ジーン・ウールの不思議な旅

ジーン・ウールは不思議な女性です。姿を変えて過去にも未来にも現れます。
もしかしたら貴方の友人や奥様かも知れません。

店主ご挨拶

ようこそお越し下さいました。 昨年(2010)、3ヶ月の雲水修行に行ってまいりました。 私は働き者で(自己申告)、精舎は朝は早く夜は遅く「朝瞑想」の時間は、気がつくといつも寝ておりましたが・・。 私の人生の1ページに、思いがけないご褒美を頂けたような日々を過ごさせて頂きました。・・ま、主婦でも決心ひとつで如何様な道も開けるんですね。 今も精舎に行くと「実家に帰った」ような気がします。 このブログ管理人は、最近物忘れ症候群中につき、おいで頂いた感謝を申し上げ、コメントを頂いても書いたり書かなかったり、付き合いが悪いことのご無礼をお許し下さいませ。

ウトナピシュティム 1

2006-08-01 16:23:28 | ウトナピシュティム
1.
 私たちは、死んであの世に還るとき、三途の川を渡る。その三途の川の川底には、川を渡った人たちが落としていった財布やら、生きていたときに属していた会社の名刺やら、不動産の権利証やら、貯金通帳やら宝石やらが落ちている。三途の川は、生きていたときの行いによって、川幅が広くなったり狭くなったり、浅くなったり深くなったり人それぞれだ。時には橋が架かったり、船頭さんが舟で迎えに来てくれたり、天女の羽衣を着たように空を飛んで彼岸にわたることもあるようだ。

やっとの思いで川を渡り終えると、そこにはおじいさんとおばあさんがいて、ご親切にも濡れた衣服を傍らの木の枝に掛けて干してくれる。あまり濡れていないと、おじいさんはにっこり笑って「こちらにお行きなさい」と道を示してくれる。
川が深くて、衣服がずぶ濡れで、濡れた衣服を掛けた木の枝が大きくしなると、おじいさんはにったり笑って「あんたはこっちの道じゃよ。気をつけてなぁ」と別の道を示してくれる。
三途の川の川底に落ちているのは、生きていたときの執着だ。

この三途の川にあたる話は、世界に充ち満ちていて、シュメール神話のなかでは、ウトナピシュティムとその奥さんが死の川の番人だ。