こんばんは。
今の寒気は、結構強烈ですね。
明日は、日本全体が寒気に覆われるみたいです。
【今日は、早めに切り上げ】
今週は、毎日が遅くなるだろうと思っていたのですが。早めに引き上げてきました。
何かいろいろあり過ぎて。何から手をつければいいのか。
今週の木曜日までの予定が一気に埋まりました。
明日は、9時に仕事場に行き、そのまま、また博多に戻って。
『働き方改革』
私のお客様は、それなりの規模の大きな顧客様です。
働き方を変えていく事。それは、『優秀な人材』を集めるためには最低限必要な事になってきています。
今の学生達が優先する事は。
『自分の待遇』
『福利厚生など制度の充実』・・・
私は、息子が大学4年になった時に、2人でドライブに行きました。
その時に、息子に話した事は。
高校や大学を卒業するのは、20歳前後。
それから、定年退職するまで。60歳になるまで、40年。
世の中は、どれだけ変わるか。
昔は『繊維産業』があり、『鉄鋼』があり、『スーパーマーケット』があり。
それが、繊維産業は素材産業に。鉄鋼も素材産業に。スーパーマーケトは、コンビニと淘汰され。百貨店としのぎをけずり。
今は、ネット販売と。流通は、大きく様変わりして。その影響で、ドライバー不足。
人生の中で、40年の間に、どれだけの事が変わっていくか。
なので、息子に言ったのは。
自分が勤めた仕事が『一生もの』と思う必要はない。(公務員は別として)変われる時には、変わればいい。と。
実際、私は、仕事の中身は別として、仕事先は転々と変えてきたので。
それは。世の中の事情だけではなく、個人的な事情も含めて。
私は、高校時代に、陸上部、放送部(放送委員会)、ギター同好会。そして、生徒会長。
とにかく、いろいろなものを兼務してやっていました。
その放送部での1年後輩で、N君が居ました。
後で分かった事なのですが。彼は、私の『遠い親戚』だったのですが。
私が、大阪で所帯を持ったころ。彼も、大阪に居ました。
彼は、長男。いずれは、家を継ぐ?
でも、彼は。『スタッフ』として放送局に勤めるのが夢でした。
彼には、彼の『恋愛』でも、私とかみさんが翻弄されたのですが。
彼の、『進路』の事で話をした事があります。
彼の希望は、『放送局の技術スタッフとして勤める事』でした。
でも、それは難しい状況でした。
私が彼に行った事。
『目的地まで行く道は、一つではない』という事。
例えば、『演出』がしたい。テレビでは『ディレクター』。映画では『監督』。
別の世界で言えば、『舞台監督』など。
『演出』する。という事で言えば。テレビだけではなく、映画もある。舞台もある。今は、いろんなイベントもある。
やりたい事に着目した場合。『演出』であれば、ズバリではないけど、近いものはある。
そういう道もなるのでは。
と言う話をしました。
彼は、その後、東京で自分の会社を立ち上げ、『放送機器』などを貸し出す会社を始めました。
今は、どうしているのか。
『ベスト』と『ベター』。もちろん、ベストを求める事も大事ですが。ベターで生きる事も。ひとつかな。
【家族に乾杯】
今日、帰ってきて。NHKの、『鶴瓶の家族に乾杯』の20周年の番組がありました。
私にとっての家族。
一つは。私の親、兄弟。
今日、ヤフーのニュースで、ある記事を見ました。
『検体』が増えている。と。
死後、自分の身体を医学のために使ってもらう(医学生が解剖するために自分の身体を提供する)が『検体』です。
それが、今、増えているそうです。
その記事に載っていたのは。ある男性の話。
保険の見直しをしようとした時に。高額の死亡保障をつけようとしたら。
奥様『そんなに高い保険料を払ってどうするの?「検体」したら、費用もかからないし』
娘『私が嫁に行ったら、お墓をみるなんてできないから。「検体」したら』
と言われたとか。
私の父は、亡くなる数年前に、自分の体を「検体」すると言い出しました。
「検体」するには、家族全員の同意が必要。
それで、私を含め、どの同意書にサインしました。それは、父の『意志』。納得したからでした。
実際、父が亡くなった時。父の身体は「検体」されるものだ。と思っていたので。
父の『死に目』には会えなかったのですが。実家に帰った時には、葬儀の日なのに、『父の身体はない』と思っていました。
それが、実家に帰った時。母が。
『おじいちゃん(父の事)に会ってあげて』と言われて。『えっ?』と思ったのでした。
父の病気は。肺がんと脳腫瘍でした。
それが、『転移』でできたものではなく、同時、多発で出来た症例で、極めて珍しい症例で。
父を看て下さった主治医が、『是非、解剖させていただきたい』との申し出があり。
長兄と母、他家族が話し合い。
『父が「検体」を申し出たのは、医学のために自分の身体を使ってほしいから。それが、医学生のための「検体」登録であったけれど、お世話になった先生のために「父の身体」が解剖される事も、父の遺志から外れる事ではない』
と判断して、お世話になった先生に解剖していただいたのでした。
なので、私は。
『実家に帰っても、父には会えない』と思っていたのが。『会えた』のでした。
私の一つの『自慢』。
『私は、9人兄弟の一番下で、六男』。
そして、
『9人の兄弟が、一人も欠けていない』でした。
でも。今年。
すぐ上の兄が、亡くなりました。
私に、一番近い年齢の兄。
最近、時々思い出す事があります。
初孫の女の子。長女の娘です。
長女が生まれてから、里帰りの後も、長女は月に1度くらい帰ってきていました。
孫娘も、だんだん大きくなり。
長女が2人目(女の子)を出産し、里帰りした頃から。
私が休みの日。朝、起きると。長女の長女を連れて、『散歩』に行き、すぐ近くの公園で遊ぶ事が楽しみに。
2人目の孫が大きくなってきて、3人目(男の子)を出産して帰ってきた時には。
孫娘2人を連れて『散歩』に。
その(自分の)家族を。自分の手から『離してしまった』。
『家族に乾杯』と言う番組を観ながら。
『自分の事』を考えていました。
【明日は】
午後に、S次長が来られて。
『明日、9時半から、「〇〇社員制度」の事で打ち合わせする事になったので、いっしょに来てもらえますか。』
『〇〇年から始めたいようなのですが。いろいろ迷走しているようで。』
『働き方改革』の一つなのですが。
『求められる事』『必要とされる事』
ありがたい。
でも。『私はいつまで、それに応えられるのか』
それは、分かりません。
ずっと、先かもしれない。明日、ダメになるかもしれない。
でも。『自分にできる事はする』。
それを糧に、行くしかないですね。
変な話を、すみません。
では、また。
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今の寒気は、結構強烈ですね。
明日は、日本全体が寒気に覆われるみたいです。
【今日は、早めに切り上げ】
今週は、毎日が遅くなるだろうと思っていたのですが。早めに引き上げてきました。
何かいろいろあり過ぎて。何から手をつければいいのか。
今週の木曜日までの予定が一気に埋まりました。
明日は、9時に仕事場に行き、そのまま、また博多に戻って。
『働き方改革』
私のお客様は、それなりの規模の大きな顧客様です。
働き方を変えていく事。それは、『優秀な人材』を集めるためには最低限必要な事になってきています。
今の学生達が優先する事は。
『自分の待遇』
『福利厚生など制度の充実』・・・
私は、息子が大学4年になった時に、2人でドライブに行きました。
その時に、息子に話した事は。
高校や大学を卒業するのは、20歳前後。
それから、定年退職するまで。60歳になるまで、40年。
世の中は、どれだけ変わるか。
昔は『繊維産業』があり、『鉄鋼』があり、『スーパーマーケット』があり。
それが、繊維産業は素材産業に。鉄鋼も素材産業に。スーパーマーケトは、コンビニと淘汰され。百貨店としのぎをけずり。
今は、ネット販売と。流通は、大きく様変わりして。その影響で、ドライバー不足。
人生の中で、40年の間に、どれだけの事が変わっていくか。
なので、息子に言ったのは。
自分が勤めた仕事が『一生もの』と思う必要はない。(公務員は別として)変われる時には、変わればいい。と。
実際、私は、仕事の中身は別として、仕事先は転々と変えてきたので。
それは。世の中の事情だけではなく、個人的な事情も含めて。
私は、高校時代に、陸上部、放送部(放送委員会)、ギター同好会。そして、生徒会長。
とにかく、いろいろなものを兼務してやっていました。
その放送部での1年後輩で、N君が居ました。
後で分かった事なのですが。彼は、私の『遠い親戚』だったのですが。
私が、大阪で所帯を持ったころ。彼も、大阪に居ました。
彼は、長男。いずれは、家を継ぐ?
でも、彼は。『スタッフ』として放送局に勤めるのが夢でした。
彼には、彼の『恋愛』でも、私とかみさんが翻弄されたのですが。
彼の、『進路』の事で話をした事があります。
彼の希望は、『放送局の技術スタッフとして勤める事』でした。
でも、それは難しい状況でした。
私が彼に行った事。
『目的地まで行く道は、一つではない』という事。
例えば、『演出』がしたい。テレビでは『ディレクター』。映画では『監督』。
別の世界で言えば、『舞台監督』など。
『演出』する。という事で言えば。テレビだけではなく、映画もある。舞台もある。今は、いろんなイベントもある。
やりたい事に着目した場合。『演出』であれば、ズバリではないけど、近いものはある。
そういう道もなるのでは。
と言う話をしました。
彼は、その後、東京で自分の会社を立ち上げ、『放送機器』などを貸し出す会社を始めました。
今は、どうしているのか。
『ベスト』と『ベター』。もちろん、ベストを求める事も大事ですが。ベターで生きる事も。ひとつかな。
【家族に乾杯】
今日、帰ってきて。NHKの、『鶴瓶の家族に乾杯』の20周年の番組がありました。
私にとっての家族。
一つは。私の親、兄弟。
今日、ヤフーのニュースで、ある記事を見ました。
『検体』が増えている。と。
死後、自分の身体を医学のために使ってもらう(医学生が解剖するために自分の身体を提供する)が『検体』です。
それが、今、増えているそうです。
その記事に載っていたのは。ある男性の話。
保険の見直しをしようとした時に。高額の死亡保障をつけようとしたら。
奥様『そんなに高い保険料を払ってどうするの?「検体」したら、費用もかからないし』
娘『私が嫁に行ったら、お墓をみるなんてできないから。「検体」したら』
と言われたとか。
私の父は、亡くなる数年前に、自分の体を「検体」すると言い出しました。
「検体」するには、家族全員の同意が必要。
それで、私を含め、どの同意書にサインしました。それは、父の『意志』。納得したからでした。
実際、父が亡くなった時。父の身体は「検体」されるものだ。と思っていたので。
父の『死に目』には会えなかったのですが。実家に帰った時には、葬儀の日なのに、『父の身体はない』と思っていました。
それが、実家に帰った時。母が。
『おじいちゃん(父の事)に会ってあげて』と言われて。『えっ?』と思ったのでした。
父の病気は。肺がんと脳腫瘍でした。
それが、『転移』でできたものではなく、同時、多発で出来た症例で、極めて珍しい症例で。
父を看て下さった主治医が、『是非、解剖させていただきたい』との申し出があり。
長兄と母、他家族が話し合い。
『父が「検体」を申し出たのは、医学のために自分の身体を使ってほしいから。それが、医学生のための「検体」登録であったけれど、お世話になった先生のために「父の身体」が解剖される事も、父の遺志から外れる事ではない』
と判断して、お世話になった先生に解剖していただいたのでした。
なので、私は。
『実家に帰っても、父には会えない』と思っていたのが。『会えた』のでした。
私の一つの『自慢』。
『私は、9人兄弟の一番下で、六男』。
そして、
『9人の兄弟が、一人も欠けていない』でした。
でも。今年。
すぐ上の兄が、亡くなりました。
私に、一番近い年齢の兄。
最近、時々思い出す事があります。
初孫の女の子。長女の娘です。
長女が生まれてから、里帰りの後も、長女は月に1度くらい帰ってきていました。
孫娘も、だんだん大きくなり。
長女が2人目(女の子)を出産し、里帰りした頃から。
私が休みの日。朝、起きると。長女の長女を連れて、『散歩』に行き、すぐ近くの公園で遊ぶ事が楽しみに。
2人目の孫が大きくなってきて、3人目(男の子)を出産して帰ってきた時には。
孫娘2人を連れて『散歩』に。
その(自分の)家族を。自分の手から『離してしまった』。
『家族に乾杯』と言う番組を観ながら。
『自分の事』を考えていました。
【明日は】
午後に、S次長が来られて。
『明日、9時半から、「〇〇社員制度」の事で打ち合わせする事になったので、いっしょに来てもらえますか。』
『〇〇年から始めたいようなのですが。いろいろ迷走しているようで。』
『働き方改革』の一つなのですが。
『求められる事』『必要とされる事』
ありがたい。
でも。『私はいつまで、それに応えられるのか』
それは、分かりません。
ずっと、先かもしれない。明日、ダメになるかもしれない。
でも。『自分にできる事はする』。
それを糧に、行くしかないですね。
変な話を、すみません。
では、また。
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