風になれたら

SUZUKI Bandit1250Sに乗って風になり
中島みゆきや渡辺美里を聴いて風になり
山を歩いて風になる

北海道ツーリング2014 2日目 小樽~余市~羊蹄山~富良野~白金温泉

2014-09-22 | 

9/22(月) 晴れ 走行距離 398km

午前5時前、フェリーは小樽に到着した。空気は冷たい。

まだ暗い運河に少しだけ寄った。すぐに一緒のフェリーで上陸したライダーがやってきた。

そのライダーは今日富良野まで、その前に鱗友朝市に行くと言う。

こちらは美瑛まで、お先に鱗友朝市に行きますと言って運河をあとにした。

鱗友朝市はこじんまりとした魚介市場で、何軒かの食堂が併設されている。

味さきと言う店でサーモンイクラ丼を食べた。良い一日になりそうだ。

次回は旬のさんまが入ったイクラ丼を試してみたい。

平日の早朝、国道を走る地元の車の速さに、ここは北海道であることを実感する。

今日は美瑛の白金温泉にある野営場まで行くのだけれど、まずは寄り道の一個目、余市のニッカウヰスキーだ。

まだ、開いていない。6時だもの。

また今度~、と言って羊蹄山方面に向かった。

道端で地図を確認していたら、自転車に乗った綺麗なお姉さんがおはようございます、と声をかけてくれた。

そして、今日の天気は最高だ。ちょっと冷たい風が心地よい。

京極町のふきだし湧水に寄って、甘い水を飲んだ。羊蹄山の周りには湧水地が何ヶ所もあるのだ。

羊蹄山を後にして支笏湖へ向かった。支笏湖はアクセスできる水辺が限られているのだけれど、

ライダーハウスとキャンプ場のあるあたりの水辺は居心地が良さそうだった。

北海道の農家の庭先には花が咲き誇っていることが多い。

苫小牧とむかわを経由して沙流川沿いのR237を上って行く。

日高峠を越えたら富良野まではもう少しだ。

富良野で、昼食をとろう。今日の気分はラーメン、以前混んでいて入るのを諦めた支那虎へ向かった。

ラッキーなことに空いている。

がぁーん、次の店を探そう。ほどなくして富川製麺所に到着した。地味な佇まいだ。

ザンギ、北海道の唐揚げだ。ジューシーで程よい味付けであった。

そして味噌ラーメン、化学調味料は一切使っていないとのことで素朴な味だ。

昔、実家で食べた自家製うどん(小麦粉、味噌(大豆、麦、米)まで自家製)に近い味であった。

外で食べるラーメンの味は濃すぎることが多いのだけれど、ここのは優しい味だ。

そして、何より店員さんの効率の良い働きっぷりが気もちいい。

是非オーナーは店員さんに給料をたくさんあげて欲しい。

富良野から吹上温泉を経て白金温泉へ向かった。

国設白金野営場にテントを張った。少し休んでいたら雷雨となった。

歩いて近所の温泉、銀瑛荘に向かった。渋い温泉宿で身体を温めた。

温泉から上がると雨は上がっていた。左が美瑛富士、右が美瑛岳だ。

その宿で買ったビールを飲みながら野営場に帰った。

バイクに置いたままだったヘルメットを抱えて車止めのロープを跨いだ。

身体が前にくるりとして、地面に叩き付けられた。顎と右手を擦傷、両膝を打撲して痣ができた。

転がったヘルメットはスタビライザーが割れてしまった。幸いカメラはほぼ無傷であった。

良い一日であったかどうかは、眠るまでわからない。張られたロープを跨ぐときは気をつけよう。

野営場からは美瑛富士が少しだけ見える。明日は近くの山に登ろうと思う。

時おり寒さに目が覚めたときに聞こえる美瑛川の流れる音、木々の葉がこすれる音、降る雨の音のどれもが優しい。 

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北海道ツーリング2014 1日目 フェリーで出発

2014-09-21 | 

9/21(日) 晴れ 走行距離350km

今年の夏期休暇と言うか秋期休暇の行き先はどこに行こうかと考えたとき、やっぱり北海道が候補に上がった。

困ったときの北海道、取り敢えず北海道、それだけ懐が深いと言うことなのだ。

このところ、気温が下がって新潟へ向かう関越自動車道は寒いぐらいであったが雨でないのが幸いだ。

新潟港に着いて小樽への渡航手続きを済ませた。小樽へは明日の早朝着くのだ。

フェリーに乗ったら、早速お風呂で身体をさっぱりとさせて、サッポロクラシックを飲みながら旅の計画を立てる。

まぁ、天候次第なのだけれど、大体の計画を立てた。大雪山の周辺を主に巡ろうと思う。

2時間飲んでいたら眠くなってきたので、椅子に座ったまま眠ってしまった。

目が覚めると沖縄民謡のコンサートがあるとのことなので聴きに行った。

三線を弾くと言う古い知人を思い出した。

北海道へ向かいながら聴く沖縄の唄、なんか不思議な感じだ。

唄うは新潟の三条に在住のきよ里さんだ。思いがけずいい唄が聴けて涙が出た。

一人旅は感傷的になるものだ。

そして、一眠りしていたらレストラン営業のお知らせで目が覚めた。

眠ってばかりいるのは、前日や前々日の睡眠時間が少なかったからだ。

明日からの旅に備えて高タンパク、高カロリーの食事を取った。

その後、シアターで映画を観てから、心地良い波の揺れを感じながら眠りについた。

 

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富山に日帰り?

2014-09-14 | 

9/14(日) 晴れ

僕「週末に富山に行ってくるよ」

妻「泊まり?」

僕「日帰り」

妻「富山に日帰り?」

僕「ごんさんとコウタロウさんと一緒だから」

妻「それ本名?」

 

仕事を除くと久しぶりに4時起きだ。5時半に中央自動車道、藤野PAに集合するためだ。

まだ暗い中、家を出る。前日、空気圧チェック、リアブレーキパッド交換を済ませ、準備はオッケーだ。

まだ5時だと言うのに中央自動車道は車がいっぱい。間に合うか?ごんさんの顔が目に浮かんだ。

約束の時刻の5分前に藤野PAに到着するとnonameさんの姿を見つけた。コウタロウさんはまだいない。計算どおりだ。

少ししてコウタロウさんが到着した。

次のチェックポイントは諏訪SAだ。nonameさんは大月まで並走した後、富士山の周りを巡ったそうだ。

諏訪SAの後のチェックポイントはR361の道の駅飛騨たかね工房だった。R361ではだいたいここに寄っている。

帰りだったら飛騨牛の昆布巻きなんかがお土産に良いだろう。


車であれば東海北陸自動車道で向かうところだが、R158を黙々と進んだ。次のチェックポイントは道の駅庄川だ。

チェックポイントではなく、正しくは休憩ポイントだな。

朝ご飯を食べていなかったので飛騨牛の肉まんを食べた。ごんさんは五平餅を食べていた。

何やら鐘と太鼓の音が聞こえて装束の男達が道の駅にやってきた。庄川神社の秋祭りらしい。

庄川の連獅子舞はなにやら有名らしい。踊りに見入った。

このままではとっても間に合わないので、白川郷から高速道路で五箇山に向かった。

白川郷は連休で良い天気とあってインターチェンジから車が連なっていた。

 

待ち合わせ場所の村上家でスーさんとワカバさんが待っていた。

ちょっと話してから拾遍舎に向かった。ここは蕎麦と五箇山豆腐の店だ。

スーさんが豆腐を注文してくれた。素朴な味で食べやすい。日本酒に合いそうだ。ビールにも合いそうだ。

天ざるを頼んだ。自分のざるは写真を撮り忘れたので、これはごんさんの大盛りだ。

 

勝手に山菜の天ぷらを想像していたが、家庭的なボリュームのある天ぷらであった。

次回はざると揚げ出し豆腐を食べてみたい。

ワカバさんは所用のため、ここで伊勢にトンボ帰りだ。

 

スーさんが南砺と砺波の街を見下ろす閑乗寺公園を登った絶景ポイントに連れて行ってくれた。

閑乗寺公園までは瑞泉寺参道に寄ってくれた。石畳の道の両脇に木造の商店が並ぶ味のある街だ。

どうです!この風景、日本海、能登半島、富山湾、そして散居村。

田植えの時期の夕陽は水の張られた田んぼが輝きそれはそれは美しいとスーさんが教えてくれた。

大人のままごと、と言ってスーさんがコーヒーを淹れてくれた。

ワカバさんからいただいたフルーツ大福とスーさん持参のマグカップを並べてみた。

リラックマのマグカップがいいな、と思っていたらごんさんが選んでしまった。

次はどーもくんだな、と思っていたらスーさんが選んでしまった。

いい景色、淹れたてのコーヒー、いい仲間、人生を楽しむ時間だな。

赤とんぼ、もうすぐ秋がやってくる。

ツーリングなんでバイクの写真も入れておこう。

砺波IC近くのますのすし本舗源で頼まれたお土産を買ってバイクのシートに括り付けた。

まだ陽があったので断熱材の替わりにツーリングマップルを挟み込んだ。

神通川沿いのR41を飛騨方面に向かっていく。神岡まで来たとき、大きな工場とその臭いにかつて公害の街であったことが思い出された。

安房峠道路を抜けると松本へ向かうR158は恐ろしい渋滞であった。

中央自動車道に松本から乗って、双葉SAで夕飯を食べた。今日はタンパク質が必要なので、カツ丼を食べた。

そして、待ち受けていたのは勝沼から25kmと言う事故渋滞で、ほとんど動いていない。

車の人は家に着くのは完全に深夜だなと思った。

すり抜けをせざるをえないが、車のテールランプに目がしょぼしょぼしてしまい、ごんさんとコウタロウさんから遅れてしまった。

渋滞を抜けて、八王子で降りるコウタロウさんにランプで追いつくことができた。

きっと渋滞を抜けてゆっくり走ってくれていたのだろう。

家に着いたのは午前零時ちょうどであった。

源で買ったお土産の品。近所の知り合いへのお使いものもいくつか購入した。

 そしてスーさん、ワカバさん、nonameさんからのお土産の数々。

おにぎりせんべいは静岡にいた頃はよく食べていたが、関東では見かけないので久しぶりだ。

みなさん、短い時間ではありましたが、お付き合いいただきありがとうございました。

 

久しぶりのロングツーリングでお昼前にかなり体力を消耗してしまったけれど、何かを食べる度に力が出てきた。

朝ご飯は食べてから出かけましょう。

 

 今日の走行距離は892km、伴ちゃんのオドメーターは73,983kmとなった。

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暑さから逃れて長野の高原へ

2014-08-03 | 

8/1(金) - 8/3(日)

急に休みが取れて3連休となった。なので、まったく予定はたてていなかった。

金曜の朝、目覚めるとすでに暑くなる気配があり、このまま家にいると溶けてしまいそうだったので涼しいところでキャンプをすることにした。

家からそんなに遠くなくて涼しいところ、八ヶ岳、嬬恋、那須あたりだろうか。温泉が近いキャンプ場を探していたら八ヶ岳の松原湖高原があった。

ここだ。早速準備をして出発した。ってもう11時だけど、まぁ、いいのだ。

 

バイクでうだる都内を抜けて中央道を山梨方面に向かった。お昼は藤野PAの熱風が吹く休憩スペースでサンドイッチを食べた。

高速道路を降りてから国道は避けたいので、韮崎ICで降りて広域農道に入って明野のひまわり畑を目指した。

ひまわり畑は道から見えない場所にあったので、立ち寄らずにみずがき湖方面へ向かった。

みずがき湖から信州峠を経てレタス畑が続く高原を抜けていく。天気がいまいちなので写真は、まぁ、いいか。

馬越峠を越えて南相木の川沿いの里を抜けて行く。

小海でガソリンを満タンにして、食材とお酒を買って松原湖高原を目指した。

R141からほんの少し行った辺りで土砂降りとなり、雨具を付ける間もなくびしょ濡れとなった。メッシュの上下なので冷たい水が身体を伝う。

少しでも雨を避けようと道端の木の下で雨宿りをした。時間はあるのだ。

小雨になるのを待ってキャンプ場に行ったところ、平日の受付は今来た道の途中にあった温泉施設でと書かれていた。

受付を済ませてから、キャンプ場を一回りしてテントを張る場所を探した。けっこう広い。

他の客から離れた静かな高台にテントを張った。テントを張り終えたら温泉だ。

再び温泉施設に戻り、ゆっくりと温泉に浸かった。

小雨の中をキャンプ場に戻り、あとは飲むだけだ。涼しいので、上着を羽織る。

 

次の朝、早く起きることができたのでメルヘン街道を経てビーナスラインを美ヶ原まで往復することにした。

前日、蓼科で妹家族がキャンプしていることをSNSで知ったので急遽訪ねてみた。

甥は虫取りかなにかに出かけており姪はまだ寝ていた。

妹が実家には帰らなくてもキャンプには行くんだと母親みたいなことを言うのだ。(このあとお盆には帰った)

男には休息が必要なことがあるのだ。コーヒーをご馳走になってからビーナスラインに向かった。

 

白樺湖が見えるいつもの場所で、休憩していたクリーニング店の方が話しかけてきた。

この風景が好きでいつもここで休憩するとのことだった。少し行くと今日は富士山が見えると教えてくれた。

ビーナスラインで富士山を観るのは初めてかもしれない。晴れていないと見ることは難しい。

一気に美ヶ原まで走った。お昼はキャンプ場に戻って考えよう。

今きた道を引き返す。引き返しても楽しい道が続く。高原の風が心地いい。

 

キャンプ場に戻って数分後、雷がなって雨が降ってきた。まだお昼前なのにどうしたらいいのだ。

仕方ないのでビールを飲んだら、イスの上でうとうととしてしまった。

ハサミムシが多いのに目をつむれば、ここのキャンプ場は良いところだ。

夕方、雨が上がったので買い物に出かけ、帰りに温泉に寄った。涼しいのでしっかりと内湯で温まった。

 

地元で採れた野菜の店で調達したレタス、胡瓜、そしてトマトを芥子マヨネーズで思い切り食べた。

他にはムール貝の缶詰、地元のソーセージ、信州牛の焼き肉とかなりボリュームのある夕飯であった。

焼き肉を食べていたら散歩の犬が鍋に寄ってきた。犬は繋がれておらず、飼い主はスマホを弄っていて気が付かない。

仕方ないのでしっ、しっ、と言って追い払った。きっといい匂いがしていたに違いない。

 

満腹になったので焚き火を弄った。キャンプ場で買った薪はまだ新しく水分を多く含んでいてなかなか火が着かない。

薪の束を持ったときに重かったのでまずいと思った通りであった。幸い小さな斧を持ってきていたので、薪を細く割ってようやく火を着けることができた。

そして炎が小さくなるまで泡盛を飲んだ。

 

次の日、ゆっくりと朝ご飯を食べた。後片付けをしたらあとは家に向かうだけだ。

清里へ向かう途中、小雨が降ってきた。今回は3日とも雨降りにあたってしまった。

清里からR141を外れてK619へ入った。蕎麦屋があったら寄ろうと思っていたらちょっと行ったところに蕎麦屋があった。

地元の方たちが運営しているお店だ。木陰の涼しい風が入る席に座った。エアコンはない、と言うかいらない。

山菜天ざるを頼んだ。アシタバ、ヨモギ、しその葉、あまり山菜ではないなと思いながら食べた。

 

また来てもいいな、と思える店であった。

 

高速道路はすでに暑く、都内の幹線道路の渋滞は熱中症になりそうだった。夏は避暑地で暮らしたい、と思うのであった。

 

美ヶ原から霧ヶ峰を経て車山まで走った景色とキャンプ場の焚き火の動画をアップしたので、お時間のある方はどうぞ。

 

走行距離は3日間で635km、伴ちゃんのオドメーターは72,516kmとなった。

最近エンジンからのノイズが大きくなってきたのでちょっと心配だ。

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ゆるりと伊豆へ

2014-05-25 | 

5/25(日) 曇り

 

この春行った、伊豆ツーリングの記事ワカバさんからコメントをいただいた。

ワカバさんが伊豆に来るときは馳せ参じますよ、と返したのだけれど恥ずかしながら具体的な日程を知ったのは直前であった。

そのときのコメントを読んだごんさんから連絡を受けたのだった。もちろん行きます!と答えた。

 

東名高速道路、沼津岡宮ICのコンビで待ち合わせだ。待ち合わせ場所に着くとnonameさんとごんさんが待っていた。

そしてvansさんが到着し、たわい無い話で盛り上がりながらワカバさん達の到着を待った。

ワカバさん達の到着が少し遅れてしまったので休憩もそこそこに出発した。西浦のやま弥に予約を取ってあるからだ。

やま弥ではコンタさんとtezさんが待っていた。ご無沙汰していました。

ここでnonameさんが所用のため帰宅となった。食べずに帰る、僕にはできない業だ。

 

やま弥の2階の広間は天気が良ければ海の向こうに富士山が見えるはず。

まぁ、見えないのでお刺身定食でもどうぞ。ごんさんのですが。

実は富士山がよく見えるのは圧倒的に冬なのだ。それ以外の季節は見えないことの方が多いのでまた来てね。

ごんさん以外は名物の鯛丼を頼んだ。卵の黄身を混ぜて食べるのだ。

美味しいが、単品なので、お金とお腹に余裕のある方はお刺身定食のシメとして食べてもいいかもしれない。

 

駿河湾沿いの道を宇久須まで走り、 西天城高原の牧場の家に向かった。

ソフトクリームを喰らう。あ、垂れた。

 

仁科峠からK411、K127(旧西伊豆スカイライン)で戸田峠へ向かった。

伊豆屈指の超展望ワインディングロード、何度走っても素晴らしい。

みんな走りと景色を堪能できたようだ。

 

だるま山高原レストハウスのデッキから富士山方面を望んだ。

生憎の曇り空だったけれどほんの一瞬だけ山頂付近の輪郭が見えた。

背中で語る人の集団、背負っているものが多いのだろう。

そんなようなことを思っていたら富士山を見つけた。ごんさんの背中にKUSHITANIあり。

 

でもコンタさんがワカバさんにヤラシー!ヤラシー!ヤラシー!と連呼されていたことだけが思い出に残った。

昨年南伊勢にみんなで集まったときの帰り、岸壁を離れていくフェリーからそーっと望遠で写真を撮っていたことのようだ。

そう言えば、やま弥で待っている間にお茶を入れる僕の後ろ姿をワカバさんに撮られていた。ヤラシー!

 

今日の走行距離は311km、伴ちゃんのオドメーターは71,845kmとなった。

ブログの更新は忘れた頃にやってくる。かもしれない。

 

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青森 - 秋田 弾丸ツアー

2014-05-03 | 

5/1 - 5/3 曇時々雨、大雨、晴れ、強風 3日もあれば天気も色々変わるのだ。

弘前城でお堀の石垣を今年の秋から改修すると言うニュースを聞いた。今度お堀と天守閣を桜と共に観られるのは10年後になるとのことだった。

弘前公園の桜は一度観てみたいと思っていたのだけれど、青森はちょっと遠く、混雑したところは避けていたので、訪れる機会はなかなか来なかった。

でも、次は10年後と言われると今観ておかないと機会がないのじゃないかと思った。天気と相談だなと、開花情報と天気予報を毎日チェックしていた。

当初の予定は4/29 - 5/1で行こうと思っていたのだけれど、天候が今ひとつなので休みをずらして5/1 - 5/3で行こうとぼんやりと考えていた。

その間にも桜の花は次々と開花して満開から桜吹雪に変わろうとしていた。

5/1、普通に起きると関東地方の天気は良さそうだったが、東北地方の天気は大荒れっぽい。行こうかどうか躊躇したのだけれど、迷ったらやってみるが信条なので弘前を目指すことにした。

準備を整えて出発したのは9時40分であった。日が暮れる前に到着できるだろうか。

東北自動車道を黙々と北へ向かった。那須高原で弘前の宿の候補に電話をかけた。出られたご主人は今日の予約ですかと驚いていたけれど、キャンセルがあったとのことで幸い予約を取ることができた。

須賀川を越えた頃、前方に黒い雲が見えた。お昼を食べて雨雲の動きを確認しようと安積のPAに立ち寄った。

天ぷらうどんを注文して、出来上がりを待っていたらパチパチと音を立てて横殴りの雨が降ってきた。

急いでバイクを屋根の下に突っ込んだが、うどんを食べて戻ってみたらバイクはびしょ濡れであった。

雨が弱まるのを待ってレインウェアを身に着けて出発だ。

その後、人生において初めて経験するような身の危険を感じる豪雨を何度かくぐり抜けた。バイク旅だから味わえるこの試練、馬鹿だねぇ。

岩手を抜ける頃、やっと安心できる空になった。ここまで来ると東北自動車道はがらがらだ。

18時20分、弘前の宿、石場旅館に到着した。風呂に入ってさっぱりした後、ご主人にお勧めの居酒屋を教えていただき夕餉に向かった。

薄暗い通りにその店、しまやはあった。暖簾をくぐると一見のひとり客にはちょっと敷居が高い気がした。

値段の書かれていない手書きのメニュー。こう言う店は久しぶりだな。店は恰幅の良い女将さんとアルバイトと思われる若い女性たちで切り盛りされているようだ。

客は地元の方と観光客が半々ぐらいだろうか。カウンターに座り、アルミバットの料理を眺めたが殆ど出尽くしてしまったようだ。

生ビールを頼んだ。お勧めを聞くとガラスケースに入っていたトゲクリガニを勧められた。聞いたことがないので当然試してみることにする。

その横にあったサザエを刺し身にしてもらった。トゲクリガニはこの時期だけ漁が許された地元のご馳走なのだ。茹でられたトゲクリガニの濃厚な味噌とハラコの甘さにクラクラしながら次のビールを注文した。

この辺りから女将さんやカウンターのお客さんと話始めた。ほんと、久しぶりだな、こんな感じ。まぁ、キャンプだとけっこうあるけど、キャンプだと普通の人が少ないと思うのだ。

サザエの刺し身、コリコリとして美味い。肝の部分は別に焼いてくれた。これも美味いのなんの。

さらにビールを注文し、次は何にしようかなと思っていたら、奥の座敷から山菜の天ぷらの注文があったので便乗させてもらった。タラの芽にウド、春の香りにまたまたクラクラだ。

気が付けば21時20分だったので、お会計を済ませて弘前公園の夜桜見物に向かった。

散り始めた桜によってお堀が桜色に変わっていた。ほろ酔い加減で歩き続けた。いいぞ、いいぞ、やっぱり雨の中を走って正解だ。

イェイ!

宿への帰り道、お腹が空いてきてしまったので、コンビニでカツサンドとビールを買った。

消耗しきった身体には栄養が必要なのだ。

 

次の朝、朝食前にもう一度公園を歩いた。

石場旅館は趣のある宿だ。若い人はあまり訪れず、客層は年季の入った方々と海外の方々が多いようだ。

出発時、どちらに行かれますかとご主人に聞かれた。角館に向かおうと思っていたので、秋田方面ですと答えたところ、男鹿半島がいいですよと勧められた。

じゃあ、男鹿半島に行ってみよう。まずは岩木山を2/3週してから日本海側に向かった。山麓一杯に広がるりんご畑、りんごの花はこれから咲くようだ。

残雪と山桜、東北の春は一気にやって来るようだ。道端のフキノトウは大きく花を開いている。

日本海側に出ると、雲行きが怪しくなって風が吹いてきた。

千畳敷と言う場所があったが、今までいくつも千畳敷を見てきたので立ち止まること無く先に進んだ。

断崖を縫うように造られた海沿いの道を走っていると霧雨から本降りに変わった。

天気が良ければ白神山地の麓でも訪れてみたいところだったけれども、雨の中なので坦々走り続けた。

雨具を脱げる屋根付きの食堂を探したが、そんなに都合の良い店は現れず能代までやってきた。

駐車場を備えた大型のショッピングセンターがあったので立ち寄ることにした。昼飯を取るのに良い店がなかったので、商店街を歩いてみたがどこも夜の店で、再びショッピングセンターに戻ってファミリーレストランに入った。

すっかり身体が冷えてしまっていたので、カレーうどんを食べた。カレーうどんを食べると口の中にいつも火傷を作ってしまうのはなぜだろう。

能代を過ぎると天候が回復した。その後、八郎潟の大干拓地を走った。小学校の頃に習った地にやってくるとは思ってもみなかった。

男鹿半島にはいくつか温泉地があるが、一軒宿はどこも高そうだったので、一番大きな男鹿温泉郷を訪ねてみることにした。

温泉街に入って観光協会のようなものを探すと温泉協同組合があった。事務所で手頃な宿の予約を取ってもらった。

宿は温泉旅館ゆもとと言って温泉街から少し離れたところにあり、道なりに走って行くと宿は斜め後ろにあって行き過ぎてしまった。

細い道、たぶん旧道と思われるその道で、普通の集落の中に建っていた。伝承によるとこの温泉の発見は1200年前だそうだ。

15時過ぎに投宿してじゃぶじゃぶの大きな風呂に浸かり、身も心もゆったりとした気分になった。風呂から上がって夕食まで時間があったので、ご主人に男鹿半島一周は1時間でできますかと訊ねると2時間はかかるとの話だった。

2時間ならきっと1時間で帰って来られるだろうけど、ビールを飲みながら明日の帰宅ルートを考えることにした。その方が気持ちいい。

帰宅ルートは男鹿半島をまわった後、本荘から湯沢を抜け、稲庭うどんを食べて子安峡を目指し、長者原SAから東北自動車道に乗ることにした。

夕飯の準備が整ったと連絡があり大広間に向かった。お客は数組の夫婦者とカップル、そしておっさん1人であった。

正しい温泉旅館の料理の数々。ビールからお燗に変わる魔法にかかってしまった。

黒鯛の鍋、甘い出汁が身体の隅々まで染み渡ってゆく。

黙々と料理と酒に対峙していたら、一気に酔いがまわってきた。部屋に戻ると歯も磨かずに布団に沈み込んでしまった。

目が覚めると午前1時、まだまだ朝までは長い。朝の散歩のために目覚ましをセットしてもう一度眠りについた。

次に目が覚めるとセットした時刻をかなり過ぎていた。アラームに曜日が設定されていたのだ。散歩はパスして朝風呂に向かった。

この宿は風呂も料理もコストパフォーマンス的に素晴らしい。いつまでも宿の経営が続いていくことを願うばかりだ。 

 

3日目、やっと晴れた!青空の下、男鹿半島のアップダウンする断崖のワインディングロードを走り続けた。断崖を走る道路の脇に自動車がよく止まっていた。山菜採りが盛んなようだ。

極上のワインディングロードに素朴な温泉、男鹿半島は今年のツーリング大賞の候補になった。

一気に集落まで駆け抜けてしまった。男鹿半島と言えばなまはげが有名だ。

少し行くとゴジラ岩の看板があったのでUターンして海岸に向かった。ここは駐車場だが、岩がゴロゴロしているので気をつけよう。

ゴジラ岩、僕には亀岩に見えた。大きな岩を想像していくとがっかりするので小さな岩を想像していくと良いかもしれない。

秋田方面から男鹿半島に入ると巨大ななまはげが迎えてくれる。

秋田から本荘は淡々とR101を走った。走りながら何度も走ったカリフォルニアのR101を思い出していた。

どちらも西海岸を走る幹線道路だ。本荘からR107に入り、山道っぽいR398経由で湯沢方面を目指した。

R398は田舎道となってしまったが横根峠あたりにはフキノトウやつくしが顔をのぞかせていた。

そして、稲庭うどんの佐藤養助本店に向かった。以前立ち寄ったとき開店前で入ることができなかったので、今日は是非食べてみよう。

連休初日と言うこともあり1時間待ちであった。一瞬ひるんだが、今度いつ来れるかわからないので待つことにした。

待っている間、併設された生産工場を見学したり、お土産を買ったりした。

ここはやっぱりざると山菜の天ぷらだろう。醤油だれと胡麻だれでつるつると一気に食べてしまった。

追加のざるを頼もうかとも思ったが、それは食べ過ぎだなと論理的な決断ができたようだ。

稲庭地区には他にもうどん店があるので、次回は他店にも寄ってみよう。

くねくねが続くR398は雪景色と桜、一面の銀世界、新緑と次々とその風景が変わっていった。

気が付けば一気に100kmほど走って東北自動車道に辿り着いた。

東北自動車道は雨が降ったり止んだりした。それ以上に横殴りの風にずっと晒されてかなり体力を消耗した。

栃木あたりでかなり危険な状態になったので佐野SAで休むことにした。

ラーメンを食べたら身体も温まり、体力も回復して家まで一気に走ってしまった。それでも家に着いたのは夜の10時頃であった。

雨と風に打たれ続けた2泊3日の弾丸ツアーが終わった。いい年して何やってるのだろう。やっぱりアホだな。

 

1日目の走行距離 716km 東京 - 弘前
2日目の走行距離 215km 弘前 - 男鹿
3日目の走行距離 717km 男鹿 - 東京

3日間の走行距離は1,648km、伴ちゃんのオドメーターは71,422kmとなった。

 

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伊豆で焚き火を囲む

2014-04-27 | 

4/26 - 4/27 晴れ

2ヶ月前、高校の同級生と10数年ぶりに会った。そして3、4人前のカムジャタンをつつきながら、暖かくなったら伊豆でキャンプをする約束をした。

彼のバイクは人力なので、一緒に走ることはできず、荷物も運ぶことは難しい。午前8時、小田原駅まで電車でやってきた彼の寝袋を受け取った。次に会うのはキャンプ場だ。

殿様キャンプだな、と彼は言った。キャンプ場と夕飯の手配は僕の役割だ。前夜、準備をしていたら午前2時になってしまった。午後11時から支度をすればそんなものだが、いつも支度には時間がかかってしまうのだ。

それからバナナを2人で食べてパワーを注入して出発した。

小田原からターンパイクを抜けて、芦ノ湖と富士山を少しだけ眺めてから、伊豆スカイライン、K80、虹の郷からK18を一気に駆け抜けて達磨山のレストハウスに到着した。

うっすらと浮かぶ富士山を眺めて、ニンジャに乗る横浜からのライダーと少し話をして、西伊豆スカイラインへ向かった。

天候に恵まれているのでツーリングを楽しむライダーが多かった。そしてハイカーも沢山いた。

仁科峠で丘を見上げた、この笹の中を歩くのも気持ち良さそうだ。

伊豆の雪はすっかり溶けて沢の水は清らかな流れに戻っていた。

お昼は先月に引き続き中華料理の合歓で取ることにした。合歓はちょっと我の強そうなご主人と包容力のありそうなおかみさんで切り盛りされている。

おかみさんに今日のおすすめを訊ねると筍の酢豚で、さっき採ったばかりの筍だと言う。

これから茹でるので時間がかかるとのことだったが、採れたての筍を食べられるのなら待つのが正しい選択だ。

ベランダでコーヒーを飲みながら待つ。山肌に走る新緑の筋が眩しい。

30分後、瑞々しい筍を食べることができた。

松崎まで下ると、疲れが出てきたので南伊豆はまわらず、ショートカットして河津へ向かうことにした。

この疲れの原因は3日前の徹夜カラオケに違いないのだ。

そんなヨレヨレおじさんを癒してくれる可憐な花畑があった。年々花畑が大きくなっていると思うのだが気のせいだろうか。

河津の街のスーパーで食材を買い、湯ケ野温泉の国民宿舎かわづで湯船に浸かり、ビールと氷を買い込んだらキャンプ場へ向かう。

国民宿舎かわづは商売気のない町営施設でガラガラだがお湯は素晴らしい。赤字運営でないことを祈ろう。

風呂から上がる頃、友人も温泉に辿り着いた。お風呂はいいや、と言ったがここのはいい風呂だから入った方がいいよとすすめた。

これで今日の汗も気持ちよく流すことができるだろう。

山道をくねくねと登ってキャンプ場に到着だ。無料キャンプ場のヌシのようなオーナーが迎えてくれた。

いつもは自前のテントだが、今日はティピと呼ばれるアメリカ先住民の移動住居だ。

10数年前にここCycle:yaを知ったが、泊まるのは初めてだ。

ティピの最大の特徴は中で焚き火ができるのだ。この中で4人まで寝ることができる。

薪付きで1泊2,500円は伊豆ではコストパフォーマンスの良いキャンプ場だ。

たわわに実った場内の夏みかんは採り放題とのことだった。背の高い人はいっぱい採れるかもしれない。

ビールで乾杯したら、あとは焚き火三昧だ。

そら豆とウインナーで作った心ひとつ。焼けるまでは乾きもののつまみと焚き火を楽しむ。

ビールがワインに変わる頃、ほうれん草とトマトを炒めて、じゃがりこのポテトサラダを添えて前菜のできあがり。

サザエはそのまま、日本酒に浸けておいた手羽先を塩コショウで時間をかけて焼く。

サザエに醤油を垂らしたら美味い音が聞こえてきた。

小振りとは言え、サザエ1個96円(外税)はお買い得だった。やるな伊豆。

残念ながら、筍の丸焼きは準備できなかったが、途中で筍料理を食べられたのでよしとしよう。

久しぶりに会う友人は昔のようににこにこして、僕のとりとめもない話を聞き続けていた。エライ!

太古から人はこうして火を囲んで酒を酌み交わしたに違いないのだ。

この後、焼き舞茸たっぷりの生ラーメンを食べたら猛烈に眠くなってきた。

早く寝たら夜中に目が覚めちゃうよーん、と言いながらトロトロと燃える火を眺めながら8時に寝てしまった。

目が覚めたらまだ1時であった。失敗か。テントの上部が開いているので星が見えたのでラッキーだ。少し寒い感じがまたいい。

 

次の日、友人は6時過ぎに出発した。また小田原で落ち合うのだ。僕が出発したのは9時半であった。

久しぶりにループ橋に寄ってみたら、保守作業中だった。七滝の店舗もまだ営業前だったので先へ向かおう。

天城峠の道の駅では八重桜が満開であった。天城と言えばわさびだろう。お土産にわさび漬けを買った。

その後は三島からR1をぐりぐりと上り、箱根峠から旧道をたらたらと下った。今日は疲れているのでこれぐらいがいいだろう。

11時過ぎ、出発した小田原駅に戻ってきた。北条早雲がお出迎えだ。

 

またキャンプに行こうと期限のない約束をして別れた。

今年の飛び飛び日程のゴールデンウィークはこうして始まった。

 

注意:ティピ泊は煙に燻されるので全身スモーク臭人間になります。

 

今回の走行距離は407km、伴ちゃんのオドメーターは69,774kmとなった。

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春の高遠へ

2014-04-19 | 

4/19(土) 晴れ

この時期、高遠城址に一度行ってみたかったのだけれど、混んでいるところは苦手なので今まで敬遠していた。

混雑を避けるなら、早朝だ。最初に目が覚めたら3:30、うーん、早すぎる。もう一回寝よう。

つぎに目覚めたら4:45、ちょっと身体が重いが、起きてしまえ。

甘めのカフェオレを飲んだら出発だ。

 

中央自動車道で諏訪まで行き、そこから杖突街道で高遠城址公園を目指した。

街道沿いには満開の桜がそこかしこに植えられていて心が躍る。さくら祭りに向かう道路はすでに多くの車が走っていた。

 

公園近くにバイクの駐車場があることを確認していたので、すぐに公園に入ることができた。

公園には土産物屋や食堂の間を抜けて行く。朝ご飯を食べていないので、帰りに何か食べていこう。

高遠城は2本の川に挟まれた河岸段丘の突端に建てられた。まさに自然の要塞だ。

 

そこはもう桜の楽園、上を向いて歩いてしまう桃色の世界だ。

しばらく歩くと太鼓楼があった。太鼓で時を知らせたとのことだ。

池に映った桜と橋、その橋の名は桜雲橋と言うのだ。

屋台にビール、貸しゴザ屋まであって手ぶらで来ても楽しめるのだ。

思わず、ビールを飲みたくなったが、ここはビールより饅頭にしておこう。

ここは素晴らしい場所だ。また、いつか来よう。

 

駐車場に戻る途中にあった食堂で伊那のローメンを食べた。これはソース味。

 

街道沿いで、缶コーヒーを飲みながら勝間薬師堂のしだれ桜を眺めた。

そして南へ向かった。分杭峠、地蔵峠を経てしらびそ高原へ入った。

 南アルプスを望みながら走る。

 ん、どこがクレーターだ?

 真上から見ないとわからないかもしれない。

その後、下栗の里をうねうねと下って国道に出るころ、もうスーパー林道に行く元気はなくなっていた。

下栗の里は何度訪ねてもその急峻な山肌に作られた畑に驚かされたり感心させられたりする。

 

浜松から新東名に乗った。新東名は楽だ。と思っていたら静岡辺りから雨が降りだした。

走り続けていれば濡れるのは肩だけだ。でも降り続きそうだったので雨具を着ようと清水でSAに寄ったが、バイク置き場は満車で入る余裕がない。

えーい、走り続けてしまえ。神奈川に入ると雨はやみ、家に着くとジャケットはすっかり乾いていた。

お土産は静岡県産の干し芋だ。安倍川餅にしようと思ったのだが、実家から草餅が届いたとメールが入って被らずに済んだ。

 

今日の走行距離は641km、伴ちゃんのオドメーターは 69,348kmとなった。

 

 

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パラダイス、西伊豆。

2014-03-22 | 

3/22(土) 晴れ

2ヶ月ぶりのツーリングだ。向かうは西伊豆、海と富士山を眺めて、くねくね道を楽しもう。

沼津の街を抜けてK17へ入った。K17から大瀬崎をショートカットするK127で戸田岬へ向かう。

倒したバイクをアクセルを開けてコーナーを立ち上がる感覚を楽しむ。高速コーナーが続くK127から小さなカーブが次々と現れるK18へ入る。

楽し過ぎ!そして西伊豆スカイラインへ突入だ。

西伊豆スカイラインから続く西天城高原線は貸し切りであった。

 

去年に比べれば杉花粉は軽いなと思っていた。この時は。

今日の目的地、中華料理の合歓。西天城高原をK59で下って山が開けた場所にあるお気に入りの店だ。

店に入るとストーブの近くで暖まるよう勧められた。

店内には暖炉とソファーが置かれ、バーカウンターもあり、別荘を作るならこんな部屋が欲しいと思わせてくれる見本のようだ。

排骨飯セットを頼んだ。これにキャベツの酢漬けと卵スープが付く。

今日も良い時間を過ごすことができた。また来よう。

僕が店を出るとき、次のお客さんが入ってきた。こんな場所だから客足は伸びないと思うが、いつまでもお店が続くようみんなで食べに行こう。

 

復路は松崎からR136、K17と海沿いを富士山を眺めながら走り続けた。

煌めきの丘より、いつ来ても絶景。

その後沼津の街を抜けるのに一時間半!何をやっているのだ。次回は渋滞情報を確認しよう。

東名で15kmの事故渋滞を抜けて海老名SAで休憩した。ちょっと寒かったので体力を消耗したようだ。

栄養補給だ。メイプルフレンチと言う名のパン。もう一個いけそうだ。

お土産は煌めきの丘で地元のおばちゃんが売っていたネーブルとみかん。そしてメイプルフレンチ。どちらも甘々だった。

もうひとつのお土産は杉花粉だった。目は充血し、くしゃみはしっぱなし、水のような鼻汁、唇まで腫れてしまった。

症状が軽くなるまで3、4日かかったが、去年に比べればまだ軽い!

 

本日の走行距離は404km、伴ちゃんのオドメーターは68,675kmとなった。

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春よこい、会津へ 後編

2014-03-17 | 

3/17(月) 晴れ

一泊したので、次の日はゆっくりと街を巡った。会津若松駅前からまちなか周遊バスで七日町に向かった。

七日駅前で下車したら歩いて鶴ヶ城方面に向かうのだ。

踏切の音がしたので線路を覗いてみたら野口英世とその母と思われる人が描かれた列車が駅に入ってきた。

ここ七日町通りは以前繁華街だったそうで、古い建物が並んでいる。

 

そして白木屋漆器店にやってきた。ここはかなり有名な店らしい。

開店したばかりの店内で掃除をしていた店員の方が漆器の資料館があるのでゆっくり見て行ってくださいと教えてくれた。

ほとんど下調べしないで入ったのだけれど、ここは見応えのある店だ。漆器の製作行程はそれはそれは手間のかかるものであることがわかった。

そして2階の応接間に昭和34年に手塚治虫氏がここを訪れた時の写真が飾られていた。部屋はその当時のままだ。

何か買おうかとも思ったが、今の暮らしに漆器が入る余裕はないように思えたので、ありがとうございましたと言って店を出た。

 

七日町通り(国道252号)から県道59号経由で鶴ヶ城方面に向かう。

竹問屋と書かれている。子供の頃、竹馬を作るために父親と山へ竹を取りに行ったことを思い出した。

 

そしてNHK大河ドラマ「八重の桜」に登場した人物が生まれ育った場所を巡った。

このために今回お世話になったのはこのサイトだ。八重と会津博

まずは秋月悌次郎、そして山本覚馬と八重、八重の幼なじみの高木時尾に日向ユキ、そして梶原平馬の住んでいた場所を巡った。

どこも今は普通の住宅街である。戊辰戦争後、更地にされてそこに今の道路や家が作られたからだ。

当時のまま残っているのは日新館の天文台跡だ。登ってみたら磐梯山と鶴ヶ城の天守閣が見えた。

もしかしたらここを八重が登ったかもしれない。日新館は男子のみだからそれはないか。

鶴ヶ城近くで大熊町のバスを見かけた。大熊町の出張所があるのだ。そして仮設住宅も。

その後、北出丸の西郷頼母邸跡に寄った。頼母の一族21人が自決した場所だ。

家族の辞世の句を読んでいたら涙が出てきた。

 

鶴ヶ城には寄らず、再びまちなか周遊バスに乗って大龍寺を目指した。

ここには八重が晩年に集めた山本家の墓があるのだ。墓標は八重の字だと言われている。

境内に入ってからこのお墓の行き帰りで地元の方とすれ違う時みんながこんにちはと行ってくれた。

おいおい、またまた会津が好きになってしまうではないか。

 

ふたたびバスに乗り、飯盛山に向かった。会津は何度か訪れているが、飯盛山は初めてなのだ。

参道にはまだ積もった雪が残されていた。白虎隊がこの水路の穴に潜ったそうだ。

さざえ堂での前では入場券売り場のおばちゃんがテープレコーダーのように呼び込みをしていた。

せっかくだから一度入っておこう。なるほど、螺旋の通路が続いている。中は一度入ればもう十分だ。 

 

そして白虎隊士の墓と自決の場を巡った。立ち並ぶ墓石を前にして目頭が熱くなった。

彼らはなんのために死ななければならなかったのだろう。当時の価値観では当たり前のことだったのかもしれないが。

自決の場で団体のおばちゃんがはしゃいでいた。平和とは時間が経つことなのだろうか。

 

歩き疲れてしまったので家に帰ることのしよう。周遊バスに乗って会津若松駅に向かった。

お昼ご飯は蕎麦のセット、にしんのおかずに揚げ饅頭が付いている。

 

電車の発車時刻までまだ時間があったのでもう一度街を歩いた。前日見つけた五郎兵衛飴本舗に寄って水飴をお土産にしよう。

おおお、マイコンショップにDOS Vショップ、時は止まっているのであろうか。

会津の街では綾瀬はるかのポスターがたくさんの店先に張られていた。

色褪せてきたポスターもいくつかあったが、10年後ポスターは貼られているのか確かめに来よう。

そっと建っていた五郎兵衛飴本舗の店舗、じいちゃん、ばあちゃんが店番だ。

驚くなかれ!創業800年!八幡太郎義家の家来が創業したとのこと。

武蔵坊弁慶直筆の源義経の借証文が残り、白虎隊もその飴を食したと言う。

飴の材料は餅米と麦芽のみ、そして近代に寒天が加わった。箱の包装は思い切り弁慶だった。

これと飴もなかを買った。こちらは寒天なしの飴が使われている。

どちらも素朴だが、落ち着いた甘さだ。いくつでも食べられてしまう。

 

帰りはあいづライナーで郡山まで行き、そこから新幹線だ。

 

 おまけ。会津美里、「eyes」と言えば渡辺美里の1stアルバムタイトルだ。

 

山本邸跡近くにあったミユキ食堂。美雪ではなく美由希であったが、よしとしよう。

 

またまた、おまけ。帰ってから「八重の桜」のビデオを買ってしまった。

これを見てまた会津に行くんだろうな。

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春よこい、会津へ 前編

2014-03-16 | 

3/16(日) 晴れのち時々雨

行くぜ、東北。やまびこに乗り込んだ。

お昼時なので、ここは駅弁で決まりだ。しまった、ビール買うの忘れた。

五目わっぱめし。小振りなので、ダイエット中の僕にはぴったりなのだ。

郡山で磐越西線に乗り換えて一路会津若松へ向かう。

今日は暖かいなと思っていたら雨など降り出して、気がついたら辺りは雪景色だった。

当初、バイクで来ようと思っていたのだが、やはり来なくて正解だった。

ホテルにチェックインした後、少し休んでから出かけた。目的地まで4km弱あるが歩いて行こう。

国道ではなく旧街道を歩いて鶴ヶ城方面に向かった。旧街道には昭和の香りが漂う店が軒を連ねていた。

その先の野口英世青春通りと言う小っ恥ずかしい名前の小路を歩いていたら古い洋館の喫茶店があった。

野口英世が手の火傷の手術をしてもらい、後年勉学に励んだと言う旧会陽医院であった。

犬も歩けば棒に当たるだな。

 

 

 

しばらく歩いて鶴ヶ城までやってきた。目的地はすぐ先の會津風雅堂、MISIAのライヴが開催される。

会津の観客はいい盛り上がり方をする。雨も上がったばかりでMISIAの喉の調子も絶好調だった。

東日本大震災から3年、それぞれの思いが交錯するライヴであった。

 

ライヴが終わったら隣の鶴ヶ城に向かった。鶴ヶ城プロジェクションマッピング はるか 2014 「庄助の春こい絵巻」を観るのだ。

お腹がすいたので、途中の土産物屋であわ饅頭を2個買って食べた。ダイエット中だが、我慢はしない。

それをダイエットと言うのか疑問は残るが、これでいいのだ。

 

今日は満月のようだ。

 

注意事項などを会津弁で話してくれている。とても心地の良い声だ。

もうすぐ始まる。準備ができたようだ。

地元の小学生の絵が心安らぐナレーションとともにいくつか映し出されて行く。どれも希望と明るさを感じられる作品だった。

 

そして本編、昨年の作品に続いて今年の作品が上映された。ご存知、小原庄助さんを題材にした作品だ。

影絵で有名な藤城清治さんの絵が使用されている。

 そして、桜の花が咲いた。

帰り際、ブースでナレーションを担当していた女性を見つけた。とても可愛いらしい人であった。

 

家に帰って気が付いたが、MISIAのファンクラブのカードや絵は藤城清治さんの影絵が使われていたのであった。

 

明日は街を散策する予定だ。

 

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そろそろ乗ってみようかな

2014-01-19 | 

1/19(日) 晴れ

久しぶりにツーリングに出かけた。行き先は千葉だ。なぜって、それは近いから。

アクアラインを抜けて房総半島の懐に飛び込んだらこの有様だ。

先週降った雪がところどころ残っていた。この後も明らかに凍結した箇所に出くす度にどきりとした。

完全に凍結した場所でバイクから降りようとした年配の人がいたが、大型バイクは降りた方が危険だと思った。

九十九里浜の南端から海岸沿いに出て南下した。今日は何を食べよう、肉だな、ハンバーグ。

街道沿いには新鮮な魚介を売りにする食堂が多い。海沿いだから当たり前だ。

ナビで肉料理を出しそうな店の名前を探すがなかなか見つからない。

バイパスを避けて勝浦市街に入ってみたが、良さそうなところは現れない。

勝浦を過ぎて少し行くとナビに精肉店と食堂が一緒に現れた。これだ!

 

細い路地を入って行くとその店はあった。家族で経営していると思われるその店は家族連れや学校帰りの高校生なんかもいて地元のレストランて感じだ。

なぜかラーメンぽいものを食べている人が多い。壁には雑誌のコピーが張られていた。

タンタン麺が有名らしい。メニューには何でもあって

 

ハンバーグ定食と単品でメンチカツを頼んだ。お腹が空いていたので写真を撮る前に箸を付けてしまった。

デミグラスソースたっぷりで、ご飯にぴったりのハンバーグだ。メンチカツも食べよう。

思い切り口の中を火傷してしまった。揚げたてであった。どちらも肉屋のお惣菜で懐かしい感じだ。

そして味噌汁、魚の出汁が効いていてハッとした。

 

お腹が満たされたので海に出てみた。鵜原海水浴場だ。夏には大勢の人が訪れることだろう。

海ほたるに着くころ陽が沈もうとしていた。寒風が吹きすさぶ中、太陽が沈むのを待った。

今日の走行距離は285km、伴ちゃんのオドメーターは68,224kmとなった。

 

長時間のバイクに跨がるのは2013年9月の北海道ツーリング以来だ。

心身ともに健康でないとツーリングに出かけることは難しい。

今年の目標は20,000kmだと意気込んだが10,000km行けたらいいかもとちょっと弱気になる寒さの今日この頃だ。

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北海道ツーリング2013 最終日 上富良野~美瑛~苫小牧

2013-09-22 | 

9/22(日) 晴れ

朝ごはんはカレーだ。レトルトだけど、最近のは美味しいね。

今日は風が強いが朝露で濡れたテントを乾かすのには好都合だ。

今日で北海道ともお別れなのでテントはできるだけ乾かしておきたい。

乾かしている間に今日のルートを考える。フェリーの出る苫小牧まで直行なら200kmを切っている。

まだまだ時間はあるので、美瑛に行ってからにしよう。それから南下しよう。

 

上富良野のキャンプ場を出たのは9時半だった。美瑛まで真っ直ぐ行けば20kmだが、ちょっとワインディングロードを走ってから行こう。

このルートだと倍の距離になるが時間はあるのだ。

道道291号を十勝岳方面に向かう。ここはお気に入りの森の中を抜ける中高速ワインディンングロードなのだ。

道道966号との交差点から富良野岳を臨むと山頂から紅葉が降り始めていた。

空いていたら吹上温泉に寄ろうかと思ったが、数台の車が停まっていたのでパスした。

噴煙を上げる十勝岳を右手に見たあと、美瑛の森を眼下に一気に下って行く。

平らな場所に出たら青い池の看板があった。Macファンとしては寄ろうかと思ったが観光バスが止まっていたのでパスした。

また今度。

 

美瑛は駅の北西の丘は行ったことがあるが、南東側は訪れたことがなかったので今回訪れてみることにした。

北西側に比べると南東側の丘は緩やかな印象だった。観光客も少なめだ。

今日は美瑛センチュリーライドと言う自転車の競技大会があって多くの参加者が走っていた。

バイクも気持ちいいけど自転車も気持ち良さそうだ。

 

美瑛からあとは南下するのみだ。再び上富良野を経由して富良野方面に向かった。

国道は避けてのどかな道道を行く。富良野でお昼ご飯にした。

今日はラーメンだな。見つけた店は人気店らしく行列ができていた。

しばらく並んでいたが全然先にすすまないので隣の蕎麦屋に入った。

カツ丼蕎麦セットを頼んだ。ミニ丼とかミニ蕎麦じゃないフルサイズでお腹もパンパンだ。

国道38号から国道237号に入ると交通量は激減し森の中をひたすら走って行く。

占冠の道の駅でメロンを食べた。シムカップはアイヌ語のシモカプ、とても静かで静かな上流の場所と言う意味している。

日高峠を越えて沙流川沿いの道を太平洋方面を目指す。沙流川には大きな渓魚が棲んでいそうだ。

 

太平洋が近づくと競走馬が草を食む牧場が現れた。太平洋側は競走馬の故郷なのだ。

もうすぐ苫小牧だ。スロットルを戻してフェリーターミナルに向かった。

港に少し早く着いたので土産物屋をのぞいたり出航を待つ人と話をしたりした。

フェリーに乗り込んだ。急に力が抜けて行く感じに包まれた。

日が暮れてもうすぐ出航だ。

今回、食料は持ち込まず船内のビュッフェレストランを利用してみた。 

美味しいが、失敗だ。食べ過ぎてしまうのだ!!!

これを食べたらお替わりとデザートまで食べてしまった。

今日の走行距離は259kmであった。

 

次の日の午後、大洗に入港した。茨城の空は北海道と同じくらい広いはずなのだが、北海道の方が広く見えるのはなぜだろう。

雲のかたちが違うのかもしれない。

家までは134km。今回のツーリングの走行距離は2,402kmであった。伴ちゃんのオドメーターは67,770kmとなった。

 

これで今年の北海道ツーリングは無事に終わった。

終わりがあれば始まりがある。なんてね。

 

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北海道ツーリング2013 7日目 霧多布~サロマ湖~上富良野

2013-09-21 | 

9/21(土) 晴れ

朝起きるとまだ風が吹いていた。ここは風が強いことで有名なのだ。でも、雨が降っていないので全くかまわない。

今日の予定は昨夜寝る前に決めた。道東の牧草地帯を抜けて美幌峠を越えてまずサロマ湖を目指す。

サロマ湖から旭川方面をめざしで南下し上富良野で宿泊だ。

気持ちの良い牧草地帯を抜けて行く。北海道らしい風景はどこかと言われれば迷わず道東と答えるだろう。

いくつかの直線道路や交差点を越えて気持ち良く走っていたらなんか鶴みたいな鳥を発見した。

もしやと思って引き返した。たぶんタンチョウ鶴だ。遠い。残念、望遠レンズを忘れてきたのでこれが精一杯なところだ。

サロマ湖を目指して適当に走っていたら養老牛の標識があった。そう言えばここにはからまつの湯という無料露天風呂があったな。

行ってみよう。あれれ、こんなにいい道路だったかな?以前来たときは林道だったような気がする。

見つからないのでナビで探してみたらあった。新しい道路ができてそこからちょっと入るようになっていたのだった。

有志の方々が維持してくれているのでありがたく入らせていただく。

ウォー!って叫びたくなるくらい気持ちいい。寄り道してよかった。

せっかくだから入っているところを写真撮ればよかったな。

冷えた身体が温まったら出発だ。養老牛温泉に大一と言う温泉宿があってその昔妻と訪れたことがあった。

部屋も大きくゆったりとした宿で、川沿いの大きな露天風呂も泳げるほどであった。あの頃は若かった。

 

摩周湖や屈斜路湖を素通りして美幌峠までやってきた。

ちょっとお腹がすいたので何か食べよう。揚げイモ、カレーパン、ホタテ天、ザンギ、すき焼き風コロッケ、ずらりと揚げ物が並ぶ。

で、握りこぶしぐらいのすき焼きコロッケにした。ホクホクのジャガイモってどうしてこんなに美味しいのだろう。

ちゃんと景色も見ておこう。今日は暖かいのでちょっと霞んでるな。

 

美幌峠から一気に下って能取湖にやってきた。寄るつもりはなかったのだけれど、サンゴ草祭と書かれていたのでUターンして会場へ向かった。

会場には出店やカラオケステージなどあって街の小さなお祭りと言う感じであった。

サンゴ草は一昨年前より生育したようだ。よかったなと思ってちょっとだけ寄付した。

サロマ湖の北勝水産でお土産を自宅と実家に送った。これでミッション完了だ。

お土産がなければ今年はここには来なかっただろう。

 

サロマ湖から旭川方面を目指す。333号、渓魚がいるかもしれない川沿いの国道だ。

自動車専用道路が並走しているので在来国道は空いているのだ。こう言う道路が狙い目なのだ。

 旭川の街を通るのを避けるため愛別から道道140号に入る。

少し行った当麻と言う街のセイコーマートで休憩した。生姜入りの甘酒を飲んだ。

甘酒を飲んでいたらひとりの老人が近づいてきた。

話をして良いかと言う。もちろんだ。幼いときに四国から父親に連れられて北海道に移住してきたそうだ。

現在の年齢は90を越えると言った。想像に難くない厳しい冬と開拓の日々だったことだろう。

40年前に総入れ歯になったそうだ。そうか、50歳ぐらいかな。

冬の寒さはシベリアの寒さに比べればと言った。シベリアに抑留されていたそうだ。凍傷で指を失くす仲間たち、医者もなす術もない。

凍傷にならないよう気をつけたそうだ。シベリアで歯がなくなって。あれれ、ちょっと歳が合わないがまぁいいか。

その後、息子の話や、ゲートボールやパターゴルフの話を聞いた。

シベリア抑留の話と歯を無くした話が3回目になったので、そろそろ行かないと日が暮れるのでと言って出発した。

おじいちゃん、長生きしてねと思いながら。

 

美瑛の丘を2つ3つ越えて北富良野のキャンプ場に着いた。キャンプ場は3連休でけっこう混んでいたが、ちょっと坂を上ればサイトは空いているのだ。

フラヌイ温泉で温まったらスーパーで買い物を済ませてキャンプ場に戻った。大学生の団体が隣のバーベキュー場で大騒ぎしているので仕方あるまい、飲むか。

明日はフェリーで北海道を出るので残っていた野菜をすべて食べてから北海道牛の焼き肉を食べた。焼き肉を食べていると家から電話だ。

何事かと思ったらプリンターのインクがなくなったとのことだった。インクカートリッジの換え方を電話でサポートするのは難しかった。

こっちは酔っぱらっているし、向こうはカートリッジに触るのも初めてなのだ。どうにか交換が完了したのでゆっくりとご飯の続きだ。

10時になって大学生も静かになったのでそろそろ寝よう。いつも8時に寝ていたので今日は夜更かしだな。明日はどうしよう。明日考えよう。

 

今日の走行距離は461kmであった。

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北海道ツーリング2013 6日目 上士幌~帯広~霧多布

2013-09-20 | 

9/20(金) 晴れ

朝ご飯はナスと豚肉の炒め物と味噌汁、朝からおなかいっぱいだ。

上士幌航空公園キャンプ場は綺麗な芝生が嬉しいサイトでとても静かなのだ。

 

今日の目的地は霧多布だ。その前に帯広の六花亭に寄ろう。そろそろ洗濯をしなくては着替える服がない。

ネットで帯広のコインランドリーを探した。見つけたコインランドリーに行ってみたら閉店したのか民家になっていた。

次のコインランドリーを探した。今度はあるだろうか。良かった、そお店はちゃんとあった。

洗濯物を洗濯機に突っ込んで、洗剤を買おうとしたら店内に洗剤の自動販売機がなかった。しまった。

洗剤はいるよな、と思ってコンビニまで買いに行った。

戻ってから洗濯機の使い方を読んでいたら、洗剤は自動で出ます、洗剤を投入しないでくださいと書かれていた。

ガーーン!伊達に700円取っていなかった。硬貨を投入すると大型洗濯機は厳かにまわりだした。

あと45分か、よし、気を取り直して六花亭に行こう。

バイクに乗る支度をしていたらコインランドリーの店主が掃除にやってきた。そして、どうしてここを選んでくれたのかを聞かれた。

ネットで探したことを伝えるとネットに載せてよかったと言っていた。

 

西三条の六花亭に行こうと思っていたのだが、ナビに従っていたら本店に着いてしまった。

本店を訪れるのは3年連続となった。意気揚々として

サクサクパイを食べた。これだよ、これ。

 

コインランドリーに戻る途中、伴ちゃんのオドメーターがぞろ目となった。

66,666km、いい感じだ。

コインランドリーでは、洗濯物がふっくらとできあがっていた。

洗濯物を畳みながら店主と関西からやってきた年配の夫婦と話をした。

六花亭のサクサクパイは美味しいですよ~と激しくお勧めした。

 

帯広から太平洋岸に出て釧路方面を目指した。釧路から厚岸、厚岸から道道123号を走り倒して琵琶瀬までやってきた。ここまでくればもう少しだ。

 

今日の宿泊地は霧多布岬キャンプ場だ。最近は少なくなった無料のキャンプ場だ。

岬の岸壁上にあるので強い風がずっと吹いている。テントポールが折れないよう気をつけてテントを組み立てた。

風も強いし、時間も遅めだったので夕食は外食にすることにした。

飯の前には温泉だ。温泉に向かう西の空は赤く染まっていた。

温泉施設、ゆうゆにやってきた。玄関に等身大?の不二子ちゃんの立て看板があった。

ここ浜中はモンキーパンチの出身地で、ルパン三世などに関するものがいろいろなところにあるのだ。

バスもこのとおりだ。

 

街に出たが、どこへいったら良いのだろう。定食の文字が目に飛び込んできたので入ってみることにした。

そこはなんでもある寿司屋ひらのであった。おすすめらしい海鮮丼をたのんだ。

どうだ!と言わんばかりのこの盛り様。特に旬のさんまが美味しかった。

 

キャンプ場に戻るとまだ風が吹いていた。若い人の集団が焚き火をしていて危ないなと思った。

テントの中で明日のルートを考えていたら、主のようなおじさんが焚き火を注意していた。

こう言うおじさんは貴重な存在だ。

 

今日の走行距離は289kmであった。

 

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