西やん中洲にいます。

西やん67歳、日々の出来事独り言

手術の思い出(再掲10)「西やん中州にいます」の原点。

2022-10-17 04:17:41 | 手術の思い出
こんばんは。

と言うか、今は10月16日午前4時です。
午前中に投稿した後、身体がだるく、横になって寝てばかりで今になってしまいました。
手術の思い出。「西やん中州にいます」の原点となった出来事と、手術後の胃が「ほめられた」話です。

【えっ?こんなに飲めたの?】
元々、若い頃はアルコール自体が苦手と言うか、お酒は飲めませんでした。ただ、ビールの一口目だけは美味しいかも。なんて思って、100ミリリットルの缶ビールを買って飲んだ時期もあったのですが、三日で体調わるくしました。

それが、吐血を繰り返した事がトラウマになり、吐くことが怖くなって、『お酒』=『吐く』が頭のなかにあり、お酒を避けるようになっていました。

ただ、社会人としてはお酒の席に出ないといけない場面も増えてきます。接待などもそうですが、これは気が張っているので、何とかなりましたが、会合や宴会でのお酒は苦痛でした。飲んだ後、気持ち悪くてタクシーや電車に乗ることができず、博多や中洲から2、3時間歩いて家に帰った事も何度かありました。手術から15年間。一度も吐かずに暮らしてきました。

それが、ある年の暮れの忘年会の帰りに、同じ方向の四人でタクシーで帰っていたら、よほど飲んでしまったのか、体調が悪かったのか、最寄り駅の近くで、気持ち悪くて我慢できず、タクシーを止めて、降りて、『後、よろしく』って見送った直後に吐いてしまいました。苦しい。

ただ、苦しみながら、『15年間怖がっていた苦しさって、こんなもん』って言うのが、頭に浮かんでいました。

それからが大変。しばらくは飲んでも酔わなくなってしまって。あげくの果てには、一人でも飲みに行くようになって。

それが、西やん『中洲に居ます』になってしまった訳です。

これも、多分に精神的なことで、どうにでも変わってしまう、私を表しています。

《現状は》(オリジナルにはない話)
去年から、体調を悪くした結果、もう1年以上アルコールを口にしていません。コロナ禍もあり、中州には2年以上出かけていません。
回復してきてアルコールに関しては飲めそうな気もするのですが、まだ手が伸びないといったところです。

【ほめられた?】
手術の思い出は、これまで22回書き込んでいますが、また思い出しました。

手術後の謎の腹痛については以前に書きましたが。(手術の経緯やその後は、『手術の思い出』を最初から順に呼んで下さい。)

熊本に住んでいた時、夜に腹痛、それも激痛で近くの掛かり付けの病院に行き、痛み止の注射を2回うってもらって、やっと痛みが治まり帰宅しました。

翌日、何も食べずに病院に行き、胃の透し検査をしました。いくつかの検査をして、検査台で横になっていると、ドアが開いていて、先生と看護師さんが3人。先生と年長の看護師さんが若い看護師さんに何やら説明していました。先生の手にあるのは、どう見ても私のレントゲン写真。

先生の説明で聞こえたのが、『この手術した先生はうまい。手術の跡もきれいだ。』

えっ。私の胃がほめられた?って、胃じゃなくて、執刀医の先生だけど。

でも、なんだか嬉しかった。
かと言って、見せられないのが悔しいですが。


「手術の思い出」を再掲載してきました。
この話はまだ続きます。オリジナルでは24回目からは「私の『狭心症』の診断」などの話に入ります。ご興味のある方は、カテゴリー「手術の思い出」でご覧下さい。

こればかりというのも飽きてきますので、再掲載はここまでとします。
では、また。


手術の思い出(再掲9)ホッチキス?性格って変わる?

2022-10-16 11:06:13 | 手術の思い出
こんにちは。

人間ドック等で胃の透視検査(バリウム)を飲んで撮影すると何か写っていて。
性格って変えられると思いますか?

【ホッチキス?】
手術後に自分の胃の状態を見る機会は以外ににく、30歳で人間ドックに行った時が最初だった気がします。

最後の問診の時に、胃のレントゲン写真を見せてもらって説明を受けたのですが、私の胃はイビツな形。その頃には胃も大きくなり、手術する前よりも食べるようになっていました。手術直後の半年位は、一度のご飯を2回に分けて、1日に6回食事をしていまさた。外食も食べきれないので控えていました。

レントゲン写真で見た私の胃は、残った3分の1の胃と、つながれた十二指腸の両方が拡張して、大きくはなっていますが、当然、普通の胃の形はしていません。

それと、いくつか黒い短い線が写っていました。これが、胃と十二指腸をくっつけていたホッチキス。写ってました。

35歳からは、毎年人間ドックを受けるようになり、毎回胃のレントゲン写真を見せてもらいますが、ホッチキスの位置が変わっていきます。それに本数も減っていきます。
実は、数年前には無くなっていました。

私の想像ですが、溶ける様な素材ではないでしょうから、胃の組織が異物を外に出そうとして、胃の内側に出されれば、食べ物といっしょにウンチになって排泄されたのでしょう。もちろん、このホッチキスについて、存在自体を感じたことはありません。

今はもっと、技術も素材も格段に進んでいるでしょうから、私の頃とは違うのでしょうね。

【性格って変わる?】
そろそろ、手術の話しも尽きてこようとしています。

私が手術をした原因が、ストレスからくる多発性潰瘍で吐血。
この頃の私は、終った事をウジウジと考えるタイプ。ああすれば良かった。こうすれば良かった。みたいな、反省でもなく、ただ落ち込んでいました。
それと、まだ起こってもいない事について、心配すると言うか。例えば、仕事で失敗して報告に行く時に、多分に保身もあるのでしょうが、どう言われるだろう。どう答えようとあれこれ考え悩みました。でも、ほとんど思った通りにはならない。後でまた終った事をウジウジ考える。そんな日々でした。

それが、病気になり、胃を切り。同じ事繰り返してもなー。なんて考えているうちに、考える事、悩むことは変わらないのですが、納得できる答えが見つからない時に、『まぁ、いいか』って思えるようになりました。ある程度は考える、悩むのですが、ある程度の時間で答えが見つからなかったら、考える事を止める。それだけで気が楽になったのと、考え込む事を止めたことで、かえって不意にアイデアと言うか、答えに近いものが浮かぶようになりました。

そんな事を繰り返していたら、いつの間にか、大概の事に動じなくなってきました。『なんとかなる』みたいな考え方です。これが良い面に働くことと、悪い面に働くことと、両面あるのですが、若い頃の自分とは全然違うと、自分では感じています。

これが、手術をしたお陰だと自分では思っています。私の場合、薬で治しても、性格が変わらなければ、何度も同じ病気になっていたと思います。
母親の『切れば治る』の一言で、即刻手術して、良かった。

※ 個人の感想です。

まだ、先は長いです。
ご容赦下さい。
では、また。


手術の思い出(再掲7)してはいけないこと。

2022-10-15 23:02:31 | 手術の思い出
こんばんは。

消化器系の手術をして、してはいけなかった失敗。
そして、してはいけない「お見舞いのしかた」。
参考までに。

【不意打ち】
手術後にお腹の糸もとれて、自由に歩き回れるようになった頃ですが、やはりお粥の食事が辛く、こっそり売店に行って、薄いビスケットを買ってきてました。音をたてない様に、口の中で溶かす様に少しずつ食べました。

そうしたら、不意に看護師さんが来て、胃の透し検査するからって。レントゲン室に行って、少量のバリウムを飲んでレントゲン撮影。

病室に戻ってしばらくしたら、先生と看護師さんが慌てて飛んできて、『レントゲンで胃の中に何か変なものか写ってる』って。胃の内容物を出すからって、鼻からチューブを胃の中まで挿入。意識のある時に、鼻からチューブは辛い。

あまりの辛さに、鼻からチューブか入った状態で、『すみません。こっそりビスケットを食べました』と告白。先生は呆れたかんじで、看護師さんには叱られました。

これも、消化器系の手術後の辛い思い出です。

【お見舞いの品】
入院して、当時勤めていた学校の先生や生徒など、見舞に来てくれました。

その中で、正直あまり好きではない先輩の先生が見舞に来て下さり、見舞の品としていただいたのが、鉢植えの花でした。確かに高そうな花だった気はしますが。

普通、鉢植えの花は見舞にはタブーですよね。

ちょうど、時期的にもうすぐ退院か近い頃で、退院前の最後の検査をした頃でした。それが…

検査結果の説明があって、なんと『退院延期』。それも、再検査の結果が出るまて2週間かかるため、最低で2週間の退院延期。ショック。と併せて、お見舞いの『鉢植えの花』を恨めしく思いました。

原因は、肝臓の数値が悪かった事でした。先生の話では、腹部の手術をすると、どうしても肝臓を触るので、通常、手術後すぐに肝臓の数値が悪くなるそうです。
それが、私の場合、手術後の肝臓の数値はなんともなかったのですが、手術後2週間程度経過した時期に急に肝臓の数値が悪くり、輸血していた事もあり、B型肝炎の可能性か懸念された訳で、その検査に2週間かかるとのことでした。

結果は問題なかったのですが、当初の退院予定から3週間ほど退院が延びてしまいました。

お見舞いに『鉢植え』は絶対にやめましょう。万一、退院できず、『根づいて』しまったら、恨まれますよ。


今日はこれでまでとします。
でも、明日はいよいよ退院から、その後。
まだまだ続きます。
では、また。


手術の思い出(再掲6)本当はダメなタバコ。他に辛かったこと。

2022-10-15 20:52:33 | 手術の思い出
こんばんは。

私は、タバコを吸い始めて、吸わなかった期間はこの手術前後ぐらいでした。
術後、我慢できなかったんですね。
でも、その前に・・・。

【辛かったこと】
胃の切除手術後に辛かったことは、いくつかありますが、ずっとお粥だった食事もその一つでした。

他には、今は違うようですが、私の頃は手術後数日はベッドで安静にしていました。食事の制限があったこともあり、ずっと点滴を射ちっぱなし。ベッドから出れないので、トイレに行けないわけで、ずっと、おちんちんにチューブが挿入されたままでした。

このチューブのサイズが、私の尿道に合っていなくて、おしっこをする度に激痛がはしります。更に、仰向けて寝たまま、痛みに耐えて、下っ腹に力を入れて排尿しようとしても出ない。出ても少しだけ。何度おしっこしても残尿感があり、しばらくすると、また尿意を感じるのですが、その繰り返し。何日か後に、チューブが外され、自分でトイレに行っておしっこをした時は、すごーく気持ちよかった。

今は、私と同じような手術でも、手術後すぐに歩け歩けの様ですね。手術で切除した後は、体内の傷口も、くっつこうとしているわけで、下手すると変な所にくっつくこともあります。癒着ですね。だから、今は歩いたりして、傷口が特定の所に接したままにならない様にするようです。

点滴も、1日に何本も射っていると、針を刺すところがなくなってきます。針で傷つけるので固くなってくるんですね。ベテランの看護師さんは遠慮なくズブズブいきますが、若い看護師さんは遠慮がちで。
ある日来た若い看護師さんは、針を刺しながら、『あれっ』『あれっ』って何回もやり直し。正直痛い。あげくに『先輩呼んできます』って。

ずっとベッドで点滴射たれている状態なので、テレビでも見てるしかない。時間をつぶすのも大変でした。

【煙草】
私は半分抜糸した状態で、6人の大部屋に移りました。

高校まで陸上競技をやっていた事もあり、煙草を吸い始めたのは大学生の19歳の時で、バイト中からでした。私の家族の内、男は皆ベビースモーカーで、私も毎日20本(一箱)以上吸っていました。

ただ、吐血して以降、吸いたいとは思わなくなり、煙草が吸える状態でもありませんでした。それが…

大部屋に移った初日の夜。ベッドに入って、カーテンを閉めて、テレビを見ていたのですが、隣から煙草の煙が漂ってきて…
『吸いたい』と思ってしまった。

翌日、お腹に半分糸を付けたまま、お腹が突っ張るので前屈みになりながら売店へ。
遂に煙草とライターを買ってしまった。喫煙所に行き、一服。

あの時の煙草。うまかったー。

病室で、隠れて煙草を吸うのは止めましょう。

まだまだ続きますよ。
では、また。


手術の思い出(再掲5)術後の食事は?天ぷら??

2022-10-15 18:04:45 | 手術の思い出
こんばんは。

入院中の食事ですが、消化器系の手術の後は悲惨です。
でも、何故か「天ぷら?」の話が。

【手術後の食事】
私が入院して、手術したのは茨木市と高槻市の境目の高槻市側。名前はうるおぼえですが、修仁会病院ではなかったかな。間違ってるかも。

この病院は、救急指定の病院で、内科や外科ももちろんあります。だから、怪我など外科的な要因で入院している人も沢山います。こう言う患者さんの食事は、おいしいかどうかは別として、普通食です。

でも、胃の手術をした私の最初の食事は、『全粥』(ぜんがゆ)です。文字通り、全部が粥。ごはんの粒が全くないおかゆです。ようするに『糊』(のり)です。しつこい位に書きましたが、あれは食べ物ではない。もう二度と食べたくない。
私はいまだに、おかゆが大嫌いです。

数日、全粥が続き、次が三分粥。3割位が米のなごりって感じでしょうか。まだ、ほとんど糊。もちろん、まともなおかずは付きません。値段の話ですが、おかゆの方が『特別食』なので、高いのだと思います。

私は入院中、退院までお粥を卒業できませんでした。これが、とても辛かった。

消化器の手術をすると言うのは、こう言う辛さがあります。

【天ぷら?】
手術後の病室は二人部屋で、40代位の方と同室でした。その方は私より数日前に手術をされていました。

私の手術の何日か後ですが、先生と看護師が隣の方の抜糸に来ました。私はまだ抜糸できるじきではありませんでした。

ちょうど、私の彼女が来ていて、隣も奥様がこられていました。先生が何か話なから抜糸していたのですが、
『おーっ。抜糸した所から油が出てくる。こりゃ、天ぷらができるな。』と言って笑いはじめました。

それを聞いていた彼女も笑だし、つられて私もくすっと笑ったら『痛い』。糸がついたままのお腹か突っ張って『痛い』。笑ったら痛いのが可笑しくて更に笑って、『痛い』。笑いながら『痛い 痛い』と言っている自分が可笑しくて、回りも、私を見て、更に笑ってる。確かに、隣の方は小太りの方ではあったのですが。

お腹に糸つけたまま、笑ってはいけません。笑いながら苦しむ事になりますよ。


では、まだまだ続きます。