学校に入学し4年間の福祉関係の講座を受講した。同時に千葉市市民文化大学校でも2年間、日本史や文化関係の講座を2年間受講した。4年間を生涯大学校に在籍したことから、地元の異業種で過ごされた多くの方々の知己を得て新たな交流が生まれている。
さらに70歳の古希の祝いに、カミさんや2人の娘たちから、初心者が使える一眼レフデジタルカメラをプレゼントに頂いた。それが契機になり、3つの写真教室にも参加してさらに多くの方と交流が出来ている。今は一段とレベルアップしたカメラとレンズを手に入れて、多くの時間を写真撮影に費やしている。
また生涯大学のOBの方の紹介から、千葉県がんセンター病院のボランティアの仕事に従事させて貰ってから、3年近くになる。そんなことから85歳までにはまだ8年近くある。大いに”老いがい”を感じながら元気で毎日を過ごしたいものである。