風になれたら

SUZUKI Bandit1250Sに乗って風になり
中島みゆきや渡辺美里を聴いて風になり
山を歩いて風になる

南房総一人旅

2013-01-14 | 

1/12(土) 晴れ

朝、起きてみたものの外はまだ寒そうだった。もうちょっと暖かくなってから出かけよう。

9時過ぎ、暖かくなってきたので支度をして出発だ。気温は4℃、許容範囲だね。

今日のルート、行ったことのない水郷の街佐原で伊能忠敬記念館に寄って、房総半島をさきっぽの街銚子から南下しようと思っていたのだけれど、時間が短くなったのでショートカットで南房総にしよう。

どこで海に出よう。九十九里だな。湾岸、京葉、千葉東金道路経由で外房を目指した。

 

ちょっと降りるICを間違えてしまい、山武成東ICで降りた。

山武の街を走っていると伊藤左千夫生家ありの看板があった。伊藤左千夫と言えば野菊の墓が有名だ。

最近、錦糸町駅の南口に伊藤左千夫の家があったことを知り、ちょっと気になっていた。

彼は錦糸町駅前で牛を飼い、牛乳を絞っていたのだ。もちろん、昔の話だ。

海岸へ向かって走っていると伊藤左千夫の生家があったので、Uターンして寄ってみた。

横には民族資料館があり、2階に伊藤左千夫の資料が展示されていた。

これが生家で200年前の農家の造りだ。

冬は寒かったことだろう。しかしながら、こんな縁側でお茶を飲んだらゆっくりできそうだ。

後年作ったお茶室もある。

この写真の左隅の真ん中に野菊の墓に主演した松田聖子が1981年に植樹したアララギが写っている。

 

海に出て片貝漁港を過ぎて県道30号に入るとイワシ料理の店が立ち並んでいた。

もうすぐ、お昼なのでその一軒、「まるに」と言う店に入った。

「いらっしゃいませ!」と元気な声で迎えられる。いい感じだ。

イワシ、アジ、ハマグリと美味しそうなメニューが沢山あって迷ってしまう。

蛤焼き定食を頼んだ。たまらずノンアルコールビールも頼んでしまった。

そして鰯の天ぷらだ。

ハマグリを自分で焼いて食べる。どうです、この色。

お腹がいっぱいになったら、あとはのんびりと走るのみ。

 

しかし、さっきのノンアルコールビールが効いてトイレに行きたくなってしまった。

コンビニでトイレ休憩。大人は黙って出る訳にいかない。デザートじゃ。

食べ終わって、出発の準備をしていると綺麗なお姉さんが「バイクって寒いですよね」と微笑んできたじゃないか。

「寒いですよ」と気の利かない返事をしたら再び「バイクって寒いですよね」って微笑むものだから。

「ほんとに寒いですよ」と答えると、「元気ですよね」って言われてしまった。うーむ、どう取ればいいのであろう。

 

そして、サーファーが浮かぶ太平洋を左に見ながらのんびりと走っていく。

フラワーライン沿いには小さな港が点在する。そのひとつ、千倉港にバイクを停めた。

漁のある日は活気に満ちていることだろう。

ちくら・潮風王国でお土産を物色した。

お土産は背黒鰯のごま漬けに決まった。陽が傾いてきた、先に進もう。

 

野島崎灯台を望む。沖には東京湾に向かう巨大タンカーが何艘も見えた。

国道410号から県道257須崎方面に向かった。ちょっと道がくねくねしたものだから、アクセルを空けていい気になっていたら、先の道路に砂が堆積していた。

アクセルを戻し、ニーグリップを強くし滑らないようにした。と、バラバラと砂が強風と共に海岸から打ち付ける。ヒャー、前輪と後輪が流される。ヒャー。

その後も砂塵と砂の道に耐えながら進んでいく。うーむ。厳しい道だ。ゆっくり走ればいいんだけど。

 

沿道には菜の花が咲いていた。ここはゴルフ場も南国気分だ。

 

館山で日が暮れた。凄いスピードでウインドサーフィンが走っていく。

 

強い潮風に晒されて全身ベトベトしてきた。。明日、伴ちゃんを洗車してあげよう。

やっぱり富士山が好き。

アクアラインを抜けると川崎の街は渋滞していた。のんびりしたので渋滞も気にならなくなった。

正月明けの仕事で心身疲れていたのが嘘のように晴れやかになった。

 

最近、娘が中島みゆきを歌ったり、16になったらバイクの免許を取って北海道に行くと言い出した。

なんで?と聞くと楽しそうだからとのことだ。免許取得のお金は自分で貯めてね、と言ったので16では無理だろう。

 

 今日の走行距離は333km、伴ちゃんのオドメーターは60,147kmになった。

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今年の走り始めは伊豆から

2013-01-06 | 

1/4(金) 晴れ

まだ明けきらない空を眺めながら朝の6時半に家を出た。気温は1.5°C、かなり寒い。

7時に待ち合わせの港北PAに到着した。待っている間に飲んだ缶コーヒー、空になったらあっという間に冷たくなった。

今日は同僚のSさんと伊豆へツーリングだ。最初、伊豆を一周しようかと思っていたのだが、あまりにも寒いので西伊豆だけに向かうことにした。

厚木のあたりで氷点下に突入、おいおい大丈夫かな。足柄SAで休憩したが、SAの入り口は凍結防止剤が撒かれているものの、ところどころ明らかに凍結していた。

Sさんは朝ご飯を食べていなかったとのことなので、ラーメンを食べ、僕はコーヒーで体を温めた。

 

沼津から海沿いのK17を走っていく。海と富士山を眺めながら走れるなんて、素晴らしい道路だ。景色を楽しみながらも気が付けばエンジンの回転数が上がっていく。

いくつかあるビューポイントの中、煌めきの丘で停車した。伴ちゃんとSさんのVFR、後ろには富士山、最高だ。

駿河湾越しに南アルプス、最高だ。

 

戸田の三叉路で休憩した。ここまでに2杯のコーヒーを飲んだのだけれど、トイレに行きたくなってしまったので、ここはおしるこで決まりだ。

11時をちょっと回ったので、今日のお昼ご飯の場所を決めた。松崎にあるさくらだ。伊豆の食事はこあじの伊豆観光ツーリングガイドを参考にすることが多い。

 

さくらはけっこう混んでいて30分ぐらい待った。

観光地ではそこの美味いものを食べるのがいいのだ。トコブシの煮付けがあったのでお願いした。応えられない歯ごたえだ。これで2,100円。

酒酒、と頭の中で呟きながらメニューでノンアルコールビールを探したが、どうやらないようだ。シッタカもあったので、お酒が飲める人は是非一緒にオーダーしてみよう。

そして、アジのマゴ茶漬け、小さなお釜で炊かれたご飯を丼に入れ、ニンニク醤油をまぶしたアジのタタキを載せて食べる。いや、喰らうと言った方がいいだろう。

生姜とニンニクの香りが良い。

食べ終わったら同じように丼を作って出汁をかけてもらう。これも喰らう感じだ。

味はニンニク醤油で調整する。出汁の味を楽しむようニンニク醤油を足さなくてもいいだろう。

定食なので、わかめサラダ、タマネギとアシタバの天ぷら、長芋の小鉢、漬け物が付いている。これでお腹いっぱいなのだが、食事をした人は5種類のトコロテンが食べ放題なのだ。僕はコーヒー味のトコロテンをデザート代わりに食べた。

あん蜜をかけ忘れたので、かなり渋目のデザートとなってしまった。

 

気が付けば時間はすでに2時20分、陽が落ちる前に高速に乗りたいところだ。

再びR136、K17を走って沼津へ向かった。

戸田湾越しに富士を望む。富士の曲線は絶妙だ。

この後、K18を駆け上がり、K127、R414経由で東名高速に向かった。

 

東名高速は寒さと渋滞35kmで、久しぶりのツーリングであったSさんは大変だったと思うが、トラブルもなく無事帰宅することができた。

伊豆に来る回数をちょっと増やしたくなるツーリングであった。

 

今日の走行距離は398km、伴ちゃんのオドメーターは59,780kmとなった。

 

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木曾へ、秋から冬へ

2012-11-04 | 

11/3(土) 快晴

セットしたアラームが鳴る直前に目覚めた。昨夜、風邪を引いたような感じがして早めに寝て正解だった。風邪の症状はなくなっていた。

首都高の永福から中央自動車道の藤野PAを目指した。今日は久しぶりにごんさんコウタロウさんとツーリングだ。3人でのツーリングは春の伊豆以来だ。

中央自動車道はかなり混んでいて、三鷹料金所手前からすでに渋滞が始まっていた。ガーン!約束の時間に着くのは難しいかもしれない。

それなりに走っていると後ろからヘッドライトが近づいてきたので透かさず道を譲ると赤いバイクがすっと横に付けた。

赤いヘルメットそして黒と白のジャケット、ごんさんであった。ごんさんは先に行ってしまったので、それなりに走って藤野PAには5分程遅れて到着した。

すでにコウタロウさんは到着して朝ご飯を食べていた。

西へ向かっていると空から雲が消え快晴となった。しかし寒い、気温は10度以下で風が冷たい。家を出る時、フリースを着ようか迷ったのだが、来てくれば良かったかもしれない。冬の始まりはこうした後悔で知るのだ。

次の休憩ポイントは八ヶ岳PAだ。秋の空は澱みがない。

伊那ICで降りて給油したらR361で木曾へ向かう。R19からK20経由で御嶽山を目指す。

山の上から里へ冬が降りて来ようとしている。

木曾御嶽山は信仰の山であるから麓には霊場が多い。大きな石柱や紅葉の木々の中を抜けて標高を上げていく。

すでに降った雪によって日陰の路面が凍結しているところもあった。ツルツルだ。

少し下るとまた秋の景色になった。

明らかに獣の落とし物と思われる。

開田高原に出て昼食だ。高原食堂と言う蕎麦屋に入った。2人で切り盛りしているので人が多い行楽の時季は大変そうだ。

時間のない人は避けた方がいいかもしれない。時間があったので、3人で近況を話しあった。

ちょっと寒かったのでカツ丼にしようかと少し迷ったのだが、やはり蕎麦を頼むことにした。並はざる2枚だ。

コウタロウさんがつまんでいるのは日本酒ではないのでご安心を。

ちょっと歯ごたえがあって粒子が丁度いい舌触りの麺であった。

後から入ってきた人にお店の人がごはんは売り切れですと言っていた。我々が店を出る時、蕎麦も売り切れとなっていた。

R361で高山市に入ったらすぐに左折してK463へ入る。いい感じでうねった道が続く。鈴蘭高原へ向かうためK435へ入った。

しばらく行ったチャオ御岳スノーリゾート入り口付近はアイスバーンとなっていた。

どうしようか、向こうからやってきたバイクに向かって通れますかぁ!と叫んだらわざわざ停まってくれた。

道は通れるもののシャーベット状の箇所もあると教えてくれた。1人だったら絶対行かないだろう。とても走りを楽しめる状況ではないため、引き返すことになった。

白くなった木々はとても美しかった。

もうダメ。冬用グローブの中で手がかじかむ。気温は0度だ。

R361の旧道を通ったが枯れ葉と車が多かった。ちょっと走り足りないので伊那から高遠へ抜けてR152の杖突峠を越えることにした。

暗くなると視力が落ちて戦力ダウンしてしまう。前に誰か走っていないとまともに走れない。

諏訪と茅野の夜景を男3人で眺めた。さぁ、家族の待つかもしれない家に帰ろう。

ブリヂストンのS20はとても走りやすいタイヤであった。パイロットロード2では山道でスライドすることがたまにあったが、S20では今日走った限り同じようなことはなかった。

ごんさんやコウタロウさんに付いていくのもいつもより楽だった。でも過信は禁物とごんさんは言った。そう、滑るときは滑ってしまうのだ。

 

今日のお土産は定番の信玄餅だ。バイクのシートに乗せることを考えたらでかい箱になった。

 

今日の走行距離は638km、伴ちゃんのオドメーターは59,016kmとなった。

 

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くねくね中毒者、栃木と群馬へ

2012-10-24 | 

10/20(土) 晴れ

朝5:30、静かにエンジンをかけて家を出た。

奥、それは秘密の香りのする言葉。大奥、奥様、奥義。今日の目的地は栃木と群馬のバイクで行ける奥地だ。

走り抜けた奥は奥塩原、湯西川、奥鬼怒、奥日光、奥利根。東北自動車道を北に向かった。

埼玉、栃木と少しづつ風が冷たくなって行く。寒さに備えて冬用のジャケットにインナーを取り付けたので、気温10度ちょっとの高速道路も寒さを感じない。

西那須野塩原ICからR400で日塩もみじラインへ向かう。もみじラインへ入ったが、どうやら紅葉は始まったばかりのようだ。

紅葉最盛期となったもみじラインのため息が出るくらい美しい。以前走ったときの記憶をまだ青い葉っぱに重ねてみた。

まだ開店したばかりの峠の茶屋で玉こんにゃくを食べた。芥子に涙しながらハフハフといただく。

R121で龍王峡から五十里湖へ向かい、K249で湯西川へ向かう。この辺りの紅葉は塩原よりちょっと進んでいた。

温泉街を抜けたら山道だ。ひたすら走る。K23へ出たら右折して川俣湖方面へ向かう。

途中何軒か蕎麦屋があったが、以前立ち寄ったことのある瀬戸合峡にまた寄ってしまった。ここの駐車場はとても入りやすいのだ。

舞茸天ざるを頼んだ。蕎麦は普通に美味いが、舞茸の天ぷらはこれでもかと言うくらいサクサクなので楽しくなった。

川俣温泉から奥鬼怒林道に入った。ここも素晴らしい山道が続く。紅葉は真っ盛りだった。

こんな道を走っていると脳みそが溶けそうだ。

びばびばのんのん。

当然車も多いので対向車には要注意だ。道は狭くセンター寄りを走る車も少なくない。

林道を抜けたら奥日光だ。湯の湖畔は真っ赤な紅葉と水面のコントラストが素晴らしかったが観光客が多かったので停車せず先へ進んだ。

たまには休もう。湯の湖と男体山を望む。

R120は混んでいて眠くなってきたのでR401とK63で奥利根方面に向かった。

尾瀬に向かうこの道は対向車が多かった。紅葉も真っ盛りであった。

水上から関越自動車道で家路についた。山道を走りきった身体は少し重いが、この感じが良いのだ。

最低気温が8度になると紅葉が始まると言う。今年の紅葉はまだまだこれからだ。

今日の走行距離は596km、伴ちゃんのオドメーターは58,284kmとなった。

 

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群馬と長野の高原へ 2012秋

2012-10-21 | 

赤や黄色に染まった山の中を駆け抜ける季節がやってきた。

最近急に涼しくなった。あんなに暑かった夏を忘れてしまいそうだ。

10/14(日)午前5:45、薄手のフリースに冬用ジャケットを羽織って関越自動車道へ向かった。

群馬県に入ると体感気温がぐっと下がった。赤城高原SAで冬用のグローブに嵌め直した。

昭和ICで降りてR145で中之条方面へ向かった。中之条からR353で四万方面へ曲がり、沢渡からK55へ入った。

先月釣りをした川を眺めながら暮坂峠まで一気に走った。

草津で給油してR292で志賀高原に向かった。渋峠から芳ゲ平を望む。箱庭のようなこの景色が好きだ。

横手山を過ぎて宝石が散りばめられたような山肌を眺める。ここもお気に入りのポイントだ。

夏に寄った田ノ原湿原を再び訪れた。すすきが広がる斜面があった。

蓮池の縁を歩いてみた。

四季があるっていうのは素晴らしい。

こうやって毎年楽しめるのだから。

標高の高いこのあたりはすぐに冬が訪れることだろう。

中野に向かう途中にあった澗満滝、若山牧水も眺めたと言う落差107mの滝だ。

駐車場から滝を眺める高台に向かう途中に炭窯があって、アリアを聴きながら炭焼きの仕事をするおじさんがいた。シュールだ。

戦後、炭焼きはすっかり観光の為のものとなったとのことだ。

道の駅やまのうちで休憩した。綺麗な林檎が売られていたので思わず買ってしまった。

 

残念なことに箱に蓋がなかったので、着ていたフリースで包んでシートに固定した。

おかげでちょっと寒くなった。

R292からK29を経て千曲川を越え蟹沢トンネルを抜けて右に向かえば北信五岳道路だ。

北信五岳道路は稲が刈り取られた田んぼや林檎畑の中を走る快適道路だ。

戸隠へは信濃町からK36で向かうのが僕の好みだ。緑深い森の中を抜けて行く。

戸隠で以前訪れたことのある蕎麦屋、極楽坊へ。今日もそこそこ混んでいた。

ジャズの流れる店内。ゆっくりとした時間が流れている。

野菜天ざるを頼んだ。細めの麺、氷水で良く締められている。口に入れるとその舌触りはとても滑らかで笑みが溢れそうだ。

そして、野菜の天ぷら。ちょっと固めなのは生から丁度抜けたタイミングで野菜の風味を味わえるようにしているのだろうか。

野菜本来の味を楽しんだ。お代わりのつゆが付いているのも嬉しい。濃厚なだしを蕎麦つゆで飲み干した。

また来たくなる味だ。できればビールを飲みながら。

戸隠の山々ももうすぐ冬を迎えることだろう。

戸隠からK36で鬼無里と小川の村を抜けK12で麻績へ向かう。

小川にある高山寺に寄ってみた。街道沿いに見える三重塔、前から気になっていた。存在感のがある。300年以上前の建造だ。

そして鐘楼門、鐘楼と門が一体となっているのだ。

おまけに上に登って鐘を突けるのだ。

気持ちを落ち着かせ祈りを込めて鐘を突くようにと書かれていた。

咄嗟に思いついたのは家族の健康と世界平和。つくづく幸せな奴だ。厳かに鐘の音が空気を揺らした。

右手にはいつも飛騨山脈の山々を望む。

麻績ICから長野自動車道に入った。中央自動車道で日が暮れた。日が暮れると急に寒くなったので林檎に着せていたフリースを剥いだ。

持っていたビニールテープでぐるぐる巻きにした。

友人が渋滞を避けるため大月ICから甲州街道で帰ったと言う話を思い出して真似してみた。

家まで3時間半、思っていたより混んでいた為、きつい帰り道となってしまった。

今日の走行距離は659km、伴ちゃんのオドメーターは57,688kmとなった。

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禁漁目前の群馬の渓流で遊ぶ

2012-09-23 | 

9/22(土) 曇時々雨や晴れ

午後、平になったタイヤをチェックする。

いた、こいつだ。9600kmを走行したパイロットロード2、あと2,000~3,000km行けそうなので修理しよう。

抜いてみるとちっちゃ。高速道路走行中に抜けなくて良かった。少しづつ抜ける空気で家に帰ってきたのだ。

パンク修理キットを使おうとすると、ラバーセメントが空となっていた。揮発性がめちゃくちゃ高いのだろう。いい勉強になった。

近所の万屋に同等品を買いに行った。ラバーセメントを日本語にするとゴムのり。

自転車用だけど大丈夫だろう。だろう。だろう。

うーん、汚い?途中の作業は前回のようすを参照してね。

自転車用の空気入れをポンピングすること200回、汗だくだ。

 

ここからが本題だ。9月半ばの3連休、渓魚を求めて群馬に向かった。

9/15(土)起きるとすでに7時、高速道路の情報を見ると長い渋滞となっていた。うーむ。

支度をして家を出たのが9時、どうせ渋滞ならと一般道で行くことにした。これがかなり過酷であった。

渋滞と暑さ、そして雨にも会ってもうたまらない、と川越から高速に乗った。すでに家を出て3時間!

高速は花園まで混んでいた。でも一般道よりらくちんだ。お金払ってるからね。

上信越道の松井田妙義で降りて横川駅に向かった。

峠の釜めしで有名なおぎのやの本店だ。ここは一度寄ってみたかった。

かき揚げ付きざるそば(600円)を食べた。自家製麺だという。いけるな。

やっぱりこれも食べておこう。固いですよ、と言われた。

峠の釜アイス(525円)だ。これは記念食だな。

本店の向かいに記念館があった。駅弁を食べる旅に出てみたいなと思わせる雰囲気がここにはある。

国道18号線を軽井沢方面に走っていると現れる碓氷第三橋梁、120年ぐらい前の建造物だ。

現在遊歩道が整備され、橋の上やトンネルの中を歩ける。

橋脚のレンガにおびただしい落書きが彫られていた。おこちゃまが多いのだろう。

汚いバイク旅に似合わない軽井沢の街を抜け、嬬恋のパラギ湖に向かった。テントを張ってとなりの温泉施設に行ってすっきりとした。

となりで団体が大騒ぎしていたが、寝不足で疲れていたのでビールを飲んで早々と眠りについた。

と、女の嬌声で目が覚めた。時刻は2時、まだとなりで騒いでいた。

 

そんなおこちゃま達がまだ寝ている午前5時、もそっとテントを抜け出しひんやりとした空気を楽しむ。

アンパンと牛乳の朝ご飯を食べたら近くの湯尻川へ向かった。支度を済ませ釣り上がっていくが、魚の気配はない。

渋い、渋すぎる。もういいや、と見切りを付けて野生のイワナが棲むであろう大横川へ向かった。

嬬恋と言えば高原キャベツだ。

キャベツの出荷のためのトラックが行き交うすぐ脇にその川はある。上流部にテンカラの釣り師がいたのでその下流に入った。

思いのほか魚影は濃い。2匹をバラした。かなり下手くそだ。

お昼は北軽井沢の山の中で唐揚げ定食を食べた。うーん、この店は箱も中身もほんとに惜しい。

その後吾妻川本流でちょっと竿を振ってみた。大きめの魚がヒットしたがまたしてもバラしてしまった。

どうも魚がジャンプするとバレてしまうようだ。

今日はキャンプ場に早めに帰った。これは道向かいの有名なキャンプ場で、密集したテントに子供の声が響き渡っていた。

こちらがパラギ湖畔のキャンプ場。値段は1,000円と向かいの半分以下だ。

今日はまた違う団体がいて、大声で下手な歌を歌って参った。隣には柄と口の悪い若者グループもいてこれまた参った。

そんな環境でもこれがあれば幸せだ。このクーラーボックスは氷水を入れて冷やせる優れものなのだ。

やっぱりキャンプは虫やおこちゃまがいない季節がいい。

 

次の日、5時に起きてテントを畳み、中之条の上沢渡川に向かった。途中雨に降られたが沢渡温泉に着く頃には止んでくれた。

暮坂峠に向かう県道55号は好きな道のひとつだ。今まで何度かこの道を走り、平行する渓流にいつか来ようと思っていたのだ。

上流にほどんど集落がないため、清らかな水が流れる。

入溪しやすい川なのでかなり渋い釣りとなった。そこそこのヤマメとちびイワナをつり上げたが、大場所ではまったく反応がなかった。

途中で蛇の沢という支流に入ってみた。名前の通り、蛇にも出会った。ダンプカーぐらいの大岩がごろごろしていた。そんな渓にもイワナが逞しく棲んでいた。

上沢渡川に戻って釣りを続けた。浅瀬にあった大石の横にルアーを流したとき、大きな魚がルアーを追いかけてきた。

細心の注意を払い、もう一度ルアーを泳がせるとめでたくヒットした。バラさないよう気をつけて取り込む。釣れないだろうとネットを置いてきてしまったことを後悔するような大物だった。

暴れたのでルアーのフックが小指に刺さって血がでた。ちょっと慌ててしまったようだ。

40cmのイワナ、今までの最高記録だろう。もっと大きくなるのだよと願いながらリリースした。

この地域は科学的根拠のない御達しにより、釣った魚を持ち帰る人はいないので、たぶん大きくなってくれるだろう。

のんびりと渓流釣りを楽しめる川だった。県道に上がり、てくてく歩いてバイクまで戻った。

 

沢渡温泉の共同湯で汗を流した。地元の人に愛されるいいお湯であった。そのあと食堂でそばを食べた。そばは自家製粉で香り高かった。

さっぱりしてバイクに戻った。バイクを押すときちょっと重いと思った、走り出してみたらやっぱり変だ。

暮坂峠と渋峠を経て帰ろうと思ったのだが、不安を感じて急いで停まってタイヤを見ると見事に空気が抜けていた。

Uターンして最寄りのスタンドに駆け込んだ。タイヤのどこから空気が漏れているのかちょっとわからなかったので、ちょっと多めに空気を入れた。

すぐに空気は漏らないが、これで峠道に向かうのは危険なのでゆっくりと家に帰ることにした。高速に不安はあったが無理をしないようにしよう。

すり抜けに飽きたので高速のSAで渋滞の解消を1時間程待った。SAで空気を補充したとき、空気圧は300kPaから150kPaになっていた。

思いのほか漏れが早いようだが、ここまで3時間、家まであと2時間なので、ここで空気を入れればたぶん大丈夫だろう。

タイヤは保ったが家まで2kmのところで、ゲリラ豪雨に見舞われ撃沈した。残念!

 

2泊3日で走行距離は555km、伴ちゃんのオドメーターは56,940kmとなった。

 

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ノルウェーの旅 6日目 コペンハーゲンの街をぶらぶら

2012-09-15 | 

もう日本に帰る日になってしまった。飛行機の出発時刻は10:05で、7:30のバスに乗らなければいけない。

支度を済ませて7:00にチェックアウトした。ロビーに降りると何やら美味しい匂いがした。

部屋に置いてあったホテルのしおりにはその日朝ご飯は8:00からと書いてあったが、7:00でも食べられたのだ。

昨日確かめておくべきであった。うーむ、妻と娘をレストランに残しバスのチケットを買うためにバス停に向かった。今日は朝飯は抜きだな。

バスが発車する少し前に妻と娘が到着した。何と娘がサンドウィッチを作って持ってきてくれた。やるじゃないか。ありがとう。

ベルゲンの空港に着いて免税店を覗いていると大きなチュッパチャップスがあった。

キティちゃんも頑張っている。

飛行機が離陸し、いくつものフィヨルドや湖を越えた。ノルウェーよ、また来るぜよ。と心の中で呟いた。

1時間半ほどでコペンハーゲン空港に到着した。乗り継ぎ便の出発まで4時間20分あった。

昨日の昼までは空港のバーでのんびりビールだなと思っていたのだが、空港から街まで10数分だと昨晩知ってしまった。

出発1時間前に空港に帰ってくれば行ける、3時間15分でコペンハーゲン観光という欲張りな予定をたてた。

そして空港から地下鉄で市の中心部に向かった。駅にはまたしても改札がない。駅員もいない。券売機の前であーだこーだとやってどうにかチケットを購入した。

コンゲンス・ニュートーと言う駅で下車した。長いエスカレーターに乗っているとギターを抱えた酔っぱらいが歌っていた。

するとその酔っぱらいが近寄ってきて一緒に歌を歌えと言う。かなり酒臭い。仕方ないので彼について歌った。結婚式の歌と言っていた。

地上に出ると香川はグレートだと言って去っていった。地下鉄の出口を出るとまさにヨーロッパだった。

アンデルセンが住んでいたと言うニューハウンへ向かった。300年の歴史を持つ水路だ。

観光客がいっぱいだ。こう言うテラスでビールを飲みたいのだ。

人が適当に入っていて、美味しそうな店を選んでランチだ。今回の旅行で一番美味しかった。黒ビールも飲めたし。

ロブスターもパスタも美味しかったとのことだ。

混んでいたからか料理が出てくるまでかなり時間がかかってしまった。おかげでゆっくりできたが、これが後で恥ずかしいことに繋がるのだ。

海沿いを人魚姫まで歩くことにした。いい感じのレンガ造りのホテルだ。

アマリエンボー宮殿の向こうに見えるフレデリック教会。

人魚姫の像。

個人的には辰子姫の方がすき。

人魚姫の像を見たら急いで空港に向かうのだ。急いでいてもゲフィオンの泉やアマリエンボー宮殿の衛兵など見つつ駅に向かった。

人魚姫の像は思っていたよりも遠くにあったので、駅に戻ったのが14:40だった。自動運転の電車で空港に向かっていると、途中の駅で鉄道員と警備員が乗ってきた。

抜き打ちで乗車券のチェックを行うのだ。妻は時間がないから無賃乗車でもいいだろうと思っていたようだが、罰金は10,000円以上なので賢明ではない選択だ。

回数券に刻印していなかった南アジア系の旅行者が捕まりそうになったが、地元の人らしき人が突然遅疑の駅で降りろ!と叫んだ。そうすればいいらしい。

空港に着いたのが15:00だった。セーフかと思ったがセキュリティーチェックに時間がかかってしまい、ゲートが閉まる直前に搭乗の最終案内です、と名前を呼ばれてしまった。

ゲートのすぐ近くまで辿り着いていたので、どうにか間に合った。乗り遅れたらチケット代のために旅費が倍増するところであった。

隣のシートの男はマナーが全くなっていなかった。完全に酔っぱらいであった。

どうも今回の旅は酔っぱらいと縁があったようだ。えーい、今度は俺が酔っぱらいだ。たぶん、人里離れたところで。

また、みんなで海外旅行ができるようせっせと働こう。

 

 

 

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ノルウェーの旅 5日目 ベルゲンの街をぶらぶら

2012-09-10 | 

朝起きると雨が降っていた。これでは山に登ることはできない。ゆっくりと朝ご飯を食べた。

朝ご飯はバイキングで、パン、チーズ、ハム、卵料理などがメインだが、さすがノルウェー、スモークサーモンやニシンの酢漬けなどがあった。

フルーツやヨーグルトも食べてお腹いっぱいだ。毎朝いっぱい食べるので、お昼は軽めが多かった。

小雨になったので、ハンザ博物館に行った。ここは見ておきたかった場所だ。

ホテルから2ブロック、ベルゲンの街はこじんまりとしている。手前の黄色い四角の建物と、隣の茶色い三角屋根の建物がハンザ博物館だ。

300年程前の商館をそのまま残してあるのだという。ロビーからドアを開けて隣の部屋に入るとタイムスリップしたようだ。

当時の主力輸出品であった鱈の油を搾る道具などが並んでいた。日本で昔の農具を見るような感じに似ている。

干し鱈を運ぶ荷車。

すり減った階段を昇ると2階は事務所兼住居となっていた。黒光りする床や壁。

家族や仕える人の絵だろうか。好きなアイドルじゃなさそうだ。

右の棚はなんとベッドだ。寒いので扉付きだと言うが、ちょっと狭すぎないか。おまけに2人で寝ていたと言う。

古の人の暮らしを想う。

ハンザ博物館を後にしてベルゲンの街を歩いた。ヨーロッパの街とキリスト教は密接に結びついているようだ。

どの街でも大聖堂や教会を見かけた。

ベルゲンの街が描かれたマンホールの蓋。

ウインドショッピングをしたりスーパーマーケットに行ったりした後、イタリア人のレストランでパスタやピザを食べた。もちろんハンザビールも。

またまた、おなかがいっぱいになってホテルに戻ったら寝てしまった。

寝ている間に激しい雨が降って、向かいの建物の屋根から滝のように水が流れていたそうだ。

夜はスーパーで買ったパンやクラッカーで軽い食事をホテルで食べた。あとご当地のビールも。

左がオスロのリングネス、右がベルゲンのハンザ。

今日はフロイエン山に登ることができなかったが、ゆっくりと過ごした一日であった。

明日はベルゲンを発ち、コペンハーゲン経由で成田へ向かう。

 

 

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ノルウェーの旅 4日目 ベルゲンの街をぶらぶら

2012-09-09 | 

朝起きると曇であったが、朝ご飯を食べているうちに晴れ間が広がった。

さっそく世界遺産ブリッゲンに行った。ここは1360年、ハンザ同盟のオフィスが置かれて以来の歴史がある地区だ。

今は土産物屋やギャラリーなどが入っているが、以前は倉庫として使われていて、ノルウェーからの魚、ヨーロッパからの穀物で満たされていたそうだ。

何度も火事に見舞われ、その度に再建されてきたそうだ。今の建物で一番古いものは1702年築だと言われる。

何本かある通路はこんな感じで、日本の古い街の路地にもどこか似ている気がする。

上階への荷物の積み降ろしはこの滑車を使う。今も現役だ。

2階へ登ってみた。普通にオフィスとして建物が使われていた。

土産物屋などを見て回り、港にあるフィッシュマーケットに行ってみた。

瓶詰めや缶詰の店、ボイルしたエビやカニが並ぶ。

ムール貝のカレースープ煮、試食してみたら美味しかったので一盛り食べた。ムール貝の横の鍋はパエリアだったが、作り始めたばかりなので試せなかった。

売り子の兄さんはメキシコ人のようであった。他の店の売り子もメキシコ人やアジア人が多いようだった。

フィッシュマーケットをあとにして、ベルゲン駅の周辺に行ってみた。これはノルウェーの伝統衣装のようだ。

街の中央にある公園は大きな池があって市民の憩いの場となっていた。公園に置かれたスラックラインと言うスポーツの台。様は綱渡りだ。

娘は渡りきるまで何度も挑戦した。やっていたこの2人が僕にもやれと言ったのでやってみたが、これはかなり難しい。

この2人は酔っ払いで、かなり酒臭かった。中国人かと聞かれたので日本人だと答えると俺はスシシェフだと言っていた。

白いTシャツの人は服に血が付いていた。酔っぱらってこのスポーツはまずいだろ。

その後、妻と娘がホテルに戻ったが、まだ歩き足りないので街の中をぶらぶらした。

お腹が空いたので再びフィッシュマーケットに戻って軽食を食べた。エビとサーモンの盛り合わせ(80NOK)とハンザビールライト(50NOK)、1900円ぐらい!

ビールはライトしかなく、アルコール分2%、なめとんのかぁ!どこでもビールが買えて、どこでもビールが飲める日本は幸せな国だ。

でもこんな景色を見ながらだから許してあげよう。

ノルウェーで見かけるアイスはこれがほとんどだった。その名はDiplom-Is、車を見つけてラッキー!

これはマクドナルド、どぎつさがないのだ。

上海 - 神戸と言う名のレストランを発見、中華料理と日本食だろうか。バンコク - ムンバイ、てな感じか。 

夕食はフィッシュマーケット近くの軽食店で。手前はフィッシュケーキで半片みたいなものだ。

おなかがいっぱいになった。今日は天気が良いので街を見下ろすフロイエン山に向かうことにした。

手前がフィッシュマーケット、大きな建物は商業施設で1階はレストランが軒を連ねる。山肌に見えるのは住宅だ。

フロイエン山の頂上に向かうケーブルカーの駅。観光客がいっぱいだ。

夕暮れまでまだ時間があったので、歩いて登ることにする。

詳細な地図はないので、適当に上を目指して歩いていく。あっ、これは行き止まりの路地だ。

ケーブルカーの脇を通る場所もある。

娘が乗客に手を振るとみんなが手を振り返してくれた。

このあと、道は砂利道となりくねくねと坂道を登って行った。約1時間で標高320メートルの山頂に着いた。

山頂の見晴し台からベルゲンの港を見下ろした。

太陽がゆっくりと沈んでいった。

暗くなる前に山を下りよう。北欧の妖精トロル、暗くなったら森に入らないように昔話が作られたのではないかと思われる。

以前よりも愛嬌のある顔に描かれているようだ。

やっと半分程降りてきた。夜景も美しい。

 ホテルに戻り、明日また山に登ろうと話した。山の上にはトレッキングのコースが何本かあるのだ。

 

 

 

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ノルウェーの旅 3日目 フィヨルド観光しながらベルゲンへ

2012-09-08 | 

今日はノルウェー旅行のハイライト、フィヨルド観光だ。

13時間かけて電車、山岳鉄道、フェリー、バス、電車でオスロからベルゲンへ向かう。

朝8時、オスロ中央駅へ向かった。これは各駅停車の電車。

この特急に乗って出発だ。定刻より15分ぐらい遅れて出発した。特にアナウンスはない。やはり日本の鉄道は凄すぎる。

オスロの街を抜けると牧歌的な風景や森が続く。

お昼ご飯は朝ホテルで作ったサンドウィッチ、これは車内の食堂車のアイスのサンドウィッチ。何てことないものだが、旅気分は盛り上がる。

森を抜け、湖を抜け、列車は山の中に入っていく。すっかり気分は世界の車窓からだ。あー、窓開けたい。バイク乗りの性だろうか。

標高が上がって周りの山に雪や氷河が見えてきた。ノルウェーの鉄道で最高地点を通るらしい。

ある駅で停車中、雪かきの車だと思う。

オスロから4時間半、ミュルダール駅に到着した。ここで峡谷を走るフラム鉄道に乗り換える。特急は我々を降ろしてベルゲンに向かった。

列車が到着すると我先に乗り込もうとする団体旅行の中国人に圧倒された。乗客の3/2以上はアジアからの旅行者のようだった。

氷河に削られた急峻な山、そこから流れ落ちる滝を見ながら列車は下っていく。よくこんなところに鉄道を走らせちゃったものだ。

トンネルの中で列車が止まった。アナウンスはないが、ヒョース滝に着いたようだったので外に出た。

これがかの踊る女性か。サービスで音楽とともに女性が現れるのだが、そればかりに注目してしまい滝をあまり見なかった。木を見て森を見ずとはこのことだ。

このような谷間の村で何をして暮らしているのだろう。牧畜と観光だろうか。

30分ちょっとでフラムの駅に到着した。フラムはフィヨルドの一番奥にある町だ。

これが乗って来た山岳鉄道だ。

おっ、豪華な船じゃないか。

と思ったら、こっちだった。

フィヨルドを進む。生憎の天気で冷たい雨が吹き付ける。

こんな滝があっちにもこっちにも。ときどき山肌に家があったが、どうやって暮らしているのだろうか。

家に帰ってから知ったのだが、10年ぐらい前に渡辺美里がNHKの番組で、ノルウェーの山に登る前に泊まった村、ウンドレダールを通過していたのだった。

偶然にも村の写真が撮れていた。こういうことは旅の前に調べておかなければいけない。

くねくねと船はすすむ。アザラシが泳いでいるのも見た。やはりここは海なのだ。

約2時間でグドヴァンゲンに到着した。ここからバスで移動だ。またしてもアジアからの団体客がバスに突進していった。

大丈夫、大丈夫、もう1台あるから。と乗ったバスは30分後の出発だった。ここからヴォスの街まで行くのだが、途中スタルハイムホテルがある旧道を通るのだ。

バスで隣に座った一人旅のおばあさんに話しかけたが無視された。笑いかけても無視された。手強いやつだ。

ホテルからこんなヘアピンの道を下って行く。

これがスタルハイム渓谷だ。大きな滝が右と左にあった。雨降りなのが残念だ。

 

ヴォスの街に着いた。気温は15°Cぐらいで寒いぐらいだ。

各駅停車でフィヨルド沿いをゆっくりと走ってベルゲンの街へ向かう。もうすぐ日が暮れる。

午後9時ちょっと前にベルゲン駅に到着した。アーチの天井、抱き合うカップル、いい感じだ。

ホテルに着くと、妻と娘は疲れたのでもう眠ると言う。おなかも空いていないそうだ。

と言うことで1人でご飯を食べに出かけた。ホテルは世界遺産ブリッゲンの隣だったので、ご飯の前にちょっと寄ってみた。

もう、観光客もまばらで、ほとんとの店が閉まっていて、バーが少し開いてる程度だった。

1人で入れそうなレストランに入ってビールとチーズハンバーガーを頼んだ。満腹だ。

 これで3,000円ぐらい。やっぱりノルウェーの物価は高い。

 

 

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ノルウェーの旅 2日目 オスロの街をぶらぶら

2012-09-06 | 

日本よりもいいレートで両替できるので、昨日オスロ空港で両替した30,000円分のノルウェーのお金。ちなみに1000クローネ紙幣の肖像画はエドヴァルド・ムンクとのことだ。

今日はオスロの街をぶらぶらする予定だ。最初に一番の繁華街であるカール・ヨハンス通りにある大聖堂に行ってみた。

カール・ヨハンス通りは歩行者専用道路となっているが、広い範囲に警察のテープが張られていた。何ヶ所にも渡って血痕が散らばっていた。

傷害事件があったようだ。昨夜ここを通った時は比較的安全だと思ったが、夜の出歩きは気をつけよう。

これが大聖堂。中には巨大なパイプオルガンがあるが、早過ぎてまだ中に入ることはできなかった。

アーケシュフース城に行ってみることにした。市内では自転車を借りることができるが、専用のカードを買う必要があるらしい。

専用のカードで鍵を開けられるのだが、この2人は何をしようとしているのだ?

アーケシュフース城の城壁、攻めるのは難しそうだ。今も軍事施設とのことだ。隣には国防省があった。

城壁をぐるりと回って城内に入った。またまた早過ぎてお城の建物には入ることができない。

それでは次の目的地に向かおう。お城の近くにあった巨大な像、大きな女性と小さな男性、何を表しているのだろう。

オスロ大聖堂に戻り、パイプオルガンや、天井に描かれた絵を眺めた。ゴイス!

歩いてムンク美術館に向かった。南アジア系の人々が住む街を抜けたらもうすぐだ。

どこの車だろう。おもちゃみたいだ。

ムンク美術館に到着した。

ムンクの叫びが書かれたケーキがあったが、しょぼいのでパス。オープンサンドでお昼ご飯にした。

ムンクの絵を見るのは初めてだった。どの絵も引きつける何かがあった。それらの絵を見ただけでノルウェーに来た価値があると思った。

絵を見て外に出ると雨が降っていた。この季節の天気は曇時々晴れ、雨、雷、とめまぐるしく変わるようだ。

中心街に戻るには片道3kmはあるので地下鉄に乗ることにした。地下鉄の入り口はこんな感じの坂道になっている。駅員はいなくて一部に自動改札があった。自動改札はタッチ式のようだ。

券売機があったが、切符は売っていない。タッチ式カードのチャージ用のようだ。我々の他にも乗車券を買おうとして困っている人が何人もいた。

キオスクで乗車券を買えることを思い出し、キオスクで1回乗りの乗車券を購入した。ポイっとチケットをカウンターに投げられた。やはり日本のサービスは素晴らしい。

王宮の近くの駅で降りた。王宮に行こうかと思ったが、ちょっと疲れてしまったのでパスして国立美術館に向かった。

ムンクに影響与えた クリスチャン・クローグの特別展が催されていた。どれも力のある絵で素晴らしかった。特にサバイバルと言うオスロの街でパンを求める人々の絵は素晴らしかった。

そしてムンクのマドンナ、これは家に持って帰りたいぐらいのものだった。他にもピカソ、ゴッホ、モネ、マネとか僕でも知ってる有名な画家の作品もあった。

目抜き通りのカールヨハンス通りを歩いてホテルに向かった。

今日は10kmは歩いただろう。みんな疲れてしまったので、オスロ中央駅にあったインドカレー屋でカレーを、スーパーで飲み物や果物を買ってホテルで食べることにした。

これはマトンのカレー、ビールはベルゲンのハンザ・プレミアム。

明日は特急、山岳鉄道、フェリー、バス、各駅電車を乗り継いでベルゲンへ向かう。

 

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ノルウェーの旅 1日目 オスロへ

2012-09-04 | 

昨年、めでたく勤続20年を迎えた。よく働きましたと言うことで今年の夏2週間の休暇を取得した。家族に、自分に20年分の感謝を込めて海外へ行こう。

行き先はノルウェーだ。なんでノルウェーなのか、自然がいっぱいあるところで暑くないところ、と言うことと、北欧と言う響きで決まった。

部活の合宿や林間学校があるので、娘のスケジュールがなかなか決まらず、1ヶ月前にチケットを取ろうと思ったら、安いチケットを確保できず旅行を延期することにした。

そのおかげで2週間まるまるひとり北海道へ渡り、身体の芯からリフレッシュしてしまった。蚊、ブヨ、ダニに139ヶ所刺された北海道ツーリングの模様はここから。

 

8月下旬、成田からノルウェーに出発した。スカンジナビア航空、聞いただけでワクワクする名前である。

11時間ちょっとでコペンハーゲンに到着した。出発前日からトラブル対応で、家を出る3時間前まで会社で仕事をしていた。まさに窮鼠猫を噛む状態であった。

とにかく間に合ってよかった。徹夜と時差ぼけでクラクラだ。ビールを飲みたいところだが、すぐに乗り換えなのでもう暫く待とう。(ここで飲んでおけばよかった)

オスロ行きの飛行機に乗り換えると日本人の乗客は我々ともう一組のみ。オスロまでは1時間ちょっとで、上がったと思ったらすぐに着陸だ。

オスロに着いて市内へ向かった。オスロ空港駅からは専用の特急が出ているが、安い国鉄にした。キッップの購入は自動券売機のみだが、英語を表示できるのでどうにかチケットを買って列車に乗り込んだ。

入り口には改札もなく駅員もいない。チケットの確認は車内で車掌が行うのだ。

駅を出発すると牧歌的な風景が広がっていた。北海道のようでもあるが、遠くの山が少し険しい感じだ。

車内はノルウェー人らしき人以外に南アジア系の労働者がけっこう乗っていた。出稼ぎだろうか、移住者だろうか。

30分程度でオスロ中央駅に到着した。ターミナルとなるプラットホームが何本もあって、ヨーロッパの駅の雰囲気が漂っていた。

頭に入れておいた地図を頼りに、駅から数分のホテルにチェックインした。3人部屋は予想よりも遥かに広い角部屋であった。

ホテルの窓から外を眺めた。周りはオフィスビルが多いようだ。夜8時をまわったのにこの明るさだ。

この辺りは海のすぐ近くだからなのか地盤が柔らかいらしく、路線バスが通る度に部屋が揺れた。

シャワーを浴びてすっきりする。家を出てから20時間近い。妻と娘は疲れてしまい、お腹も空いていないとのことなので1人で食べ物を買いにでかけた。

アメリカのバーガーキングでワッパーチーズを買った。噂に聞いていたノルウェーの物価高、25%の付加価値税があるにしても、ハンバーガーが約900円とは驚きだ。

よし、あとはビールだと意気込んだが、日が暮れた初めての街でスーパーや酒屋を見つけるのは難しかった。

セブンイレブンがあったがビールは売っておらず泣く泣くホテルに戻った。ホテルでも売ってない。自動販売機にコンビニ、ビールの入手が簡単な日本は素敵な国だ。

お腹がいっぱいになったら急に眠くなってしまった。おやすみなさい。

 

 

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北海道ツーリング2012 14日目(最終日) 大洗~自宅

2012-08-28 | 

8/3(金) 晴れ

大洗港にフェリーが到着した。むっとした空気がまとわりつく。ゆっくりと船倉を出てフェリーを眺めた。後ろ髪を引かれるのは良い旅だったからだろうか。

家に着くまでが旅、妹の言葉を思い出し自宅に向かった。高速道路に入ってもスピードを出す気がおきなくて熱風の中を低速で走った。

首都高に入って今日が平日であったことに気が付いた。頭がおかしくなるような暑さの中、首都高のジャンクション2カ所の渋滞をどうにか抜けて家に着いた。

14日間で3,369km (道内2,878km)を走り、伴ちゃんのオドメーターは56,343kmとなった。

 

ツーリングマップル、セイコーマートのメンバーカード、そしてホクレンのフラッグ、これらが旅の気分を盛り上げてくれた。

ツーリングマップル(バイク用の小型地図)はできれば最新版を使うのがいいだろう。新しい道ができたり、温泉がなくなっていたりすることがあるからだ。マップルを参考にする自転車や自動車の人も見かけた。

セイコーマート(北海道で絶大なシェアを占めるコンビニ)のカードは大した節約にはならないが、毎日お世話になっていたので記念に作ってみた。もともと酒屋だけあってお酒が充実しているのが二重まるなのだ。

北海道の道の駅や道端の自動販売機にゴミ箱はないが、セイコーマートにはゴミ箱がある。車ならいいが、バイクだと飲み物の缶やペットボトルの捨て場にも困るので、休憩はセイコーマートになることが多い。

その昔、ホクレン(北海道の農協の連合体)でガソリンを入れるとフラグを無料でくれたのだ。どこも経営は厳しいので一度姿を消したが、現在はライダーが有料で入手できるようになった。1本100円で、4地域で色と図案が異なる。

懐かしくなって買ってみた。赤(ヒグマ)や黄色(キタキツネ)の地域も走ったが、伴ちゃんイはこの2色で十分だ。いっぱい走ってフラグの端がほつれてくるのがかっこいい。

 

北海道で出会った旅人達は気持ちの良い人が多かった。毎年北海道を訪れるライダーやチャリダー、仕事を辞めたり定年を迎えて初めて北海道を走る人、定年後に夫婦でキャンプ旅を続ける人、それぞれが楽しんでいる姿を見るのも楽しかった。

その土地に行ってみないとわからないことは多い。実際に行ってみたところで、わかるのはちょっとだけかもしれない。でも、肌で感じることで見え方が変わることもある。旅に出よう。

 

おしまい。

 

 

 

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北海道ツーリング2012 13日目 洞爺湖~昭和新山~登別~苫小牧

2012-08-19 | 

8/2(木) 晴れ

今日で北海道の地ともお別れだ。あっという間の12日間だった。

昨日、洞爺湖をほぼ一周まわったが、もう一周まわってみよう。洞爺湖畔にとうや小の生徒が木で作った動物が置かれていた。

羊蹄山も見えた。

洞爺湖サミットの開かれたホテルはあんな山の上にあったのか。

サイロ展望台から洞爺湖を望んだ。日本人の観光客はほとんどいなくて、韓国や中国の人々がいた。

この前で写真を撮るのはお約束のようだ。

子供の頃読んだ本に載っていた昭和新山へ行ってみた。いくつかの土産物屋はつぶれていた。

ここの土産物屋も中国からの観光客に大きく支えられているようだった。

じゃがいもソフトクリームを食べた。甘いんだけど、ポテトチップスのような味がする。ジャガッキー付きだ。

以前アウトライダーという雑誌で見たおさる湯に行ってみることにした。支笏湖へ向かうR453沿いにあるばんけい温泉健康センターの裏だという。

健康センターは閉められてしまったようだ。

裏の川に温泉の雰囲気はなく、崖を下りて草をかき分けて温泉を探すやる気もなかったので、登別の温泉をめざすことにした。

R453から登別に向かう道道2号は素晴らしいワインディングロードであった。オロフレ峠という看板があったので本道からはずれて行ってみた。

オロフレ峠の先に行き止まりとなったぼろぼろの道があった。地元のライダーがやってきたので、以前の道路だったのか聞いてみたが、彼が来るようになったときにはすでに走られる道ではなかったと言った。

あとで知ったが、やはりこの道は24年前まで現役であった。

登別に着き、町を歩いてみた。まずは地獄谷へ行ってみた。荒涼とした風景が広がる。

町の中には鬼や閻魔大王などが幅を利かせている。

共同湯、湯元さぎり湯へ寄った。目立たないので一度前を通り過ぎてしまった。すっかりタオルが変色するほど濃厚なお湯がじゃぶじゃぶと流れていた。

ツーリングでそばを食べることは多い。お昼はそばにした。予想に反して北海道での初そばとなった。北海道はそばの産地でもあるので広大なそば畑が広がる道も通った。

大湯沼、煮えたぎる泥の沼だ。

倶多楽湖へ向かう道道350号にあった動物注意の標識はキタキツネだ。

登別をあとにしてR36で苫小牧港を目指した。登別の入り口に巨大な鬼がいたが、R36にはカニと熊がいた。でかすぎないか?

苫小牧から大洗へ向かうフェリーを待つ。

いよいよ出航だ。シャワーを浴びて、乗船前に買っておいた回転寿し海天丸のすしを食べながら苫小牧の夜景を眺めた。

炎天下に置かれたすしは少し味が変わっていたが、もう帰るだけだから食べてしまった。

部屋にもどると隣のオヤジの鼾が尋常でなかったが、疲れに負けて寝てしまった。

 

 

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北海道ツーリング2012 12日目 厚田~札幌~洞爺湖

2012-08-19 | 

8/1(水) 雨のち曇時々晴れ

雨の中、テントを畳んで出発した。どこまで走れば雨があがるだろうか。石狩を過ぎて積丹へ再び行ってウニ丼を食べたいという欲求に駆られたが、積丹の天気はあまり良くなさそうだ。目指す洞爺湖への到着も遅れてしまうだろう。

まっすぐ洞爺湖を目指すことにした。札幌を通らなければいけない。久しぶりの都会だ。急に女性が煌びやかになった。

渋滞の国道5号を走っていて、とある交差点の赤信号で停まった。見覚えのある建物が斜め前にあった。

中島みゆきの母校、藤女子大だ。喫茶店ミルクに寄ろうかと思ったが、時刻はまだ9時なので営業時間までだいぶありそうだった。

札幌を抜けるとR230はすぐに山道となった。中山峠を越えて下っていくと羊蹄山が少しだけ見えた。

道の駅230ルスツに浪越徳治郎の銅像があると言うので寄ってみた。開拓の母の銅像があったが、徳治郎の銅像は見つけることができなかった。

次回のお楽しみとしよう。

洞爺湖畔を3/4周程していいキャンプ場があった。隣に温泉がある仲洞爺キャンプ場だ。時折青空が見える。今日は降らないだろう。

テントを広げて寝袋とともに乾かした。

温泉に入った後、キャンプ場に来る途中にあった肉屋直営のジンギスカンの店に行ってみた。店の玄関に近づいたら定休日での看板が下がっていた。

またもやセイコーマートでビールとつまみを買ってキャンプ場に戻った。時間はまだ3時だが、フライパンでつまみを焼きながら1人宴会が始まった。

洞爺湖温泉では毎夜花火が打ち上げられる。対岸で打ち上げられる小さな花火を見て眠りについた。

 

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