ミミママの感謝と有難うのブログ

自然に感謝・人に感謝。そして有難う!!
そんな毎日を過ごせる事に感謝!

雨の庭の水木2種

2019-03-19 12:11:20 | 庭の花・日記

居間から見た様子。白いのは雪柳。黄色いのは土佐水木、
その先の赤いのはトキハマンサク(木によって咲く時期が少し違う。
これは遅くまだ蕾が多い。)

玄関先から日向水木を見た様子。土佐水木と違って、高くならず
花もうんと小さい。周りのつつじより小さい。少し右奥の細い木は
蘇芳。もう花が咲きそうで蕾の濃いピンク色が見える。


***
一昨日亡くなった方の状況を電話で聞いていたら、母が亡くなった
時を思い出した。

2回目の悪性胃癌が83才で見つかった。どこからか出血していて、
86才位から貧血の数値が酷くなると入院して輸血を受けたりを
繰り返した。

「覚悟はして置いて下さい。」と言われていた。それでも退院すると、
担当医からドクターストップがかかっても、すぐデイサービスに
行きたがった。デイサービス・ケアマネ・私とで相談の面談をした。

「そんなに来たいと言うのは嬉しいから、デイにいる間は任せて!
是非来させて下さい。」と言ってくれた。有り難かった。その
代わり1日は無理なので、2.3時間のみで私が送迎した。

最後の入院の日もデイから帰って吐血した。救急車で運ばれながら
何度も吐血した。それから何度か退院の話が出ては消え、結局ほぼ
2ヵ月後に亡くなった。

家でも寂しがり屋で、父が亡くなった後はずっと私が泊まっていた
ので、不安がる母を一人には出来ず、看護婦さんに無理にお願いして
ベッドの下にずっと泊まり込んだ。最後まで甘えん坊な可愛い母だった。

最終的にはもう施す策は無いので、出来たら退院か転院をと言われた。
母の気持ちを第一に、家で看取ることを希望した。ターミナルケアは
まだ世間に余り認知されていない頃だった。契約も済ませ、
ベッドが入れば帰れると言う日に病院で息を引き取った。

もうあれから既に5年半経った。今書きながらも涙が出てくる。
空の巣症候群から抜けるのに4年は掛かったが、孫スーちゃんの
お陰で、私としてはこれでも随分早かったのかもしれない。

介護を頑張ることができたのは、体が弱かった母を、祖父母も父も
とても心配していて亡くなる時みんな私に、「頼むよ!」と
言っていた。その約束を果たしたかった。そして祖父母や父に
楽しいお土産話も沢山持って行って欲しかったから。

介護に今頑張っている方々、どうか身体に気をつけて、
こうやって振り返った時、悔やむことがないように。
最後まで読んで下さった方がいらしたら、有難うございます。

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2 コメント

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思う事は・・・ (tokko)
2019-03-19 20:02:37
 本当に思う事は沢山有ります
otomechanのお母様と私の母は、余りにも心の在り様が違うように感じます
 ディサービスは大嫌いでした
人と(特に同性)と上手く交われないようでした
今も同じです

 母にとって今も大切なのは、子供達でも孫でも無く
再婚した相手の男性
面会に来ない事を、づっと寂しがっています
看護師さんやヘルパーさんにも、それを訴えているそうです・・・・

 otomechanとの共通点は、主人が理解を示してくれる事ですね
本当に助かります
嫌な顔をされたら、何も出来ません
でも何時も協力的で有り難いと思っています
返信する
う~~ん。 (otomechan)
2019-03-19 21:53:13
tokkoちゃんへ
有難うございます。

う~~ん、言葉のかけ方が分からない。ごめんなさい。
私の想像できうる範疇に居ないタイプのお母様かなぁ?
デイサービスを嫌う人は多いようですが・・・・・・。

我が家は父の介護から続きで、父は肺気腫で最後の3年近く、
外出は車椅子だったので、主人の手伝いがなければ
とても無理でした。
お医者だけでなく、花見や紅葉狩・外食と色々連れて行ってくれて有り難かったです。

お互いその事は恵まれていますね。感謝ですね。






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