八面山だより

八面山 神護寺からのお知らせ&日常

お寺と言う空間

2010-08-12 22:18:11 | インポート
母の実家に先月亡くなった祖母のお参りと祖父の様子を見に行ってきました。


今から忙しくなるので盆前にご先祖様にお参りさせていただきました。


祖父の寺(徳泉寺)には納骨堂があるので盆前ですがお参りし持参した、お弁当を食べてらっしゃる方がいらっしゃいました。

故人の命日にお参りにきて、別に暮らす兄弟にあったり、従兄弟に久々にあって、お寺でゆっくりと話して帰る。

など、お参りに来て親族と会う。

わざわざ家に約束して行くのは面倒くさいけど…。


お寺で自然に会って帰る。なんか、いい感じですねえ。

故人さんが巡り合わせてくれてるのかもしれませんね。
そして生前に子供や孫をお参りに連れて行ってた習慣を次の代が受け継いだ証拠ですね。


核家族とか個人のプライバシーとかでウルサイ世の中になりつつありますが…。
当山には御墓じゃなく皆さんが様々な願いを込めて建立した仏様が沢山あります。

お盆前になると毎年、建立された方の子供サンやお孫さんが掃除してお花やお菓子をお供えしに参拝されます。

『遠くに住んでるから婆ちゃんの用にちょくちょく来られけど、お山の婆ちゃんに守られてるから有り難い』『もう、従兄弟の誰々は来たやろか?』などなど。
なかなか会えない親族が『お互いを心配しつつも距離を保ってる?』って場面をしばしば見受けられます。

『花が供えてたから○がきたんかな?』とか…。

仏様が結んで保ってる微妙な関係が結構ある気がします。

私も、たまたま、お茶を出して御話しするまで誰なのかしらなかった。って事が結構ありますもん。
『あなたの、お婆さんが、あの○さんなんだ~』みたいな。
お寺は誰にでも門が開いてます。

だから不思議なご縁も結ばれますし…。

セキュリティーの問題上で境内にも本堂にも自由に参拝できない世の中なんていやですね!


お寺は自由感を失いたくないですね。アポなしで訪ねても受け入れてくれる場所。

『ここでは自分の心を自由に解放できる』

『なんか元気でたかも』

みたいな感覚の場でありたいです。



なんだか。また行きたくなる。

そんな感じかも?