主人は仙台に2年ほど単身赴任した。私は春の桜と秋の
紅葉の季節のみ、旅行がてら2か月ずつ行った。娘・息子
・家と単身赴任先と4世帯で経済的には大変だったが、良
い機会とばかり、主人が手配してくれていたツアーで
あちこち2人で旅行した。
住んでいた場所の、起伏のある地形や海沿いの街が面白く
良く散歩した。塩釜市の桜の綺麗な塩釜神社も散歩でも行
けた。高台にある神社から海を臨む景色も素晴らしかった。
近くの公園で逢ったお婆ちゃんと気が合い、家にも
何度もお邪魔したり、親しくさせて頂いて有り難かった。
主人が引き上げた後も、手紙のやり取りもしていた。
***
地震直後テレビやネットにかじりついて、避難場所の
名簿を見たが見つからなかった。散歩コースに有った中
学校が避難場所となっていた。落ち着いた頃手紙も出し
たが、宛先不明で返ってきた。娘さん所でも行かれたのか?
そして6年前、娘達が生後6か月の上の子を連れて帰国した。
我が家に1週間、それから日本中旅行しながら、1か月後の
最後は東北のパパの実家。発つ前に逢いに来たらとの提案。
二人で交替で運転しながら行き帰りホテル7泊。絶対行き
たかったのは住んでいた場所。(あちらこちら観光もしな
がら、全行程3500キロ走った。)
主人の職場だった仙台港に着いた時、女性が話しかけて
来た「私は地震以来ここには来れなくて、7年経って今日
初めてこの港に来たんですよ。何もかも変わってしまって。」
辛かった地震の事を誰かに伝えたかったんだろう。それ
から住んでいたアパートを探しに行ったが、道も町もすっ
かり変わっていて、何度も行ったり来たりしてみたが、
見当たらない。時間を考え諦めて次へ向かった。
会社が行事の度に利用していて、私たち夫婦も行って
いた食堂を探したらあった。有難い事に主人を覚えて
いて下さった。御無事で良かった!と再会を喜び合った。
***
あの地震の時、地震と津波の映像、福島第1原発の建屋が
壊れる映像は恐怖を通り越していた。その後も多くの人々が
原発の為にふるさとい帰れない苦悩を、テレビなどで見て来た。
それでもまた再稼働が許可された。そして今回の能登大地震、
滋賀原発の近くの人々は、逃げ場も無くどんなに恐ろしかっ
ただろうか?地震大国の日本において、原発が安全なはずは
ない。原発反対だ!
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