こんばんは。
と言うか、今は10月16日午前4時です。
午前中に投稿した後、身体がだるく、横になって寝てばかりで今になってしまいました。
手術の思い出。「西やん中州にいます」の原点となった出来事と、手術後の胃が「ほめられた」話です。
【えっ?こんなに飲めたの?】
元々、若い頃はアルコール自体が苦手と言うか、お酒は飲めませんでした。ただ、ビールの一口目だけは美味しいかも。なんて思って、100ミリリットルの缶ビールを買って飲んだ時期もあったのですが、三日で体調わるくしました。
それが、吐血を繰り返した事がトラウマになり、吐くことが怖くなって、『お酒』=『吐く』が頭のなかにあり、お酒を避けるようになっていました。
ただ、社会人としてはお酒の席に出ないといけない場面も増えてきます。接待などもそうですが、これは気が張っているので、何とかなりましたが、会合や宴会でのお酒は苦痛でした。飲んだ後、気持ち悪くてタクシーや電車に乗ることができず、博多や中洲から2、3時間歩いて家に帰った事も何度かありました。手術から15年間。一度も吐かずに暮らしてきました。
それが、ある年の暮れの忘年会の帰りに、同じ方向の四人でタクシーで帰っていたら、よほど飲んでしまったのか、体調が悪かったのか、最寄り駅の近くで、気持ち悪くて我慢できず、タクシーを止めて、降りて、『後、よろしく』って見送った直後に吐いてしまいました。苦しい。
ただ、苦しみながら、『15年間怖がっていた苦しさって、こんなもん』って言うのが、頭に浮かんでいました。
それからが大変。しばらくは飲んでも酔わなくなってしまって。あげくの果てには、一人でも飲みに行くようになって。
それが、西やん『中洲に居ます』になってしまった訳です。
これも、多分に精神的なことで、どうにでも変わってしまう、私を表しています。
《現状は》(オリジナルにはない話)
去年から、体調を悪くした結果、もう1年以上アルコールを口にしていません。コロナ禍もあり、中州には2年以上出かけていません。
回復してきてアルコールに関しては飲めそうな気もするのですが、まだ手が伸びないといったところです。
【ほめられた?】
手術の思い出は、これまで22回書き込んでいますが、また思い出しました。
手術後の謎の腹痛については以前に書きましたが。(手術の経緯やその後は、『手術の思い出』を最初から順に呼んで下さい。)
熊本に住んでいた時、夜に腹痛、それも激痛で近くの掛かり付けの病院に行き、痛み止の注射を2回うってもらって、やっと痛みが治まり帰宅しました。
翌日、何も食べずに病院に行き、胃の透し検査をしました。いくつかの検査をして、検査台で横になっていると、ドアが開いていて、先生と看護師さんが3人。先生と年長の看護師さんが若い看護師さんに何やら説明していました。先生の手にあるのは、どう見ても私のレントゲン写真。
先生の説明で聞こえたのが、『この手術した先生はうまい。手術の跡もきれいだ。』
えっ。私の胃がほめられた?って、胃じゃなくて、執刀医の先生だけど。
でも、なんだか嬉しかった。
かと言って、見せられないのが悔しいですが。
「手術の思い出」を再掲載してきました。
この話はまだ続きます。オリジナルでは24回目からは「私の『狭心症』の診断」などの話に入ります。ご興味のある方は、カテゴリー「手術の思い出」でご覧下さい。
こればかりというのも飽きてきますので、再掲載はここまでとします。
では、また。