郷里のM君から便りが届いた
父の通った母校にかろうじて入学した私は、ユニークな先生のクラスに入りそこで楽しい仲間たちと出会うことになった
M君は柔道部で、スポーツ嫌いの私とはまるで別世界の人だが、なぜか親しくなった
見るからにお坊ちゃんの風情、ご両親に大事に育てられたという素直さがわかる、しかししっかりした男
会社役員をしていた厳格な父上のしつけは厳しかったと思う
学校の帰り道にあった彼の家に入ると玄関先に「脚下照顧」と墨書された大きな木製の板が目に入る
その後お会いした父上は「時折人を拾ってくる」と彼が呟いたようにヤクザの大親分のような風格を備えていた
彼が浪人しようかと悩んだ時、即座に「No」と言ったのも父上だった
「毎日会社に通わなければならないサラリーマンは嫌だ」と大学卒業後、鍼灸の専門学校に通い開業した
名古屋の大学におそらく車で通学していたらしい彼は、郷里の実家へ時折やってきては私のヘボ将棋につきあってくれた
互いに結婚してからは、行き来することもなくなり賀状のやり取りくらいになっていた
そんな彼が病により手術をしたという話を聞いて、勇気を出して見舞いに行った
芸能人のつんく氏と同じく声帯を切除しなければならない手術を行った彼は点滴をしながら会ってくれた
私の話を彼は聞くことができるのだが、声にできない、机に向かった彼は紙に文字を書いて会話する
紙に書いては捨てるといった会話を数十分してから彼と握手をして別れた
そんな大手術をして話すことと咀嚼ができない不自由を抱えながら、冷静な彼に驚いた
たった3行ばかりの手紙文は、こうだった
「お元気ですか 小生は手術から3年、命が繋がっています。
この喜びをお世話になった皆様に感謝の気持ちとして しるしばかりの内祝いの品を贈ります 12月吉日 」
嬉しかった、、元気でいるんだ、、良かった、ありがとう
思い出したのは数年前亡くなった軽音楽部のN.Mくんのこと
クラリネットを吹いてジャズをやっていた彼とも親しくて近くだった彼の家を訪ねたこともあった
片親で育った彼はおそらく相当苦労して進学したのだと思う
しかしそんな事情を一度も話したこともなく、むしろ快活を装い下手な冗談を言ったり「普通を通して」いた
妹さんを養うため会社勤務をしながら夜間の公立大学に通う道を選んだ彼ともその後会うことはなかった
風の便りで某大企業の子会社の社長を務めたようだが、数年前に癌で他界した
「癌」は憎い、人をわずかな時間で追い詰める
Mくんの短いお便りを読んで、彼の彼らしい「男のダンディズム」を感じた
順風満帆で過ごした青春、若くして世の道理をわきまえて処世し何不自由ない生活を営んできた
ここに至って「病という試練」を神は与えた
しかし生きながらえていることの感謝を表現するダンディズムは、健在だ
コンピュータを使わない彼にメールもお礼の電話もできない
短い手紙を書いて青春の頃を懐かしんだ、、、お互い長生きしようと
いしだあゆみ ブルー・ライト・ヨコハマ
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