八面山だより

八面山 神護寺からのお知らせ&日常

信仰心

2011-01-21 13:37:12 | インポート
信仰。


何をどう信仰するか?


とかじゃなく。


『信仰心が無いわけでなく。信じてないとかじゃなく理解できないんです』


と言われても、此方は『はあ~そうですか』ぐらいしか答えられない。


生まれた時から信仰心のある家庭で自分が育つ中で自然と信仰を持つのが一番楽なのかもしれない。

また同じ家庭で育っても信仰へは繋がらない方もいます。


信仰とは素直な気持ちで損得勘定抜きなのかなあ。


信仰があるから自分が生きていける。って感覚は解る人にはわかる。んだと思う。


私は寺に生まれたから仏教徒で又その中でも高野山真言宗の教えを信じて生きている。

痛いとか怖いとかと感じると同時進行で『南無大師遍照金剛』と唱えている。


意味なんて分かんない小さな時からの習慣と唱えたら今より良い方へ導いてくれると信じている。

それは周りが作り出した環境なんだとおもう。

3歳の子が私が病気になると唱えてくれる。


それを『意味も分からずに唱えて意味あるんですか根拠も知らないのに何を信じてるんですか』それは高野山真言宗を信仰してた祖父母や両親に絶対的な信頼をよせてるからかもしれませんね!



信仰に接して生活して無い方が信仰の道に入るのは何かがないと入らないですよね。


信仰に触れる一歩目のご縁が大切なのかもしれません。

一歩目で嫌な感じを受けたら宗教アレルギーになったりします。

やはり言葉や文章でわ理解できないと思います。




自分で肌や心で感じるものなのだと…。

信仰があると元気な時には感じないけど困ったり辛い時には良かった~。と感じれるんです。


先日昔からの信者さんが『息子の大学受験には21日間夜中の3時に行に通ったけど今は体力がないんよなあ』と言われてました。

なかなか出来ませんよね。


でも母親として仏様にお願いする気持ちが強く強く伝わってきますね。


信仰は本や文献を読んで学ぶことも大切ですが…。


先ずは心をから手を合わせる事が一番大切な気がします。