3月末の与田浦線の廃止をもって関鉄観光バスは
佐原地区
から一般路線が撤退しました。佐原地区では与田浦線と佐原~鹿島線の2路線を担当していましたが、2006年に佐原~鹿島線が廃止になり、残りの与田浦線だけ頑張っていましたが、ついに廃止されてしまいました。佐原地区は2路線のみと規模はそんなに大きくなかったのですが、いずれも歴史のある路線であることが大きな特徴でした。与田浦線は日本水郷観光自動車が開設した路線で、事業者再編で1999年に関鉄観光バスになったものです。元々子会社の路線で通した与田浦線に対して佐原~鹿島線は関東鉄道の路線だったものを関鉄観光バスへ移管したものです。しかし、歴史は古く、国鉄鹿島線が開通する前は鹿島への公共交通を担っていたそうです。
そんな関鉄観光バス佐原地区を自分なりに振り返ってみます。
こちらは
香取
です。香取神宮の駐車場にバス停があり、ここにバスが発着していました。発着していたのは佐原~鹿島線のみで、全便が乗り入れていたとは限らず、昼間のみ乗り入れていました。手元にある2003年9月当時の時刻表によると、4.5往復が乗り入れていて、うち1往復が香取~佐原駅間の運行で、それ以外は香取~鹿島バスターミナル間の運行でした。全線通しやと1時間15分ほどかかる長距離路線でした。
香取には関鉄グリーンバスが運行する高速バスのいたこ・あそう号も通りますが、バス停自体は路上にあり、バス停名称も「香取神宮」になっています。関鉄観光バスだけ香取神宮ではなく香取でした。
こちらは
県立佐原病院
です。路線バスに多く見られる病院乗り入れですが、佐原地区でも例外でなく、県立佐原病院にも乗り入れていました。与田浦線の佐原側はここまでで、香取には行きませんでした。かっては平日も土曜日も乗り入れていましたが、最晩年は平日のみの乗り入れでした。しかも、手元にある2003年9月当時の時刻表によると県立佐原病院乗り入れは今と同じ午前中のみでした・・・。尚、佐原~鹿島線の方は香取発着便全てが立ち寄りという形で乗り入れていました(佐原~香取間は県道55号線を通る形ですが、病院へは県道から外れて寄り道する形でした)。
県立佐原病院ではいろんな事業者のバスが乗り入れており、バス停ポールが林立していることがポイントですね・・・。
こちらは
忠敬橋
です。佐原の中心部にあり、佐原の名所の一つとなっています。忠敬橋で渡る川も名所で、眺めも結構いいですね・・・。関鉄観光バスも忠敬橋を渡っていますが、渡るのは県立佐原病院・香取方面へ向かう便だけで、佐原駅~潮来方面の便は忠敬橋の近くで進路を変えてしまいます。なので、意外と本数は少ないんですよね・・・。なので、与田浦線最晩年は平日しか忠敬橋を渡らなかったことになりますね・・・。
因みに忠敬橋のすぐ近くにバス停がありますが、関鉄観光バスは忠敬橋ではなく、「新橋本」でした。
こちらは
佐原駅
です。佐原地区にとって佐原駅は言うまでもなく中心的な場所でした。現在は駅前再開発工事が完了し、駅前にバスターミナルが整備され、関鉄観光バスはその1番乗り場に発着していました。とはいえ、この時はすでに与田浦線のみの運行になっていた時ですね・・・。
駅前再開発工事が行われる前のバス乗り場です。バス乗り場は駅舎から駅前広場を挟んで反対側の場所にあり、バス乗り場には関鉄観光バス佐原営業センターの施設が建っており、そこに窓口と待合室が置かれていました。文字通りバスターミナル的な感じでした。営業センターの事務室はそこで、車両の留置場は駅の成田方にありました。しかし、駅前の再開発に伴い、佐原営業センターは水郷大橋の近くへ移転してしまいました。
再開発前のバス乗り場は関鉄グループ、千葉交通、JRバス&桜東バスで分散していましたね・・・。特に千葉交通の一部の便は駅から離れた場所で発着していましたし・・・。
佐原営業センターの跡地で休憩するバスです。営業センター移転直後は更地となった敷地で休憩する姿が見られましたが、今は一部がバスターミナルに整備され、バスもそこで休憩するようになりましたね。
尚、佐原営業センターは関鉄バスグループにとって数少ない駅前の営業所でした。
こちらは
水郷大橋
です。ここで千葉県と茨城県の県境を越えていました。ただ、与田浦線は水郷大橋を渡ってすぐにまた千葉県へ戻っていたので、一時的に千葉県を出た感じでしょうか・・・。水郷大橋を渡ってすぐ北にある水郷大橋北交差点で与田浦線は右に曲がっていましたが、佐原~鹿島線はこのまま直進し、国道51号線をそのまま走っていました。
こちらは
扇島
です。与田浦線が通るバス停で、常陸利根川のすぐ近くにあります。長い間い単なる途中停留所にすぎませんでしたが、2011年4月ダイヤ改正で与田浦線の大半の便が扇島折り返しに変更され、終点の1つになりました。扇島発着便はJAの敷地に入り、ここで回転しています。歴史は短いだけに個人的にはあまりピンと来ませんでした・・・。
扇島折り返しが出来たときは幕の用意がなされておらず、紙で対応していましたが、ほどなくして幕が用意されましたね・・・。
こちらは
潮来
です。潮来駅でもなく「潮来」です。駅から少し離れた中心部の中にあります。潮来バス停は潮来地区の路線バス全てが通る文字通りの中心的な場所です。今は路上にありますが、かっては小さいながらもバスターミナルがあり、待合室などがあったようです。バス停ポールが電照式になっていたようです。バス停移転後もしばらくは残っていたのですが、今は建物含めて全て解体され、駐車場になっています。旧潮来バス停が残っていた時に訪れたことありますが、バス停ポールに日本水郷観光自動車の文字があったのを記憶しています。昔の与田浦線は潮来車庫へ行かずに潮来で折り返す便があったようで、潮来で出発待ちするバスの画像を見たような気がします・・・。
関東鉄道と関鉄グリーンバスの路線バスは潮来を出た後、潮来駅へ向かっていたのですが、関鉄観光バスは駅を経由していませんでした。今は広域連携バスを含めほとんど駅を経由しているのですが、関鉄観光バスは最後まで駅を経由していなかったので、ある意味国鉄鹿島線開業前の面影を残しているように感じました。
尚、関東鉄道と関鉄グリーンバスは駅を通った後、新道(国道51号線)を通って潮来車庫へ向かっていましたが、関鉄観光バスは旧道(津知)を経由していました。
こちらは
潮来車庫
です。ここに関東鉄道→関鉄観光バス→関東鉄道の潮来営業所が置かれていたため、文字通り潮来車庫バス停となっています。与田浦線はここまでの運行となっていました。かっては全て潮来車庫まで運行していましたが、2011年4月のダイヤ改正で1往復のみに減らされ、実質的に免許維持路線という感じになっていました。関東鉄道潮来営業所が移転した後も潮来車庫バス停は移転せずこのまま使われ、車庫と名乗りながら車庫が無いという状態が続いていました。
一方、佐原~鹿島線は多くが潮来車庫を経由せず、ひたすら旧道を通って鹿島へ向かっていました。ただ、鹿島バスターミナル~潮来車庫間の区間便だけは潮来車庫を通っていました。まぁ、旧道は潮来車庫のすぐ通っているし、車庫付近に稲井川橋バス停を置いていたので、問題なかったかな・・・と。
潮来営業所がまだあったころの画像です。潮来車庫バス停は車庫内と国道上の2か所があり、与田浦線は車庫内で乗降扱いを行っていました。営業所移転後は側道で乗降扱いを行うようになったのは御存知の通りです。
下は営業所を眺めた画像です。関東鉄道の鹿島営業所が潮来営業所に移転してくる前、すなわち関鉄観光バス潮来営業所センターだった頃は貸切車が出払うと留置するバスがかなり少なく、静かな営業所という感じでした。関東鉄道が移転してきた後は敷地が足りず第二車庫を設けたり、関鉄観光バスを佐原へ移転したりしましたね・・・。因みに一番下の画像では関鉄メロンバス(当時)のエアロスターKの1288Mが留置されている姿が映っていますが、潮来車庫には関鉄メロンバスの車庫も置かれていたそうです。
こちらは
鹿島バスターミナル
です。佐原~鹿島線の終点で、国道51号線を通って鹿嶋市内に入り、鹿島バスターミナルに至っていました。佐原~鹿島線は潮来駅と同じように鹿島神宮駅も経由せず、鹿島小交差点を直進し、鹿島神宮駅近くの商店街も通らず、バスターミナルに突っ込む感じでした。鹿島でも駅を通らないという姿は国鉄鹿島線開業前のバス全盛時代の面影を残しているかのような感じでした。もっとも潮来~鹿島間は鉄道線と完全に並行していたので、そうなったのかもしれませんが・・・。鹿島バスターミナルでは関鉄観光バスも休憩していましたが、停泊は無く、全て鹿島バスターミナル~潮来車庫間の便で潮来へ出入庫していたため、鹿島バスターミナル~潮来車庫間の便もそこそこありました。
佐原~鹿島線は鹿島バスターミナルの閉鎖を前に廃止されたため、鹿島バスターミナルの閉鎖を見届けることはありませんでした(佐原~鹿島線の廃止は2006年7月で、鹿島営業所の潮来への移転は2006年12月)。
関鉄観光バスの佐原地区は歴史の長い路線が多く、バス全盛時代の面影がいくつか残していたので、思い出の多い路線でもありました。
以上です。
佐原地区
から一般路線が撤退しました。佐原地区では与田浦線と佐原~鹿島線の2路線を担当していましたが、2006年に佐原~鹿島線が廃止になり、残りの与田浦線だけ頑張っていましたが、ついに廃止されてしまいました。佐原地区は2路線のみと規模はそんなに大きくなかったのですが、いずれも歴史のある路線であることが大きな特徴でした。与田浦線は日本水郷観光自動車が開設した路線で、事業者再編で1999年に関鉄観光バスになったものです。元々子会社の路線で通した与田浦線に対して佐原~鹿島線は関東鉄道の路線だったものを関鉄観光バスへ移管したものです。しかし、歴史は古く、国鉄鹿島線が開通する前は鹿島への公共交通を担っていたそうです。
そんな関鉄観光バス佐原地区を自分なりに振り返ってみます。
こちらは
香取
です。香取神宮の駐車場にバス停があり、ここにバスが発着していました。発着していたのは佐原~鹿島線のみで、全便が乗り入れていたとは限らず、昼間のみ乗り入れていました。手元にある2003年9月当時の時刻表によると、4.5往復が乗り入れていて、うち1往復が香取~佐原駅間の運行で、それ以外は香取~鹿島バスターミナル間の運行でした。全線通しやと1時間15分ほどかかる長距離路線でした。
香取には関鉄グリーンバスが運行する高速バスのいたこ・あそう号も通りますが、バス停自体は路上にあり、バス停名称も「香取神宮」になっています。関鉄観光バスだけ香取神宮ではなく香取でした。
こちらは
県立佐原病院
です。路線バスに多く見られる病院乗り入れですが、佐原地区でも例外でなく、県立佐原病院にも乗り入れていました。与田浦線の佐原側はここまでで、香取には行きませんでした。かっては平日も土曜日も乗り入れていましたが、最晩年は平日のみの乗り入れでした。しかも、手元にある2003年9月当時の時刻表によると県立佐原病院乗り入れは今と同じ午前中のみでした・・・。尚、佐原~鹿島線の方は香取発着便全てが立ち寄りという形で乗り入れていました(佐原~香取間は県道55号線を通る形ですが、病院へは県道から外れて寄り道する形でした)。
県立佐原病院ではいろんな事業者のバスが乗り入れており、バス停ポールが林立していることがポイントですね・・・。
こちらは
忠敬橋
です。佐原の中心部にあり、佐原の名所の一つとなっています。忠敬橋で渡る川も名所で、眺めも結構いいですね・・・。関鉄観光バスも忠敬橋を渡っていますが、渡るのは県立佐原病院・香取方面へ向かう便だけで、佐原駅~潮来方面の便は忠敬橋の近くで進路を変えてしまいます。なので、意外と本数は少ないんですよね・・・。なので、与田浦線最晩年は平日しか忠敬橋を渡らなかったことになりますね・・・。
因みに忠敬橋のすぐ近くにバス停がありますが、関鉄観光バスは忠敬橋ではなく、「新橋本」でした。
こちらは
佐原駅
です。佐原地区にとって佐原駅は言うまでもなく中心的な場所でした。現在は駅前再開発工事が完了し、駅前にバスターミナルが整備され、関鉄観光バスはその1番乗り場に発着していました。とはいえ、この時はすでに与田浦線のみの運行になっていた時ですね・・・。
駅前再開発工事が行われる前のバス乗り場です。バス乗り場は駅舎から駅前広場を挟んで反対側の場所にあり、バス乗り場には関鉄観光バス佐原営業センターの施設が建っており、そこに窓口と待合室が置かれていました。文字通りバスターミナル的な感じでした。営業センターの事務室はそこで、車両の留置場は駅の成田方にありました。しかし、駅前の再開発に伴い、佐原営業センターは水郷大橋の近くへ移転してしまいました。
再開発前のバス乗り場は関鉄グループ、千葉交通、JRバス&桜東バスで分散していましたね・・・。特に千葉交通の一部の便は駅から離れた場所で発着していましたし・・・。
佐原営業センターの跡地で休憩するバスです。営業センター移転直後は更地となった敷地で休憩する姿が見られましたが、今は一部がバスターミナルに整備され、バスもそこで休憩するようになりましたね。
尚、佐原営業センターは関鉄バスグループにとって数少ない駅前の営業所でした。
こちらは
水郷大橋
です。ここで千葉県と茨城県の県境を越えていました。ただ、与田浦線は水郷大橋を渡ってすぐにまた千葉県へ戻っていたので、一時的に千葉県を出た感じでしょうか・・・。水郷大橋を渡ってすぐ北にある水郷大橋北交差点で与田浦線は右に曲がっていましたが、佐原~鹿島線はこのまま直進し、国道51号線をそのまま走っていました。
こちらは
扇島
です。与田浦線が通るバス停で、常陸利根川のすぐ近くにあります。長い間い単なる途中停留所にすぎませんでしたが、2011年4月ダイヤ改正で与田浦線の大半の便が扇島折り返しに変更され、終点の1つになりました。扇島発着便はJAの敷地に入り、ここで回転しています。歴史は短いだけに個人的にはあまりピンと来ませんでした・・・。
扇島折り返しが出来たときは幕の用意がなされておらず、紙で対応していましたが、ほどなくして幕が用意されましたね・・・。
こちらは
潮来
です。潮来駅でもなく「潮来」です。駅から少し離れた中心部の中にあります。潮来バス停は潮来地区の路線バス全てが通る文字通りの中心的な場所です。今は路上にありますが、かっては小さいながらもバスターミナルがあり、待合室などがあったようです。バス停ポールが電照式になっていたようです。バス停移転後もしばらくは残っていたのですが、今は建物含めて全て解体され、駐車場になっています。旧潮来バス停が残っていた時に訪れたことありますが、バス停ポールに日本水郷観光自動車の文字があったのを記憶しています。昔の与田浦線は潮来車庫へ行かずに潮来で折り返す便があったようで、潮来で出発待ちするバスの画像を見たような気がします・・・。
関東鉄道と関鉄グリーンバスの路線バスは潮来を出た後、潮来駅へ向かっていたのですが、関鉄観光バスは駅を経由していませんでした。今は広域連携バスを含めほとんど駅を経由しているのですが、関鉄観光バスは最後まで駅を経由していなかったので、ある意味国鉄鹿島線開業前の面影を残しているように感じました。
尚、関東鉄道と関鉄グリーンバスは駅を通った後、新道(国道51号線)を通って潮来車庫へ向かっていましたが、関鉄観光バスは旧道(津知)を経由していました。
こちらは
潮来車庫
です。ここに関東鉄道→関鉄観光バス→関東鉄道の潮来営業所が置かれていたため、文字通り潮来車庫バス停となっています。与田浦線はここまでの運行となっていました。かっては全て潮来車庫まで運行していましたが、2011年4月のダイヤ改正で1往復のみに減らされ、実質的に免許維持路線という感じになっていました。関東鉄道潮来営業所が移転した後も潮来車庫バス停は移転せずこのまま使われ、車庫と名乗りながら車庫が無いという状態が続いていました。
一方、佐原~鹿島線は多くが潮来車庫を経由せず、ひたすら旧道を通って鹿島へ向かっていました。ただ、鹿島バスターミナル~潮来車庫間の区間便だけは潮来車庫を通っていました。まぁ、旧道は潮来車庫のすぐ通っているし、車庫付近に稲井川橋バス停を置いていたので、問題なかったかな・・・と。
潮来営業所がまだあったころの画像です。潮来車庫バス停は車庫内と国道上の2か所があり、与田浦線は車庫内で乗降扱いを行っていました。営業所移転後は側道で乗降扱いを行うようになったのは御存知の通りです。
下は営業所を眺めた画像です。関東鉄道の鹿島営業所が潮来営業所に移転してくる前、すなわち関鉄観光バス潮来営業所センターだった頃は貸切車が出払うと留置するバスがかなり少なく、静かな営業所という感じでした。関東鉄道が移転してきた後は敷地が足りず第二車庫を設けたり、関鉄観光バスを佐原へ移転したりしましたね・・・。因みに一番下の画像では関鉄メロンバス(当時)のエアロスターKの1288Mが留置されている姿が映っていますが、潮来車庫には関鉄メロンバスの車庫も置かれていたそうです。
こちらは
鹿島バスターミナル
です。佐原~鹿島線の終点で、国道51号線を通って鹿嶋市内に入り、鹿島バスターミナルに至っていました。佐原~鹿島線は潮来駅と同じように鹿島神宮駅も経由せず、鹿島小交差点を直進し、鹿島神宮駅近くの商店街も通らず、バスターミナルに突っ込む感じでした。鹿島でも駅を通らないという姿は国鉄鹿島線開業前のバス全盛時代の面影を残しているかのような感じでした。もっとも潮来~鹿島間は鉄道線と完全に並行していたので、そうなったのかもしれませんが・・・。鹿島バスターミナルでは関鉄観光バスも休憩していましたが、停泊は無く、全て鹿島バスターミナル~潮来車庫間の便で潮来へ出入庫していたため、鹿島バスターミナル~潮来車庫間の便もそこそこありました。
佐原~鹿島線は鹿島バスターミナルの閉鎖を前に廃止されたため、鹿島バスターミナルの閉鎖を見届けることはありませんでした(佐原~鹿島線の廃止は2006年7月で、鹿島営業所の潮来への移転は2006年12月)。
関鉄観光バスの佐原地区は歴史の長い路線が多く、バス全盛時代の面影がいくつか残していたので、思い出の多い路線でもありました。
以上です。